中学生の頃に読んだ童話ですが、今も心に残ってます。
戦争で父親を亡くした小学生の娘と働く母親の物語です。
終戦後間もない頃の母子家庭では、今では信じられない事ですが「長靴」さえも高価で手に入り難いものだったのです。
母親は娘が欲しがっていた長靴を働いてためたお金で買いました。
ピカピカの長靴を大喜びで履いて学校に行った娘ですが、下校時下駄箱を見ると、大好きな長靴が消えています。
当時は銭湯においても、風呂から上がると衣類が盗まれていたり(当時はロッカーなどなく脱衣カゴに札を付けてた)、貧しさに人心が荒れていた時代です。
しょげかえった娘を出迎えた母親は、おおらかに笑って(内心を隠して)娘を慰めます。
「あしたはあしたの風が吹くよ」
又長靴を買える時が来る、娘もつられて笑顔になるのです。
記憶の中の物語ですので、異なる部分があるかも知れませんが、読後当時の私はこの「母親みたいになりたい」と思いました。
壷井栄自身は結婚後子供に恵まれず、親戚の親の無い子を引き取って育てています。
実の子を持てなかろうと豊かな母性愛を持った人で、その作品以上に人柄に憧れを抱いてました。
コロナ禍の為より、脚の故障の為に、主に宅配に頼ってる私ですが、外出すると明るい春の情景に目が醒める思いがします。
コロナ禍の為より、脚の故障の為に、主に宅配に頼ってる私ですが、外出すると明るい春の情景に目が醒める思いがします。
生き生きと命の息吹を伝える花や草に勇気が貰えます。
帰宅して春らし風にミカンのゼリーを作っていただきました。
コロナ禍収束後、整形外科へ行こう、具体的にはそれだけの目標なんですが、結構ハードルが高い様です。
こんな時も夢ではなく「あしたの風」はいつだって吹くと思います。
「あした」が永遠に「あした」になろうと、風を信じて、今日も又暮れていくのでしょう。