私は幼い頃、江戸川乱歩の本に出合いましたが、同時期にキリスト教とも出会ったのです。
叔母の知り合いに牧師さんがいて、教会に連れていってもらったのが最初で、小学校の時は日曜学校、キリスト教系の私立中学、その後もキリスト教会に通った事があります。
現在は全く無信仰ですが、この聖書はずっと持っております。古くから国際ギデオン協会が無償で配布しているものです。「いかなる政治団体にも属していない」と冒頭記してます。
この聖書は1962年に(高校生の時)、多分近くの教会の日曜礼拝の際頂いたものだと思います。
赤線はその頃引いたのでしょうね。キリスト教徒の方に申し訳ないのですがとてもその様な境地には至っておりません。
ただ、「三つ子の魂百迄」の喩えの様に幼い頃植え付けられた聖書の言葉は深く脳裏に残っているのでしょうね。しかし、この教えにはとても無理があるのです。
写真の聖書の言葉に
「誰でも情欲を抱いて女を見るものは心の中ですでに姦淫してるのである」とありますね。その当時はその通りと信じてました!
先程の江戸川乱歩の世界と真逆の道徳が存在しているのが非常に厄介です。
という事でおどろおどろしい乱歩の情欲と聖書の清らか過ぎる道徳観の矛盾に本気で今迄悩んでおりました?
多分ずっと独身だからだったのでしょうが、そしてこれから出来ればお金の心配なく、時々友達と会える独身生活を送りたいのですが、、。
ここで「頭大丈夫?」とネット上の声あります。
そうでした、私75歳の訳知りの筈だったのです。
懸賞募集ミステリー小説のネタないかと悩んでいたら、かなり変になってしまいました。
ともあれ訳知りの顔して、キリスト教には触れないネタの物語を作ろうと努力するしかないです。