光岳(2,592m) ((7)のつづき)
山小屋のすぐ裏にあると思っていた光岳の山頂は、意外と遠いです。
雲海が淡い地平線を描き、富士山は、その地平線から下は藍色で、上が薄い橙色でした。雪はない時期ですが、冠雪した富士山のようにくっきり分かれていました。
頂上は森の中でした。さらに西へ進むと、「光岩」と呼ばれる石灰岩があり、この岩の光る様子が山名の由来であるといいます。
夕暮れの中で、巨岩が確かに光っているのが分かりました。
「~ 光岳は駿・遠・信の国境に跨がり、まず南アルプスの最南の山と見なしていい。これよりさらに南に、大無間山や黒法師岳がないわけではないが、二五〇〇メートルを超える山は、ここをもって終わりとする。甲斐駒ヶ岳から鋭鋒を現し始めた南アルプスは、三千メートル級の山々を数多連ねて次第に南に及び、光岳をもってその俊英の気を収めるわけである。 ~」
(深田久弥『山岳展望』(朝日新聞社))
「これよりさらに南」に、光岳より高い山はひとつもありませんが、「俊英の気を収め」た先のエリアは南アルプスの「深南部」と呼ばれています。
ここから南にまっすぐ線を引けば、太平洋まで80kmほどの長さがあります。光岳より標高は低く、内陸部から遠ざかるのに、深南部と呼ばれているのです。
しかし、光岳や光岩の森はとても深く、この雰囲気がさらに南の山々へも続いているのは間違いありませんでした。海に近づくほどさらに山深さを増していく不思議さが伝わってきました。
この日は満月の夜でした。空は真っ暗ですが、月だけを見ると太陽のように鋭く眩しい月でした。夜景は焼津市の方角が見えていると聞きました。
翌日は、富士山の真ん中から太陽の昇る「ダイヤモンド富士」が見えるとのことでした。昨日登ったイザルヶ岳にもう一度登ってみましたが、雲に覆われていつ太陽が昇ったかも分かりませんでした。
光岳を最後に、南アルプスの百名山が完登になりました。光岳の風景は、南アルプスの他の山とは全然違うものでした。
登ったことのある南アルプスの山々を二種類に分けるとするなら、「光岳以外の山」と「光岳」に分けられる、と思うほど違いました。
「~ 日本人の間で今でも有名な弘法大師という称号は、真言宗の教義として彼自身がまとめた仏教哲学の師として卓越しているという意味である。 ~」
「~ 彼の実際の登山がどういうものであれ、高貴な目的に付随しただけのものであって、それ自身が目標ではなく、目標に達するための手段にすぎない。
このことをはっきりと示す次の格言が、彼の言葉として伝わっている。
「山高きがゆえに貴からず、樹あるをもって貴しとなす。人肥ゆるがゆえに貴からず、智あるをもって貴しとなす」 ~」
(『日本アルプス再訪』ウォルター・ウェストン著・水野勉訳(平凡社ライブラリー))
(登頂:2019年9月中旬) (つづく)
山はいいですね。
百名山完登、おめでとうございます。
是非、加賀市大聖寺の「深田久弥山の文化館」へお越しください。
小さな館ですが、人生の避難小屋みたいな気がします。