先日 大阪と京都に行った。
「茶道を英語で伝えよう」という
研修なのだが こういう体験ものは
口伝するものではなく、見て感じるものだから
あまり口やかましくガイドをするのはどうかな
という印象を持った。
参加後に反省したことがある。
それは 京都は龍安寺にてのこと。
ご存知のごとく、
修学旅行生や外国人観光客でかなりごったかえす
場所である。
案内するものとしてはマストスポットなので
それなりの準備(というか当時は棒暗記である)しておくのだが、
本来は体感する場所なのに
覚えたての知識を大披露大会!となっていたようだ。
披露する内容に盛り込むべきことは、調べて英訳しておく(大概はキーワードではある)
「どこから見ても本来15個ある石郡が13や14個に見えます。それは人間は真理をすべては知りえないということです。」
(本当はすべて見える場所があるが それはあえて言わない。自分も知らなかったのだが
なんども行くうちに中学生を引率しているタクシー運転手が15個すべて見えるところを
話しているのを見て知ってしまった。)
「壁は遠近法を、また借景を用いて奥行きのある庭園に見えます。」
などなどを 英語で説明していたのだが
伝えることに精いっぱいで
つい大声になってしまっていた。
「かなり奢っていたな。」と痛感した。
よくよく考えてみればここは禅寺。
どう解釈しようと自由である。石庭前に座り、沈思黙考する場。
自分との問答(対話)ができ、何か発見があれば
それがどんなものであろうと来た意味はあったのだと思う。
その後
平安神宮にいき説明をすることになった。
どんな質問があるかといえば・・・
・なぜ酒樽があんなにたくさんあるのか?
・注連縄の前にあるビラビラした紙は何か?
・なんで朱色なのか?
・神社は寺院はどうちがうのか?
そんなことはたぶん質問されるだろう想定内である。困ったのは絵馬に近づき
「どういうことが書いてあるの?」
たまたま取った絵馬の願い事は
「一日も早く尚子と良二が別れて、私と
幸せな家庭を築けますように。」(名前は仮名)
だった。
なんかどろどろしているのでとなりの
「第一志望の京都大学に受かりますように」
にすりかえた。平安神宮で縁切りはちょっと・・・
前者は縁切りだから安井金毘羅宮に行けばいいのにな。
でも絵馬はやはり見ていて飽きなかった。
「世界中の虫が全滅しますように」ばりの
面白絵馬はなかったのが残念に思ったが。