寂れた古本屋で智樹は思いがけない本と再会した。
「人と別るる一瞬の
思い詰めたる風景は
松の梢のてっぺんに
海一寸に青みたり」
復刻版の『佐藤春夫詩集』はあの時のままの姿で智樹の手の中にあった、
かって上城頼子に自分が送った本だ。
何故分かるかというと、この歌の隅に小さくmemoryと記したのは宇多智樹だから。
智樹が63で定年を迎えたから、頼子はもはや66になる。
面影が残っていなくても構わない。
会いたい。
40年前、大学院生だった智樹にとって、教授夫人の頼子は憧れの人だった。
気鋭の学者である教授の20歳下の後妻。
ある意味、驕慢で華やかな女性を想像するが、頼子はそのような比喩を跳ね返す練れない学生っぽさがあった。
ひどく自己を主張するかと思うと、身内の様に学生をもてなす。
「うちのはね、虹の様な女なんだ。変化し易く想像がつかない事をやってくれる。僕の発想力の原点でもある」
上城教授の手放しののろけを聞いた時、智樹の心の中に黒い澱が出来た。
それが嫉妬だとしばらくして気付いた。
(続く)
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