読書の森

半藤一利『もう一つの幕末史』

昨日取り上げた半藤一利の歴史本に学んだ事があります。
 
それは、鳥羽伏見の戦いの直前にも討幕派は「尊王攘夷」という改革のスローガンを掲げて、士気を煽っていた事実についてです。
ちなみに鳥羽伏見の戦いは1986年に起き同年江戸城明け渡しになってます。その2年前までに外国艦隊の圧倒的な武力に討幕派(薩長共に)はコテンパーにやっつけられています。
つまり攘夷(外国征伐)など夢物語であることを上層部は承知している訳です。
開国路線をとった幕府に対抗するための偽りのスローガンだったのですね。
 
戦いの際、連帯感を高めるために事実と異なる情報を流すことは、古今東西、上層部の使う手段だった事を改めて知らされました。
 

半藤一利最晩年の著書だけあって、好みがはっきりしたとっておきの逸話ぞろいの内容で面白いものがありました。
戦前生まれの半藤さん、ご先祖様が幕臣でアンチ薩長の精神を幼少期に植え付けられたのかも知れません。

そんな斜めの観点から、私の勝手な想像力が膨らんでしまいました。
下剋上の戦国時代を経て江戸の鎖国、ペリー来航で始まった開国から明治維新、富国強兵で連戦連勝して一等国と自負した時代を経て太平洋戦争の悲惨な敗北。そこから又経済大国として蘇った日本、コロナ禍の真っただ中の現在。
 
そこに一貫として流れている日本の管理社会の精神は過去に学んで、より良い明日のために努力しようとする姿勢に思えるのです。

「そんな純粋なものじゃないよ、政治は汚濁と利己主義でまみれているじゃない」と反論される方が多いと思います。
 
ただ、「自分たちのために安定した社会を作ることは最善の策」だと上に立つ人が考えるのは当然だと思います。
 
二度と戦国の混乱を起こさないために、徳川家は三代に渡って強固な体制づくりをしました。まず身分制度の確立で武士以外に刀を持たせません。さらに後継者を絶やさぬ工夫をします。
そして思想統一の為にも鎖国を強いたのだと思います。
大陸では革命が続いた時も長い太平?の世が続いたのでしょう。
戦国の時代に一部の人でも闘争的と見えた日本人が、後の時代に外国人から穏やかで勤勉と評されるたのは、この長い農耕社会の時代のお陰だと言えます。
 
明治期になり、日本の狭い国土、限られた資源をより豊かにするためにも、世界を舞台に武力戦争を始めて、負け知らずだったのは秩序を守り義務を遂行する日本兵の特性に勝因があったのかも知れません。
 
敗戦後、価値観の大転換があった筈なのに、日本人はエコノミックアニマルと評されるほど働き続けて経済大国になりました。
 
このように歴史を眺めると、日本はとても優秀な人材がそろっているよに見えるが実は違うのだ、と半藤一利は憂うるのです。
日本人は本当の「歴史を知らない国民」になっているそうです。
なぜなら、「他民族のことを考える立場になると思考停止になり、高慢になる」少なくとも他民族から「非難を浴びせられることが多い」からだと言います。
 
そうでなくて、私は他国においても自国が一番で他国を低く見る史観を持つ傾向がある、と思えます。
ただ、日本が他国と違うのは、鎖国を経て、上下の秩序がよくまとまって情報を非常に信じやすい国民性がある点ではないかと思います。論争が下手です。
 
その点、大陸の人々の方が疑い深く、そして打たれ強いみたいです。
このコロナ禍で、日本国内でも情報の真偽に疑い深くなった人が増えてきたようです。
あまりに能天気な話ですが、コロナ後の社会で日本は別な変化をしていくでしょうか、楽しみなような怖いような気がします。
 
 
外に出た時、路上に植えられた花々が無心に咲いていました。今日のブログと全く関係ありませんが、しばし無心になれました。
 
 
 

読んでいただき心から感謝です。ポツンと押してもらえばもっと感謝です❣️

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