最近、ふと思うのだが「文春砲」などと言われて個人叩きをしている商業誌やジャーナリストたち(自称も含め)は「どこまで攻撃したいのか?」がよく分からない印象だ。
結局はネタを小出しにして追い詰めていき最終的には「死ね!」と言いたいのだろうか?
物事には「テーマ」があって最終的には「結果」があるわけでその過程が「手段方法」になるワケだ。
彼らがやっているのは「手段方法」でもちろんそれに「結果」は必ずついてくる。
「テーマ」に基づいて「どこまでやるか?」がよく分からない叩き方だなぁと感じるワケだ。
もちろん人は追い詰めればその度合いによって身の振り方を考えるのだが、逃げ道なく徹底的に叩けば予期しない行動にもでかねない。
今の時代は「人に対する攻撃のやり方が最終的なところまで行く」と考えているのならば大変危険な考え方だと思うね。
昔は「ここまではいいが、これ以上はダメ」というボーダーラインがあったと思うが、今はそのボーダーラインを知らない(分からない?)人が他人叩きをやっているなら、おそらくその先は地獄と化すだろうね。
もう一度聞くよ?
アナタ方は「最終的にどこまでやりたいのが?」ってこと。
これは商業誌やジャーナリスト(自称も含む)だけではなく世論や一般人にも当てはまるテーマだろう。
もちろん罪を犯したり人の道を外した人がいるなら責められ罰を受けるのは当たり前なんだが、それを課すのはそれなりの責任と権限を持った人であって一般人やマスコミではない。
人を裁くのには責任があるわけで個人的感情やましてやカネではない。
もし「目には目を歯には歯を」と考えているのならあきらかな時代錯誤だね。
そう言った意味ではコレからの世の中はいかに聞き的状況であるかをもう一度考えた方がいいとオジサンは思うよ。
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