甲斐駒ヶ岳(2,967m) ((2)のつづき)
無事に七丈小屋に到着し、宿泊代金8,000円を千円札8枚で支払いました。
財布の中身が1万円札だけになってしまい、800円のビールを買うのにおつり9,200円をもらうことになりました。
外に出ると、鳳凰三山が安定感のある姿を見せています。明日、山頂までの道のりを残しているとはいえ、ここまで登ってくれば安心してビールが飲めます。
遠くにはうっすら富士山が見えます。まだ3時半なのに、明るい青空に上弦の月が白く浮かんでいました。
七丈小屋は2棟に分かれていて、夕食は受付をした場所と同じところで食べますが、夜は「七丈第二小屋」で寝ることになっていました。小さな小屋でしたが、食事は品数が多く、寝具の毛布も暖かくて快適でした。
3連休の最中でしたが、泊まったのは十数人で、思ったよりずっと空いていました。
日本アルプスを世界に紹介した宣教師ウォルター・ウェストンは、1903年に甲斐駒ヶ岳にも登っています。
「~ 辺りの風景があまりにも素晴らしいので、私は山の中で二日目の夜を過ごすことにした。キャンプするのに適当な場所が見つかった。頂上から約三六〇メートル下った七丈というところで、主稜の南側寄りにあって、すぐそばには氷のように冷たく透明な泉が湧き出ている。 ~」
「~ 翌日の夜明けに見た、素晴らしい美しさと変化に富んだ壮観な眺めは、とても筆舌に尽くしがたく、忘れがたい思い出としていつまでも残るであろう。日の出直前の静かな大気の中に、雲海が少しも動かずに広がっていた。雲海の縁は、まだ顔を出さない朝日の光によって金色に染まって王冠の形になり、さらに堂々とした船の形になり、最後には鋸歯状の山稜となった。その間に、それらの上の大空は、真珠のピンク色の淡い筋をつけながら、ブラックからパープルへ、それからサフラン、グリーン、ブルーへと、美しい彩りがあらゆる濃淡を見せて、ゆっくりと移ろっていった。 ~」
(『日本アルプス再訪』ウォルター・ウェストン著・水野勉訳(平凡社ライブラリー))
何ともいえないほど素晴らしい安定感があり、荘厳な感じが100年以上経った現代にも伝わってきます。
「夜明けに見た、素晴らしい美しさと変化に富んだ壮観な眺め」は、今は七丈小屋の建っている場所からのものだったのでしょうか。
ここからの夜明けはとても印象的でした。同じ南アルプスでも、仙丈ヶ岳の頂上で眺めたご来光が「動」なら、七丈小屋から眺めた朝陽は「静」の風景でした。
空の雲、南にそびえる鳳凰の山並み、そして小さい木の枝、木の葉一枚にいたるまで、すべてびくともしない空気が漂っていました。
文章の「少しも動かずに」と書かれているところなど、さもありなんと思いまがら読みました。
6時過ぎに出発しました。夜明け前に出た人も多いようでした。
八合目で早くも、下山中の人とすれ違いました。昨晩、小屋で話した人です。この長い長い黒戸尾根を、往復で歩く人もいるんだなと思いました。
しかし自分は、登頂後は黒戸尾根ではなく、距離の短い北沢峠へのルートを下るつもりです。その方が楽なのと、北沢峠の山小屋でスープカレーを注文したいからです。
頂上の景色だけでなく、昼食も楽しみに先を目指しました。
「~ このようにして、遠く近くのすべての光景が、新しい一日へ向かって、生命と光と暖かさの中で目覚めていったとき、日本人の日の出に対するプリミティヴな崇拝を当然と思うであろう。 ~」
(『日本アルプス再訪』ウォルター・ウェストン著・水野勉訳(平凡社ライブラリー))
(登頂:2013年10月中旬) (つづく)