読書の森

『漫画にみる1945年』その3



1945年(昭和20年)の冬は日本全体が相当な貧困状態に陥っていました。

それはとりもなおさず、衣食住の欠乏を意味します。

当時、東京の人口の一割が「家無し」でした。
これは持ち家が無いと言う事ではないです。
文字通り住む処がないのです。

自分の住んでた家が空襲のために焼け落ちていたからです。

東京の人口は349万人(約60万世帯)で、その内壕舎やバラックで生活してるのは30万人でした。
壕舎とは防空壕を改造した住処です。隙間風が吹き込み、越冬不能の状態でした。
私が幼い頃聞いた話ですと、土管の中で雨露をしのいでいた今でいうホームレスもいたそうです。

主に借家、親戚の家に身を寄せたり、間借り生活をしていた人が多かったようです。

上の漫画は「貸家求む」の看板を挙げて歩く一家。
身なりがいいから多少高くても借りられる人でしょう。
一部屋住まいから、せめてもう少し広いところに行きたいのでしょう。

下の漫画は、狭い部屋に二世帯が住む図です。
自分の部屋など夢の又夢だったようです。

どちらも昭和20年12月に掲載された漫画です。



住宅以上に深刻なのは、食糧不足でした。
1945年の翌年、1946年(昭和21年)1月の漫画で、買い出しについて描かれてます。
「切迫した帝都の食糧事情、ただ生きんがために市民たち(まだ東京市と呼ばれていた)は、連日農家を訪れなけなしの品物と食糧を交換して、重いリュックをしょって満員列車で帰る」これはその頃の報道文です。

連日家族の飢えをしのぐために、人々は狭い列車の屋根に登ってまでして「買い出し」に出かけました。

下の漫画はお見合いの図ですが、実は当時は深刻な婿不足だったのです。
まともな体の年ごろの男子は戦死者や抑留されていた人が大半でした。
殆どの兵士が帰郷したのは昭和21年からで、昭和22年から爆発的なベビーブームが起きたのです。

1945年末の人口調査によると、日本の総人口は7199万8104人で、その内女性が男性を、なんと(!)420万人上回っていたという事です。


気候不順の時代ではありますが、衣食住、当時に比べたら贅沢でございます。

昨晩は一人鍋で暖まりました。
白菜、シイタケ、鶏の手羽元、お豆腐を火が通りすぎないように順番に煮ます。
湯気が心を和ませます。
これを大根おろしとポン酢醬油でいただきました。

色々、一人鍋を工夫して食べようと思います。
1945年の事を考えれば、なんと贅沢できるかと感謝(?)してます。
ちょっと無理があるみたいですが。



ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「書評」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事