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読書の森

風渡る初恋 その3

ミホは幼い頃から一人で眠る習慣を付けられていた。
それは西洋風の子育てを信奉する実母がつけたものである。
貧しい間借り時代にも、母が手作りのカーテンを吊ってミホだけの空間を拵えてくれた。
親子三人川の字になって、という体験が皆無だった訳である。

他の子供と同じ空間で、全てを曝け出して一緒に生活するのは生まれて初めての体験であった。
同じ病気という事もあってか共感が湧き、肌の温もりが伝わってくる気がした。
病院内でいつもの三人組の他に子供の患者がいない、その為か職員全体で緩やかに見守っている感があった。特別視される事もない。
ミホにとって味わった事のない快適な環境に思えた。

ミホはせっせと見舞いに来てくれる母が煩わしく感じる。身だしなみに気を遣い装った姿を子供のミホはワザとらしいと感じた。

見舞い客の数はミホが一番多く、伊東君は一番少ない。
一度だけ、立派な身なりをした両親と利発そうな彼の兄が訪ねてきたのをミホは見たが、形ばかりの見舞いと感じた。

外からの客に比べて、病院内での伊東君の大人の友人の数は多かった。

事故で片足を失ったお兄さんとその恋人、どこか訳有り気な大人の雰囲気にドキドキする。

離れた病棟には軽い結核患者ばかりいた。
星の美しい晩、一人の男性患者が夜空を見上げていた。
窓から伊東君が声をかけると、懐かしげな顔をして、窓の側に寄ってきた。
大きく澄んだ目の美しい人だった。
何かの拍子に「アブノーマルな」という言葉が彼の口から出た。
伊東君の側にいたミホが知ったかぶりして「アブノーマルって普通じゃないって事でしょ。ノーマルの逆だよね」
その人は哀しそうな目つきをした。
「でも結核だからってアブノーマルとは言えない」と小さな声でつぶやいた。

当時結核は未だ死病とさえ言われる、忌み嫌われる伝染病だったのである。
感染の恐れが無いと判断された時のみ、病棟内から出る事を許された。

その人の澄んだ哀しそうな声と目はミホにとって忘れられない思い出となった。

その時、伊東君は黙りこくっていたし、民子は遠く離れて困った顔をしていた。



伊東君の大人の友達の中に腕を骨折した独身のおじさん(と言っても30代前半)がいた。
ミホや民子は子供という事で、夜男性の病室にズカズカ入っても全然お咎めがなかった。

おじさんは口は悪いが人生経験が豊かで面白い話をいっぱい知っていた。
それが聞きたさに三人組は押しかけたのである。
秋とは言え冷える夕方、おじさんに女性の来客があった。
行きつけの店の水商売の人らしかったが、子供の目には気さくで開けっ広げの人に思えた。

「手が使えないなら洗濯出来ないよね。パンツ洗ってあげよか」ドキッとするような事を平気で言った。
「有難う。その内困ったら頼むよ。腹減ったろ、何か取ろうか」

出前で届いたのが大きな器の鍋焼きうどんだった。
「君らも一緒に食べるか」
嬉しそうに三人は頷く。おじさんは割り箸を出してくれた。

大きな器の鍋焼きうどんを大人二人と子ども三人でフーフー言いながら、突っついて食べた。
美保にも民子にも、多分伊東君にとっても初体験の味だったろう。
あったかい味だった。

他の誰にも言わぬ秘密だった筈がどこかで漏れたらしい。
ミホの母は怒るより以前に神経を立てて嘆き悲しんだ。
「病院食は不味いだろうと、気を使って料理を届けるのに。あんな汚らしいドテラの男たちとそんな下品な食べ方をするなんて!
この子変になっちゃったんだろうか?」

母が綺麗に詰めてくる弁当は決して不味くはないが、ミホにとってその気遣いが負担だった。皆で囲んで食べた鍋焼きうどんが不潔とは思えず、しごく楽しい食事だったのである。

しかし、三人の思いは虚しく消え、以後大人の病室内に入る事は禁じられてしまった。







読んでいただき心から感謝いたします。

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