最近読んだ週刊誌で心に染みたエッセイがありました。
大ベテラン作家の北方謙三の『十字路が見える』と、五木寛之の『生き抜くヒント』です。
どちらの内容も今現在の時勢にピッタリ当てはまり、怖いくらいです。
北方謙三はハードボイルドの名人で、いつまでも老いない不良老年のイメージがありました。
北方謙三はハードボイルドの名人で、いつまでも老いない不良老年のイメージがありました。
ところが最近のコロナ禍によって、ひたすら眠い毎日だそうです。
現実から逃避したい時、手取り早い方法は眠り続ける事かもしれません。
目覚めたその時に禍が失せさっていたらどんなに良い事でしょうね。
それは私の思いですが、北方謙三はその眠気を老化と実感したそうです。
彼は「最強無敵のクソ爺いとして突っ走り、そのまま死ぬはずだった」そうです。
そして「人生の予測など無駄なものだ」
将来を「思い描く姿というものが徐々にずれていくのが、自分にとっての老い」
と捉えています。
「成る程、そうだろう」と頷いてしまう今の私でございます。
五木寛之の『生き抜くヒント』が「生き抜く」という言葉になっている事に妙に感動しました。
「生き残る」でなく、「生き抜く」とは、なんと優しい言葉でしょう。
先生にして、コロナ禍で生活時間の大変化を果たしたそうです。
真夜中の2時3時に横浜や東京の深夜営業の店で食事を摂っていたいた毎日が自粛で消えました。
仲間は皆家に閉じ籠り、店は閉まってます。
そこで、五木寛之は88歳を目前にして、深夜生活を脱し、朝は午前7時起床、夜は12時に就寝という生活変革を成し遂げました。
「さらば夜よ。
私はお前を裏切った」
とはいかにも文学者らしい一節です。
「時代が変わる」と彼は続けます。
確かに私たちは時代の十字路に立って生き抜いていく道を模索しているのかもしれません。