☆クジラとイルカとの出会い☆
舞台は、私が小中学校時代を過ごしたアメリカ中西部のミズーリ州。
海からは程遠い場所であるにも関わらず、この頃から
クジラとイルカという動物に何となく興味があった。
小学生の時に、遥か遠きカリフォルニア州の
自然保護団体が行なっていた
“Adopt-A-Whale Program”という
基金に寄付したのを覚えている。
内容としては、一定のお金を寄付する代わりに、
その保護団体が追跡調査している数々の
野生クジラの中から一頭好きなのを選び、
そのクジラの“里親”になることができる。
すると毎月、そのクジラの追跡記録などが郵送されてきて、
その成長を見届けられる、という面白いプログラムだ。
ちなみに私のクジラの名前は“Midnight”。
可愛らしい真っ黒の赤ちゃんクジラだった。
その頃は、「イルカよりもクジラの方が人気がなさそうだから
私はクジラ派になろう」という意味不明な同情心でクジラを
守る活動に賛同していた。しかし、高校生の時に偶然見た
TVドキュメンタリーをきっかけに、私は一気にイルカ派に
転身したのであった…!!
このドキュメンタリーとは、日本の自閉症の子供達を
野生のイルカに会わせることでセラピーを
試みていた、アメリカの団体についてのもの。
両親とでさえ目を合わせようとしなかった5歳くらいの子供が、
ボートからイルカを見た瞬間、初めて笑顔を見せたのだ。
そして驚くことに、自分から体をのめり出して、イルカと一緒に
水に入りたがったのである。
これには両親も言葉を失い、涙を流して喜んだ。
他者とのつながりを一切拒んでいた子供が、
初めて心を開いたのがイルカだったのだ。
私がこの団体の活動に感銘を受けたことがもう一つある。
それは、イルカを野生の状態で扱っていることだ。
日本、そして世界に数多く存在する、イルカの「癒し効果」を
商売にする施設や水族館。
「イルカが人を癒す」→「イルカをプールに閉じ込めて、
人を癒す商売に使う」
私はこの発想に、ものすごく疑問を感じる。
例えて言うならば、おとぎ話に出てくる魔法の小槌。
欲を出し、商売目的にその魔法を使った途端、
バチが当たって小槌からはゴミしか出てこなくなる、
という話に似ている。 (確かそんな話だった…)
なぜイルカは自分の幸せを犠牲にしてまで
人間の幸せに貢献しなければいけないのだろう?
私はカリブ海やオーストラリアで、野生のイルカを何回も
見たが、水族館で見るイルカとは全く違う生物なのではないかと
思うくらい、自由気ままで生き生きとしていて、
真の野生のたくましさを感じた。
初めてカリブ海のベリーズという国でボートからイルカを見た時、
私はそのあまりの人間への無関心さに戸惑いすら感じたのを覚えている。
イルカは魚を取ったり、恋人とじゃれ合うのに必死で、
私たちのボートなんてほとんど眼中になかった。
「イルカってもっと人間に興味津々で、
向こうから近づいてくるものなんじゃないの?!」…と
私は内心ちょっとガッカリした。
それから3年後、オーストラリアでのワーホリ中は
数え切れないくらいのイルカと海で遭遇した。
サーフィンをしていると、ブハッ!!という(イルカの
頭上の噴気孔から息を吸ってる)音と共に現れる、
優雅な曲線を描いた背中と尾びれ。
この瞬間、私はいつも心臓が口から飛び出しそうになる。
「イルカだ~~~!!!」と心の中で叫ぶ一方で、
「いや、まさかサメ…?!」っていう疑惑もあるからだ(笑)
運のいい日は、イルカがサーファーに興味を持って、
からかうようにサーフボードの下をすごいスピードで
くぐっていったり、同じ波に乗ったり、なんとなく近くで
様子を伺っていたり。でも大体の時は、どこかエサが豊富な
所へ向かっている途中なのか、熱い視線を送る私を横目に、
あっさり通り過ぎていくだけである。
野生のイルカはよほどのことが無い限り、
人間に触らせてくれることはない。
良く考えれば、野生の動物なのだから当たり前のことだ。
最初はちょっとショックだった、イルカのクールさだが、
良く考えるとそれがイルカの魅力のような気がする。
忠実な飼い犬のようなイルカより、自由奔放で、
一瞬姿を現しては、またすぐもっと楽しい所を
求めて消えてしまう…そんなニクいイルカの方が、
私は心を惹かれてしまう。
photo: one of my favorite photographers,
高砂淳二さんの写真集より
舞台は、私が小中学校時代を過ごしたアメリカ中西部のミズーリ州。
海からは程遠い場所であるにも関わらず、この頃から
クジラとイルカという動物に何となく興味があった。
小学生の時に、遥か遠きカリフォルニア州の
自然保護団体が行なっていた
“Adopt-A-Whale Program”という
基金に寄付したのを覚えている。
内容としては、一定のお金を寄付する代わりに、
その保護団体が追跡調査している数々の
野生クジラの中から一頭好きなのを選び、
そのクジラの“里親”になることができる。
すると毎月、そのクジラの追跡記録などが郵送されてきて、
その成長を見届けられる、という面白いプログラムだ。
ちなみに私のクジラの名前は“Midnight”。
可愛らしい真っ黒の赤ちゃんクジラだった。
その頃は、「イルカよりもクジラの方が人気がなさそうだから
私はクジラ派になろう」という意味不明な同情心でクジラを
守る活動に賛同していた。しかし、高校生の時に偶然見た
TVドキュメンタリーをきっかけに、私は一気にイルカ派に
転身したのであった…!!
このドキュメンタリーとは、日本の自閉症の子供達を
野生のイルカに会わせることでセラピーを
試みていた、アメリカの団体についてのもの。
両親とでさえ目を合わせようとしなかった5歳くらいの子供が、
ボートからイルカを見た瞬間、初めて笑顔を見せたのだ。
そして驚くことに、自分から体をのめり出して、イルカと一緒に
水に入りたがったのである。
これには両親も言葉を失い、涙を流して喜んだ。
他者とのつながりを一切拒んでいた子供が、
初めて心を開いたのがイルカだったのだ。
私がこの団体の活動に感銘を受けたことがもう一つある。
それは、イルカを野生の状態で扱っていることだ。
日本、そして世界に数多く存在する、イルカの「癒し効果」を
商売にする施設や水族館。
「イルカが人を癒す」→「イルカをプールに閉じ込めて、
人を癒す商売に使う」
私はこの発想に、ものすごく疑問を感じる。
例えて言うならば、おとぎ話に出てくる魔法の小槌。
欲を出し、商売目的にその魔法を使った途端、
バチが当たって小槌からはゴミしか出てこなくなる、
という話に似ている。 (確かそんな話だった…)
なぜイルカは自分の幸せを犠牲にしてまで
人間の幸せに貢献しなければいけないのだろう?
私はカリブ海やオーストラリアで、野生のイルカを何回も
見たが、水族館で見るイルカとは全く違う生物なのではないかと
思うくらい、自由気ままで生き生きとしていて、
真の野生のたくましさを感じた。
初めてカリブ海のベリーズという国でボートからイルカを見た時、
私はそのあまりの人間への無関心さに戸惑いすら感じたのを覚えている。
イルカは魚を取ったり、恋人とじゃれ合うのに必死で、
私たちのボートなんてほとんど眼中になかった。
「イルカってもっと人間に興味津々で、
向こうから近づいてくるものなんじゃないの?!」…と
私は内心ちょっとガッカリした。
それから3年後、オーストラリアでのワーホリ中は
数え切れないくらいのイルカと海で遭遇した。
サーフィンをしていると、ブハッ!!という(イルカの
頭上の噴気孔から息を吸ってる)音と共に現れる、
優雅な曲線を描いた背中と尾びれ。
この瞬間、私はいつも心臓が口から飛び出しそうになる。
「イルカだ~~~!!!」と心の中で叫ぶ一方で、
「いや、まさかサメ…?!」っていう疑惑もあるからだ(笑)
運のいい日は、イルカがサーファーに興味を持って、
からかうようにサーフボードの下をすごいスピードで
くぐっていったり、同じ波に乗ったり、なんとなく近くで
様子を伺っていたり。でも大体の時は、どこかエサが豊富な
所へ向かっている途中なのか、熱い視線を送る私を横目に、
あっさり通り過ぎていくだけである。
野生のイルカはよほどのことが無い限り、
人間に触らせてくれることはない。
良く考えれば、野生の動物なのだから当たり前のことだ。
最初はちょっとショックだった、イルカのクールさだが、
良く考えるとそれがイルカの魅力のような気がする。
忠実な飼い犬のようなイルカより、自由奔放で、
一瞬姿を現しては、またすぐもっと楽しい所を
求めて消えてしまう…そんなニクいイルカの方が、
私は心を惹かれてしまう。
photo: one of my favorite photographers,
高砂淳二さんの写真集より