哀調あふれる演歌で戦中戦後に人気をはくした人です。
私の父はのど自慢の地方大会で田端義夫を破って優勝したと人に聞きましたが、愛知の素人歌合戦で田端義夫が優勝したとき次点だったというのが真相みたいです。
若い頃の父は多分本気で歌手になりたかったのでしょうね。親族一同大反対で夢はあえなく潰れましたが。
私の母は合唱団に入り(クラッシックが主)父は大の歌好き(デイックミネなど洋楽っぽいのが好きだった)の家庭で、ラジオからしょっちゅう当時の歌謡曲がかかってました。
(母は死の殆ど直前、耳も殆ど聞こえず体も衰えているのに、テレビので懐かしい昔の歌謡曲を放映している時、身を乗り出し霞んだ目に涙を浮かべていました)。
覚え盛りの私、完全に記憶に残ってしまって、ひょっとしたらそれ以降よりも昭和20年代30年代の歌謡曲を一番覚えているのかも知れません。
見出し写真は昭和21年早くもNHKのラジオ放送で開かれた「のど自慢素人音楽会」です。
収録日にはNHKの建物周辺に参加したい男女が長い長い列を作ったそうです。司会は懐かしい宮田輝です終戦直後と言って焼け残った東京の街のことです。
お金も欲しいし食べ物にも飢えてる、そんな時代でも自慢の歌を披露したい人がいっぱいいたのです。
そしてそれを聴きたい人はそれ以上いっぱいいたのです。
お金や物に替えられない人の思いが歌う事、歌を聞く事に凝縮していたのではないでしょうか。
歌は時代や世代を超えて人の心を一つにする、不思議な力を持ってると思えます。
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自慢話になってしまいますが、これは香港の船上パーティ(旅行者たちの集まり)の歌合戦で一等になった時(1979年)の私の写真です。
「何日君再来」を中国語で歌いました。
古くは李香蘭の歌で最近(と言っても昔)テレサテンがカバーしてます。
これも耳で覚えたものの一つです。
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国境を越え、時代を超えて歌は生きてます。
懐メロや自慢の回顧談を出してしまったけど、世代を超えて共感できるもの、が人の心に届く歌ではないかな、と思います。