昨年春、得体の知れないコロナ禍に街が巻き込まれていた頃、道行く人は不安気で元気がなかった。体を壊しているような人の姿がとても目立った。
その時道で出会った老夫婦の姿が今も私の目に焼き付いて離れない。
体も目も病んでしまったのか、眼帯をした妻は弱弱しい足取りでとても一人で歩くのが無理な様子だった。気づかわし気な夫は妻をしっかりと支えている。この人も丈夫な状態とは思えない。
しかし、二人はこの災難に逆らうでもなく、と言って押しつぶされている訳でもない。
いつもの買い物に二人で出かけているだけである。
二人の足取りはゆっくりゆっくりしていたが、それでも着実に前進していた。
きちんとした身なりとしっかりとした面差しの二人の姿から「二人三脚」を連想した。
お喋りを交わしている訳でもない、必要以上にくっついている訳でもないのに、二人の心がぴったりと寄り添っているのをヒシヒシと私は感じた。
若い頃に「これが愛だ」と言われても全然ピンとこなかっただろうけど、その時私は「これが愛なんだ」と強く印象付けられた。
ありのままの相手を受け入れ、相手の絶対の味方になる事、それは相手の条件を冷静に判断して行動する事よりも、「愛」に近いのではないか。
私は中二の時、股関節症の手術を受けた。股関節症の権威である教授の手術の順番に一年かかると言われて、何も知らずに私は焦って手術をせがみ、分院へ入院し、駆け出しの医師の手術を受けてしまったのである。
整形外科や外科の手術は、知識よりも医者の腕で決まると思う。結果が全く異なるからだ。私の手術は失敗例に当たり、成長期だったので右左の脚の長さの差がひどくなっただけに終わってしまった。
ただ、四月ほどの入院生活で様々な人と触れ合えた事が、私の人生を積極的なものに変えてくれた気がする。
事故で不具になってしまったお兄さん、粋なその恋人、冬のこととて皆で一つの鍋焼きうどんを突っついた。家では「汚い、みっともない」と言われてできなかった諸々の事が病院内では面白いようにできたのである。
昭和30年代の病院は、アナログも良いところで、古いし廊下はガタビシ言うし、機械化など遠い話だったが、看護婦さんが飛び切り優しかった.
白衣の天使(心がですよ)ばかりだった気がする。嘘みたいに善意にあふれていたのだ。
そこで、同じ病気の小学生の女の子と同室になった。その子の姉が同学年でよく面倒を見ていた。
治療の過程で大げさに装具を付けた私が、その姉さんと病院の庭を散歩していたら、他の科の患者の家族がジロジロ見たことがある。
私はその時、彼女がジロジロ見る人を睨みつけたのにビックリしてしまった。
「何よ、同じ患者じゃないの、ジロジロ見るなんてひどいよ!」
「えっ、私のためにこの子は怒ってくれているのだ」その時私は仰天したのである。
それは生まれて初めての経験だった。
自分を他の人から守ろうとしてくれる、他の人を怒ってくれる、そんな子が居たんだ、殆ど奇跡のように思えた。
温かい血がその子を通じて私に流れ込んでくるような喜びを今でも鮮明に覚えている。
同室の妹を愛しく思ってるからこそ、その子は私の家族でも見せてくれない愛を示してくれたのだと思う。
「この人は私の味方だ」と思える人が一人でもいる時、人は強くなれるのではないか。
後年、小学生の息子を虐めるいたずらっ子を、箒を持ってどなりつけたという友人の話を聞いた事がある。
「なんてはしたない、母親のエゴだ」とは全然受け取れず、私はとてもうらやましかった。
「公平に、感情的にならず、人に接する」というのは公の場では必要だろうけど、家族や親しい友人に感情移入するのは人の情として当たり前だと思う。
「愛」って何だろう、などと青春期に真剣に考え議論し、交友関係に悩んだものだけど、それはとてもシンプルな感情だと今は思えるのです。