今日も綺麗に晴れて、子どもの日も一家で楽しめそう、良かったですね❣️
ただ、せっかくの児童公園がコロナ以降はいつも空いていて、もっとヤンチャな可愛い声で満ちていて欲しいな、と心から思います。
坂本竜馬もその妻おりょうも子どもに恵まれてませんが、夫妻とも相当ヤンチャな人だったらしい。
非常に自我が強かったのです。
よく言えば進取の気性と行動力に富んだ魅力的な人だったのでしょう。
坂本竜馬は、背が高く男らしい風貌、爽やかな弁舌、千葉周作門下一の剣士、とあって女性にモテた事、維新の志士の中でナンバー1だったとか。
それもかなり優秀な女性ばかり。
千葉周作の妹(娘?)も彼一筋で、形見と言って竜馬が渡した着物の袖、ボロボロで汚〜い布を「愛の印」と後年弟子に見せびらかしたそうです。
このモテ男の正式な妻になったおりょうさんも、出会った時は料亭の仲居をしていたものの、由緒正しい家柄で娘時代はお茶お花を初め一通りの教養を身に付けた人だったそうです。
人に騙されて家が没落破産、一家散り散りになって、彼女は棲家も仕事も転々としました。
美貌でお侠で機敏な女性だったので、竜馬は直ぐに気に入りました。
伏見の吉田屋で竜馬が刺客に襲われた際、いち早く気づいた彼女は入浴中でした。
そこで直ぐに、そのままの姿で刺客の前に飛び出したそうです。
刺客が裸体の彼女に気を取られた隙に、竜馬は戦闘準備を整えピストルで応戦して刺客を撃退しました。この一部始終は竜馬の国元に送った手紙に書いてあります。
おりょうはこのように相当度胸のある女性であります。
竜馬は常日頃「こんな面白い女に出会ったのは生まれて初めて」「自分の命を救った女」と言い、おりょうの母親に正式に結婚を申し込み、妻としたのです。
竜馬はおりょうを連れて九州に新婚旅行に行き、これが日本における新婚旅行のハシリだったそうです。
当時維新の志士たちに慕われた竜馬ですが、おりょうさんも慕われたかと言うと、そうでない。
かなり権高だったので敬遠されてたみたい。
今で言う「ツンデレ」だったのでしょうか?
それだけでなく、竜馬は家庭的でない人ですからやりくりが大変、女出入りも激しく、「困った亭主」だと漏らしていたそうです。いつも不機嫌だったのでしょうか。
妻とは名ばかりだったようです。
竜馬の死後、彼女持ち前の美貌も矜持も行動力も気の強さも、全て裏目に出ます。
おりょうは竜馬に僅かな年金が出ていて、それを手に竜馬の実家に引き取られます。
ところが、竜馬の親戚に、彼女の性格を嫌われていびられる毎日が続きます。
有名な竜馬の姉ではなく男性たちです。保守的で旧弊な風習と彼女は全く合わない女性だったからですね。
とうとう婚家から離縁されたのです。
そして又転々。
再婚して横須賀に住みますが、貧乏暮らしを強いられ、おまけに夫は彼女の実の妹に奪われ、晩年は独りで困窮の内に亡くなりました。
以前横須賀でおりょうさんの住んでいた地域を訪れて、晩年の彼女の写真を見た事があります。
彼女の写真はこれ一枚だけです。一見ガッカリするものはありました。
しかし、ネットで改めて眺めると、目のパッチリ開いたくっきりした顔立ちなのです。若い頃の美貌が浮かんできます。
彼女の死後、哀れんだ維新の志士の有志でお墓を立てたそうであります。
多分、晩年の彼女は「竜馬の妻」を心の頼りに生きてたのでしょうね。
周りの人にすれば、貧乏なくせに威張って鼻持ちならない老婆で、嫌われていたのかも知れません。
人間の一生の幸不幸とは一体何なのか?と考えさせられるものがありました。
「幸せになる」のを追い続けるのでなく、自然と周りに溶け込む方がずっと幸せなのだろうな、と思いますね。