秋津クラウドのgooブログ

東村山市秋津町の Food & Bar CLOUD のブログ
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地震の日

2011-03-25 16:14:56 | その他
地震から2週間経ちました。
皆様それぞれが、色々なことを経験した日々だったろう思います。
本当に大変な被害に遭われた方々に謹んでお見舞い申し上げます。

あの日の私のことをご報告致します。

私は人混みが嫌いで、都心に出ることと言ったら年に数回片手に収まる程度しか有りません。
自転車で逆の方向へ行く事や釣りに出かける事の方が多いんです。
ところが、あの地震の日に限ってたまたま渋谷に居たんですね。
今年初めての山手線内ですよ。

少し前に、とあるお客様から「180°SOUTH」という映画を薦められておりました。
観に行きたかったのですけれど上映期間が短くて、私が観るチャンスは11日の日中が最後だったのですね。
観に行けたら行きたいなぁと思っていたのですけれど、当日何故か朝10時頃に目が覚めたんです。いつもは12時頃起きるのに、たまたま早起きしてしまって「これなら行ける!」と思って、渋谷で1時から上映の部に間に合うよう出発しました。
今思えばこの早起きも地震をシックス・センスが察知しての事だったのですかね?(笑)

渋谷に着いて、出来れば食事をしてから映画を観たいと思っていたのですが、時間が無くてとりあえず食べる前に観ることにしました。
映画はまあ、面白い映画だったわけですがとにかく腹ペコで、終了後映画館のそばのスパゲッティの店に入りました。

オーダーして品が届いて、半分くらい食べていたところで私はすぐに異変に気づき、スパゲッティを巻いているフォークの手を止めました。ユッサユッサ鈍く店内が揺れているではありませんか。
しかし、周りの人たちはおしゃべりやメイルに夢中で気づいていない様です。ですから私は最初のうち、「この場所は車の通りなどでよく揺れる場所なのか?」と思いました。
それにしても、これは尋常じゃないよ。店内の照明も結構振られているし。そのうち辺りの人々も騒然としはじめて、厨房の方からは「ガランガラン!」と金属製のボウルか何かが床に落ちる音が聞こえてきました。
私はフォークを皿の上に置き、荷物をつかみ、いつでも脱出出来る体制を整えました。店員のおばちゃんは「意外とこういう古い建物ってしっかり出来ているのよ!」みたいな説得力のない気休めを言っていて、「お金を払わないと出さないわヨ!」という感じの雰囲気でした。
古めのビルの一階に有ったこの店舗は、果たして大地震でも大丈夫なの?という気がしていましたが、外に出たとしても大丈夫とは限りません。スペイン坂の上あたりのビルが林立している地域です。居たビルがダメであれば、外に出ても周りのビルも倒壊やらガラスが降ったりするでしょう。とにかく、どうにも身動きが取れないまま最初の揺れがただ終わるのを待つしかありませんでした。
大きなストロークでずいぶん長く揺れが続きます。窓ガラスが大きな店だったので外を見やると、街路樹もユサユサ揺れていて、通行人もパニック気味です。
ようやく揺れが収まって、とりあえず残りのスパゲッティを平らげてとっとと店を出ました。帰って店を開けないと、でもあの揺れじゃ電車はストップだろう?それを確認しに渋谷駅へ向かいます。

既に駅前には人が集まっていました。しかし、まだテレビのニュース程ではありません。当然電車は止まっていて、途方に暮れている人が集まっている訳です。
兎に角帰らないと、と思いとりあえず新宿方面を目指す事にしました。
携帯電話は通じず、スマートフォンを使っている訳ではないので情報も乏しく、この時は関東地方が震源であると思っていました。
歩いていれば、いずれ電車も復旧するんじゃないか?と

渋谷から原宿へ向かう道の途中で




ビルの窓ガラスが割れていました。




揺れの大きさを目の当たりにしました。
こんな場面をカメラに撮っていると、大きな余震が襲ってきました。
近くのビルの屋上にある避雷針がビヨンビヨン揺れています。
まだ窓枠に残っている割れたガラスがユラユラ揺れて今にも落ちてきそうです。
「こんな所にいちゃいけない」と思いました。都心は広く建物がない場所が少ないので、こんな揺れ方が続くようじゃ落下物を避けたり仮に建物が倒壊した時にも逃げようがありません。今後もこんなに大きな地震が群発的に東京に続いたとしたらと考えると「もしやこの世の終わりなのか?」くらいに思いました。

しかしまあとりあえず、営業が有るので帰らなければなりません。とにかく家路につかないと。もしかするとそのうち電車も復旧するかもしれない。
西武線は結構災害に強いから、とにかく西武線沿線まで出ようと目指します。



代々木の体育館です。
フットサルか何かのイヴェントが行われていたみたいですが、中の人は皆出された様です。
屋根の補修か、足場が組まれていましたがそれは崩れてはいませんでした。
これを撮っていた最中、原宿駅近くの陸橋からだったのですが、また余震が来て陸橋がブヨンブヨン縦に揺れていました。

原宿駅前は人があふれていて、通行がしづらい状況でした。
私と同じように歩いて移動する人も増えてきて、山手線沿いの道は人の流れが出来はじめていました。代々木駅の辺りではガス漏れが起きたらしく、通行出来ない区間が生じてもいました。



代々木から新宿の間では小田急線がストップしていました。
なんともちょうどイイ所に止まったものです。

都庁の前を通って、青梅街道に出ようと考えました。
意外と都庁周辺は静かな雰囲気でした。
もっと、大騒ぎになっている地域かと思っていたのですが。



青梅街道に出ると、既に下り方面は渋滞が発生。
歩行者も列をなしています。
中野坂上あたりで青梅街道を外れ、中野駅方面を目指します。

中野駅から少し外れたコンビニで、誰も使っていない公衆電話を発見。
職場関係に連絡をとります。「開店時間にはたどり着けそうもない」旨を伝えます。
駅から少し離れた所だと空いている公衆電話も有るのですが、駅前の公衆電話には行列が出来ています。「あっち空いていましたよ」と教えてあげましたが、皆さん長らく公衆電話なんて使いませんでしたもんね。公衆電話も減っていますし、在処を忘れていますよね。

中野駅周辺も人があふれていて、バス停には長い行列。
とても並んでいられないと思い、西武池袋線方面に歩を進めます。
中野駅から2つくらい行ったバス停あたりを歩いていると、練馬行きのバスがやってきた。
そこのバス停は空いていて乗れる様なら乗ろうと、並んでみると運良く乗ることが出来た。

練馬駅まで体力を使わずに行く事が出来た。駅の入り口まで行き、駅員さんがお客さんの対応に追われているのを見ると、「こりゃぁしばらく復旧しそうもない」と思い、また歩かなきゃならんなぁと駅の外に出た。近くの電気屋さんの店頭のテレビに人が群がっていて、私も遠目にのぞき込むと、津波が押し寄せてくるニュース映像が流れていた。ここに来てようやく東北ではもっと悲惨な状況が起きているという情報を得たのだった。山手線圏内あたりを歩いているときは、あれだけ強い揺れだったのできっと関東が震源だったのだろうと思っていた。中野駅あたりで「東北地方が震源」と聞かされたが、ようやっと6時頃練馬に来た所で津波の被害を知った。

今度は西武線沿線を歩く事になりました。
かつて終電で保谷駅で降りることになり、そこから歩いて帰った事が有りましたが、その時の事を考えると今までそこそこの距離を歩いてきた上に、練馬から秋津まで歩いて帰ることは非現実的に思えてきました。
どこかで歩き以外の方法に切り替えなくてはならないと考えていました。
まず、思いついたのは自転車を購入するということ。しかし、持ち合わせが1万円程しかなく、購入するとしたらクレジットカードによるしか有りません。ところが、練馬駅周辺の自転車屋さんは個人経営の小さなお店しか見当たらず、クレジットカード決済が効きそうもありません。自転車店を探しながら沿線を歩きましたが、ついぞ購入出来そうな店は見つかりませんでした。やがて日も暮れ店を開けている所も減っていきました。

仕方なしに歩き続け7時頃、石神井公園駅まで来た所でだいぶ冷え込んできたので温かい物が食べたいなぁと思い、ラーメン屋に入りました。
ラーメン屋さんも帰宅難民者で結構混雑していました。諦めちゃってお酒を飲んでる方も居ます。
そこで、この日映画に行く事を伝えていた、とあるお客様とメイルのやりとりを交わしました。そのお客様はその時大手町の現場から車で帰る途中で、青梅街道の大渋滞の中を走行中で、中野付近にいらっしゃるという事でした。
そこで、なんとか青梅街道まで出てその方の車に乗せてもらって帰る方法を思いつき、とりあえず車に乗せてもらえる手はずをメイルでやりとりをして決めました。
ラーメンが届き、食べようとしますが初めのうちは手がかじかんでいて箸が上手く使えません。ですので両手でどんぶりを持って手を温めながら、スープをすするしかありませんでした。
ようやく手が回復して箸が使えるようになった所で麺をすすり、添えのライスも食べてカロリー補給OK。

今度は石神井公園駅から荻窪行きのバスに乗ります。
バスはあまり交通渋滞の影響を受けることなく、わりと頻繁に行き来していました。
10分程待つと到着し、乗り込みました。荻窪駅に向かいながら、バスは北から南に走るわけですが、帰宅する車の大部分は東から西に移動して渋滞しているわけです。バスから東西に走る道を見ていると、混雑している道路とそうでもない道路がありました。
青梅街道付近の四面堂のバス停で降りまして、もちろん青梅街道は大渋滞ですが、青梅街道に続いている東西に走る道路、早稲田通りや千川通りはやはり関連して渋滞している様に見受けられました。

四面堂から青梅街道を今度は上り方面に向かいながら歩きます。歩きながらメイルで連絡を取り、乗せてもらえる手はずの車を探します。
下り方面に向け徒歩で帰宅する大勢の人の波を目の当たりにしました。なるほど、こういうことになるのか。

青梅街道の成田東5丁目交差点付近で、お客様に車で拾ってもらうことができました。
渋滞しているとは言え、車って本当に便利です。中は暖かいし、歩かなくて良いし。
途中から青梅街道を外れ、細い道から大泉学園駅付近を経由して関越の側道を抜け、帰って来ました。印象としては、北の方の東西に続く道路の方が空いていた気がします。
送っていただき、本当に感謝です。


帰って来たのは12時ちょっと前。
それから店を開けました。
それぞれの方のこの日経験したお話を聞けるのではないかと思ったからです。
4名様ほどお客様がお見えになりました。
皆様それぞれの地震体験談をお話し下さいましたが、中でも「東京ビッグサイトから走って帰って来ました」という方には驚きでした。
私なんて大したことない、ヘタレだなと思いました(笑)。

今回、東京も地震の影響を受けたとはいえ、今後さらにひどい震災が東京を襲う可能性が無いわけでは有りません。その可能性を考えた上で、今回のそれぞれの個人の経験が今後の災害発生時に生かせるようにしたいですね。

クラウドWEB

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