日本をセールス!通訳案内士

日本観光、エンタメ、旅行、英語etc 日々の雑感

旅日記

2012-06-22 01:10:04 | 日記


先日 大阪と京都に行った。
「茶道を英語で伝えよう」という
研修なのだが こういう体験ものは
口伝するものではなく、見て感じるものだから
あまり口やかましくガイドをするのはどうかな
という印象を持った。

参加後に反省したことがある。
それは 京都は龍安寺にてのこと。
ご存知のごとく、
修学旅行生や外国人観光客でかなりごったかえす
場所である。
案内するものとしてはマストスポットなので
それなりの準備(というか当時は棒暗記である)しておくのだが、
本来は体感する場所なのに
覚えたての知識を大披露大会!となっていたようだ。

披露する内容に盛り込むべきことは、調べて英訳しておく(大概はキーワードではある)
「どこから見ても本来15個ある石郡が13や14個に見えます。それは人間は真理をすべては知りえないということです。」
(本当はすべて見える場所があるが それはあえて言わない。自分も知らなかったのだが
なんども行くうちに中学生を引率しているタクシー運転手が15個すべて見えるところを
話しているのを見て知ってしまった。)

「壁は遠近法を、また借景を用いて奥行きのある庭園に見えます。」
などなどを 英語で説明していたのだが 
伝えることに精いっぱいで
つい大声になってしまっていた。

「かなり奢っていたな。」と痛感した。
よくよく考えてみればここは禅寺。
どう解釈しようと自由である。石庭前に座り、沈思黙考する場。
自分との問答(対話)ができ、何か発見があれば
それがどんなものであろうと来た意味はあったのだと思う。

その後 
平安神宮にいき説明をすることになった。
どんな質問があるかといえば・・・

・なぜ酒樽があんなにたくさんあるのか?
・注連縄の前にあるビラビラした紙は何か?
・なんで朱色なのか?
・神社は寺院はどうちがうのか?

そんなことはたぶん質問されるだろう想定内である。困ったのは絵馬に近づき
「どういうことが書いてあるの?」
たまたま取った絵馬の願い事は

「一日も早く尚子と良二が別れて、私と
幸せな家庭を築けますように。」(名前は仮名)

だった。
なんかどろどろしているのでとなりの

「第一志望の京都大学に受かりますように」
にすりかえた。平安神宮で縁切りはちょっと・・・
前者は縁切りだから安井金毘羅宮に行けばいいのにな。

でも絵馬はやはり見ていて飽きなかった。
「世界中の虫が全滅しますように」ばりの
面白絵馬はなかったのが残念に思ったが。

松本清張

2012-03-29 00:32:15 | 日記


近所の古本屋で松本清張「点と線」を買った。
さすがと思わせるような文体だったのでスラスラと
あっという間に読んでしまった。読み切りたいため
新宿駅の特急待合室にしばらく篭ってました。

4つの決して崩せないアリバイを崩していくのだが
時代を感じさせる部分もあった。
例えば「電報」。鉄壁のアリバイの道具として出てくるのだが
物語の筋とは別にどうやって電報って打ったのだろうと気になった。

今だったら携帯で直電するか、メールを残すだろう。
GPSを使えば居場所だってわかってしまうこと。

この背景の時代は昭和30年代初頭くらいで、戦争からの復興も一段落し、
所得倍増となり 旅行に出るという贅沢も現実味を帯びてきた頃である。
日本全国 津々浦々鉄道網が敷かれ、動くホテルと言われたあさかぜをはじめと
するブルートレインが走りはじめ、
東京 大阪間には日帰りを可能にした153系こだま号も
登場したりと明るいニュースが続いた。まだまだ旅の基本は鉄道であり、
チケットを取ることも現在より各段に困難だったらしい。

鉄道ファンの目から読んでみると、寝台特急あさかぜの旅っていうのが
羨ましい。東京博多17時間もかけての旅。
発売された時代では20系が出る前の10系だったのかもしれないが
乗って見たかった。

もっとも特ロや2等だったら快適なのかもしれないけど これが3等だったなら硬い
ボックス席で20時間も過ごすことになるわけで これは嫌だな。
考えてみれば一部の特急を除いて この頃は冷房なんてないんだった。

鉄道博物館に行けば、20系の実車がある。外から中を覗くだけだけど
3段寝台は狭そう。横になれるだけでも豪華だった時代なのか。
現在のカシオペアなどと比べると設備は見劣りするが 当時の最先端だったと
考えるとパイオニア車と言えるのかもしれない。

犯人のトリックを暴こうとする刑事は犯人は飛行機で移動したのではないかと
考え、JALの福岡→羽田、羽田→千歳のフライトスケジュールを見て
移動可能なことを突き止めるが
読んで真っ先に「飛行機で移動したのでは?」と考えた。
この作品が発表されたころ読者の多くは飛行機移動なんてなじみがなかったから
こんなトリックが斬新に思えたのだろう。

これって時代背景がかなり関わっているのではないか。
きっと当時は飛行機は存在していたがそれ程大衆化していなかった。
話の中では2、3日前までに予約が必要で当日ではまず搭乗できないだろう
と言っている。ってことは庶民の足は鉄道(3等車)だったのだろう。

意外性と当時の社会背景がわかる点もよかった。







道案内

2012-03-26 00:05:01 | 日記



某日 新宿駅 JR西口地下改札口で見知らぬ、外国人女性に声をかけられた。
全く日本語はわからないようだったが、メモに「亀戸」と書いてあった。
改札の前でどうして良いかわからず、困っていたのだろう。

この外国人に英語で説明した。

まずは亀戸を一旦ローマ字でKAMEIDOと書き、運賃表(ローマ字)を一緒に確認しながら
持っていた傘を指し棒にしてYour destination is here, Kameido.
でも、わからない様子だったのでYou are going to Kameido. Right?
この時点で周りの人がジロジロ見てくるので小っ恥ずかしい。
でも、
やった!!通じた。次はその料金表の210円をまたまた指して、
Your fare will be 210 yen. And insert coins and press the button saying 210.
そして出てきた切符を取り、さああとは13番線の総武線各駅に乗れば一本でいけるからと
説明した。Ok,OK.と答えてくれたもののわからないかもしれないと思い
近くの駅員さんに頼んだ。
 
「この方は亀戸に行きたいと言っていますが、どの列車に乗ればいいのか
わからず困っているようなので、ホームまで連れていって欲しいのですけど?」

すると

「13番線行ってください。」とにべもない返事、しかも日本語。

それはもう伝えてあるんだけど・・・。案の定改札を少し入ったところで立ち止まっている。

駅員さんは忙しいのだろうが案内することも仕事の一貫なのでは?
困った様子の外国人を見捨てるみたいだったから
この駅員に「困っている様子なのでホームまで案内してきたいのですけど、いいですか?」
と訊いたら「130円です。駅構内に入るのであれば入場券が必要です。」

えっ、なんだかなあ!!

結局、たかが数10メートルで済む案内をしに入場券を買って見送ってあげたのでした。

果たして英語が通じたかどうかは疑問だ。見た目も反応も、漢字を使っていたことからも
中国人のようだったから。ただ、伝えようとしている気持ちなんかは分かってくれたのでは
ないか。こういうものこそ草の根レベルの日本セールスで、日本よいとこ、一度はおいで
となって評判や噂は広がって行くはず。そう願う。

鉄道や航空、バスなどは外国人がまずお世話になる交通手段。
移動するのが主目的かもしれないが
どんな旅にせよ移動車中も雰囲気を作る部分である。
ガイドや添乗員がついていようがいまいが
旅全体のうちのかなりを占めるだろう移動中が少しでも快適で
いいものであるように作っていけるのは接したり、対応する人間。
つまりはソフトの部分なのだ。
ハード面は鉄道に関していえばかなり先進的だと思う。
定時運行も、揺れの少ない快適な車内も
駅構内の設備も利用しやすいから。

それでも旅の思い出に一番残るものって出会いやふれあい。
人とのコミュニケーションが軸だろうなあ。





キテレツな人々

2012-03-20 00:12:45 | 日記


日本が誇れるものと訊かれて 真っ先に思いつくものは新幹線。
東京駅で通勤列車なみの3分間隔で発車していくさまは圧巻である。

以前外国人に「のぞみ○○○号 東京6時03分発」というのはミスプリントではないかと言われた。
6時ちょうどではないの?と。
そんなとき
実は15秒間隔で発車時刻が決まっていることや停車位置がピッタリなことにすごく驚かれる。

まあ、TGVやAVEのようなヨーロッパの優等高速列車でさえ、確かに最高速度は300キロを超えているかも
しれないけれど、定時発車、到着の厳密性では日本のそれよりファジーだし、
ターミナル駅の到着番線だって、その日になってみないとわからないこと多いことを考えれば
几帳面な日本人気質を表しているよなと思う。

さて、JR中央線の混んだ車内にて。
新宿駅で乗り込んで来た客に押されて目の前が酔っ払いのオヤジの目の前にいた。
なんとこのオヤジは口のなかのカスを取りたいらしくて、指を口の中に入れてもぞもぞとしていた。
そしてなんと手にとったカスを目の前の吊り棒にこすりつけていた。ティッシュを持っていなかったかららしい。

それからまた口の中に手を入れてもぞもぞもぞ・・・。
それから歯が出てきた!上の歯の入れ歯がそのまんま出てきて、それを何かに拭おうをしていた。
自分の意志とは無関係に押されて、そのオヤジの方にますます近づいていく。
そして、そのカスのついた歯を他人の服で拭こうと擦りつけてきそうになったので
腕を掴んで阻止してしまった。

歯が出てくるだけでも驚きなのに・・・カスまで人に拭おうだなんて こりゃおそろしである。

学生のころからシャドーイングを行なっている。
通学時間は絶好のタイミングでヘッドホンをつけながらぼそぼそとやるわけだが、
ある時はたと気がついた。
ブツブツぼそぼそは傍から見ればキテレツな人。つまりは上記の歯クソオヤジとおんなじように映って
いるのではないか?

それからマスクをしてシャドーイングに変えた。これなら花粉症防止、風邪の予防というように
思われ安心だな。と一件落着な様相だったが、
意外にもマスクが動くのだ。
英語の発音を真似しようとすればするほど
口の動きが激しいので動く。

すると少しずつマスクがずれ、下がってしまう。
リテンションの記憶保持能力もあまりないので
少し長いセンテンスが来ると声もだんだん大きくなるみたいで
またキテレツの仲間入り〜。

なにかいい方法はないか模索中である。アイデアがあればお聞かせください。




時の流れに・・・

2012-03-17 00:45:38 | 日記


東海道新幹線からのぞみ初期型で使われていた300系が引退した。
♪のぞみで行くからね〜♪デビューした当時 こんなフレーズのCMが確かあったはずだ。

ここ一年の間に京都や大阪に行く時、最新のN700系を期待していても
やってくるのは700系でもなく、300系ばかりだった・・・。特に意識をしていたわけでも
ないのだがのぞみもひかりもやっぱり300系。縁があったのかも。

さて、このダイヤ改正で寝台特急「日本海」「きたぐに」が定期列車から消えた。
よーくみてみるとこれまで特急用車両を使っていて乗り得列車とされた東京5:20発の普通列車静岡行きが
沼津行きで近郊型車両に変更となってしまった。残念。

その昔「青春18切符」で東京から名古屋まで行こうとしたら熱海から静岡まで3両だか5両だかのロングシート。
旅感ゼロ、日常の延長な感じだった。車内で弁当を食べるといった鉄道の旅を満喫はできなかった。

自分のなかで旅行は列車に乗ることも重要な要素で、車内で米原万里さんの本を読み、時々車窓を眺め、一瞬見える
富士山や田んぼに何度も出てくる727の赤い看板に目をやる。静岡を過ぎた頃にデパ地下で買ったちょっと高級な
お弁当に舌鼓を打つ。こんな感覚は普段味わえないので楽しくなる。
さらに
列車外がどんなに悪天候であろうと、大雪だろうと、ものすごく暑かろうと車内は快適そのもの。
なんとなく大名気分に浸れるのも嬉しいところ。
その一方でバスは時間が読めないということもあるが、なんとなく窮屈で動き回れない、
さらに本など読んだ日にはあっというまに酔い不愉快この上なくなるというのが難点。

さて、川の流れのように時は流れ、気が付けば2012年。通訳案内士で頑張っている同期はもう中堅どころか
人によってはベテランと言ってもいいかもしれない年月が経っている。
毎年、新人研修のある頃になると研修や通訳団体などに入会したと思うのだが、
仕事をしているので時間と暇を許さない。

ウェブサイトやはるか前の研修で知り合った顔が京都、清水の参道にあった。
熱心にお客さんの質問に答えていたから挨拶は遠慮したが、日本全国に知り合いができたようで
ほくそ笑んでしまう。

みんな出会う人が生き生きしてる(ように見える)から絶対にやりがいはあるだろう。
何より飽きない、毎回が新鮮な仕事であるとは思う。
現実当分の間 専業ではできないのため ガイド2次試験対策で仲良くなった方、
同じ通訳ガイド合格講座?(正式な名称は忘れた)教室に通っていた方などに会うと
覚えられない苦労・勉強を共有した分だけテンションもあがるもの。できればハイタッチをしたい気分である。

さくらの花の咲く季節がやって来る。気候も穏やかで過ごしやすい春、訪日外国人が増え、
通訳案内士が活躍する場面も増えるだろう。桜の名勝上野公園で、千鳥が淵で、小金井公園で偶然の出会い
があればいいな。こんなセレンディピティなら大歓迎。