ほっかも!!
ゴールキーパー北野貴之のつれづれ日記
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まさか、今ここにいるとは。
皆さまお元気お過ごしでしょうか!?

自分は、7月15日に、半袖、リュック、あともう一つ大きなコロコロをもって、夏服、海で泳げる道具、長旅になるからある程度できる筋トレ道具を詰め込んで、山の中にあるベースキャンプホームを出ました。
その一番最初の場所は東京。
まずは、着いてすぐ髪を切りに。
3月31日を最後に髪を切っていなかったので、7月17日に髪を切りに行きました。
今まで一番髪を切らない時期でした。




そして、1週間東京で挨拶回りをして、まずは目的地として決めていた、新潟県へ。
この新潟県へ行くということは、コロナがここまでならなければもう少し早めに行く予定でした。
そして、島へと渡りました。それが、24日。













8月19日までいました。沢山の出逢いがもちろんありました。
米農業で生計を立てる方。
縫製のおばあちゃん。
ラーメン屋のお母ちゃん。
毎日一生懸命生きるおばあちゃん達でした。










当分戻らないことを想定して、おばあちゃんの皆様にしっかり挨拶をして、島をでました。
そして、一度新潟市の方へ戻り、挨拶回り。
それが、19日20日。
そして、21日にまさかのすぐに島に戻ることになるとは思わなかったです。(驚)
一番びっくりしたのは、おばあちゃん達だったと思います。

着いた日に挨拶回りをまたしに行きました。それは、びっくりですよね!!

そこから、出逢ったおばあちゃん達とさらに親交が深まり、畑の収穫をしに行ったり、色々とお手伝いをしたり、もっと深い話をしたり。
そして新潟からの来客者を待つ日々を送りましたね。

昼は海、夜は星空。






 










そして、新潟の大切な来客者待って8月5日に島を後にしました。
その挨拶回りの時に、本当に当分お別れのつもりが、そのときにあるおばあちゃんの一言でまた戻ることを決意して、8月18日に戻ることを話して島を離れました。
その一言とは。
引きづりながらやっとのことでお米を担いでいるお爺ちゃんを何度かみては、何回か僕が持ちますよと手を差し伸べたことがありました。

そのおばあちゃんの弟も、最近は30キロのお米を持つことが困難になってきて、あんたみたいな人がいたら、どんなに嬉しいことかという一言を聞いて、自分が戻ってくるから待っててねと。
お別れしました。
もちろん携帯を持ってないおばあちゃんとは、口約束のみでした。


まさか、今日が当分離れる島だと思ったのに、あの綺麗な夕日をまた見にこれる約束をするとは。






前編はここまで。



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