読書の森

井上寿一 『戦前昭和の社会』その2



関東大震災は大正12年(1923年)に首都圏を襲った。
日本はめげずに国民一丸となって復興を早めた。
日本人がいったいに勤勉で努力家である事が幸いしたようである。

1926年(昭和元年)、不景気の風は吹き格差は広がったが、デパートやアパートメントハウスは続々と建った。
鉄筋コンクリート作りの建築物を普及させ、壊れた社会を立て直すという意味があったのだ。

昭和初期は又絶大な権力を持つ大国、アメリカに依存していた時期でもあった。
アメリカナイズしたた文化は流入し、人は新奇なものに興味を持った。

非常に高価だったが家庭電化製品も登場した。
その頃の電気冷蔵庫は今日の金額で数百万円程だったそうだ。
魔法の小箱、ラジオも普及し、人々を魅了した。
後ほど、このラジオが人心を一つにして戦争に向かう道具になるのである。



さて、経済的にアメリカにべったりだった日本が、何故アメリカに戦いを仕掛ける羽目になったのだろうか?

どうも、昭和11年の2、26事件から日本社会は暗転したようである。

総選挙で所謂左派の社会大衆党が票を伸ばしたのは、当時の政党政治の汚職に塗れた腐敗に民衆が怒った為だ。

しかし、怒ったのは庶民だけで無かった。
若い将校たちも正義感から決起した。
政党の大物を血祭りにしたのだ。

この不祥事を粛清すると称して、軍部上層部が勢力を広げた。
彼らは青年将校らの正義感や純粋性は持ち得ない。
日本を大国にするという野心が強かったのである。

政党政治は勢いを弱め、カリスマ的な近衛内閣が始まったのである。
彼は貴族であり、いかにも上品で清潔なイメージを持つ。
そして同時に押しの強さに欠け、軍部にとって都合の良い首相であった。

軍上層部にとって、うるさい正義漢を消し、デモクラシーを叫ぶ不逞の輩を弾圧するステップボードが2、26だったのである。

読んでいただき心から感謝いたします。

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