先先日インチキ居酒屋で小林繁さんの話題が出て回想した。
今までも何度もブログに書いてきたが、
僕が初めて小林繁名誉総監督とお会いしたのは忘れはしない
松岡町の夢パーク練習場だった。
当時の監督である現敦賀気比高校野球部東監督から
「小林さんが練習来てます」と連絡を受け挨拶しないとと向ったのだが
グランドで子供の練習を見ている小林さんには近づけなかった。
それ位オーラが出ていて、野球の場面で近寄るな!雰囲気だった。
そんな中、ある保護者様と話をしていた。
保護者「事務局ってお酒飲むとき何も食べないですね」
事務局「タバコがおかずなんだわ」と話しした時だった。
ベンチにいる小林さんが大笑しながら
「貴方もそうですか?僕もタバコがおかずなんです」
それが初めての会話だった。
そしてその夜、初めて食事をさせて頂いた。
二件目では自前の歌「昨日の女」を聞いて感動・・・本物だった。
それ以来、何度も練習に顔を出して下さり、
子供の指導にあたって下さった。
その内、ヤングリーグ東北大会にエントリーする事になり
小林さんも遠征に同行・・・初代オールスター福井のオンボロバスに
乗り、一路福島県まで、夕方5時の出発だった。
泊まりは少年自然の家・・・1泊2食付で2000円程度の施設だ。
巨人軍、阪神タイガースで元エース、沢村賞2度受賞の大エースを
自然の家・・・葛藤はあったが、これが少年野球の行動。
例え小林さんでも特別扱いはしなかった。
遠征が終り、保護者さんから注意を受けた。
「小林さんを何だと思っている・・・ホテル代位出します!」だった。
そして、次の京都遠征・・・ビジネスホテルを予約しておくと
なんと!小林さんは取材で急遽来れなくなった。
すると、遠征が終った練習場で
「事務局よー俺が居ない時はホテルか~」と笑いながら小林さんが・・・
いやいや・・・と言い訳すると
「冗談だよ・・・俺はな~子供と一緒が一番嬉しい」
「バスで行って子供と同じご飯食べて・・・だから特別扱いするなよ」
救われた言葉だった。
この写真を見て欲しい
小林さん・・・足を広げて!お行儀悪いと思われるだろうが
この時、小林さんが放った言葉
「これで全員俺と触れ合った写真が取れただろう」
何もかもが優しさと愛情に包まれた方だった。
小林さんが話しをすると、何故か全員が正座で背筋を伸ばしてしまう
それ程偉大さがあった。
そんな小林さんも57歳で亡くなり
二度と話しが出来なくなってしまった。
札幌ドームで行われた日本ハムVS阪神のオープン戦。
小林繁氏追悼試合だった。
オープン戦なのに超満員だった。
当時のオールスター福井エース山本翔大君が始球式
試合終了後ダルビッシュ投手にもサインを頂いた。
色々な事、野球だけでなく人としての教えを頂いた。
小林さん自身も引退から波乱万丈な生き方をして行く中で
顧みて学び人生観を変えた一人だろう。
法名は、「球愛院釋静繁」球を愛する
本当の野球人だった。
記念碑は、皆様の徐財を受けて松岡町の本覚寺に建立させて頂いた。
せめてもの感謝の気持ちだ。
野球の神様に是非挨拶に行き、助けてもらって下さい。
回想