雲取山(2,017m)・七ツ石山(1,757m)・鷹ノ巣山(1,737m) (つづき)
山頂から雲取山荘まで下りました。ログハウスの小屋は、東京と埼玉の県境に建っています。大部屋主体の山小屋が多い中、雲取山荘では小さく区切られた部屋が多いのもユニークです。廊下の壁は本棚を兼ねています。
6畳の部屋にはコタツがありました。囲むように布団を敷いて、足を入れて寝られるのは幸せでした。
翌日は山頂ではなく、小屋の前で日の出を眺めました。濃い藍色の空が次第に明るくなるのが、目を惹きました。東京都で一番美しい朝陽だと思いました。
宇都宮駅の書店で何気なく見つけた、『時刻表完全復刻版 1964年9月号』(JTBパブリッシング)がとても面白いです。
特急列車と急行列車でびっしり埋まった、(在来線の)東海道本線のページなど興味津々です。東海道新幹線が開通したのは1964年10月のことでした。これはその直前の時刻表にあたります。
「便利な臨時列車ご案内」というコーナーがあり、最初のページの右下に「みつみね号」と「くもとり号」が出てきます。「くもとり号」は、上野駅20:23発、高崎線の熊谷から秩父鉄道に入り、三峰口駅が23:16着という列車でした。
日付の変わる直前に三峰口に到着し、真っ暗な夜道を懐中電灯頼りに登り、山頂か雲取山荘で日の出を迎える、という登山者もいたようです。まだ土曜日が「半ドン」だった会社が多い時代に、日帰り、夜通しの雲取登山は大変なことだったに違いありません。
同じページの、「夏の終り頃から初秋にかけて、観光地は比較的すいているところが多いようです。お出かけには臨時列車をご利用になって、楽な旅行をおたのしみください。」というのも、現代の時刻表では出てくることのないであろうコメントで、これも面白いです。
「 山小屋の生活になくてはならないのが薪である。水と食糧があれば人間は生きていけるということになっているが、燃料がなくては食事ひとつ作ることもできない。ことに薪ストーブを中心に回転しているこの山荘の場合、薪がなければ山小屋生活のすべてが成り立たない。薪は山小屋の生命なのである。 」
(新井信太郎『雲取山に生きる ランプとともに30年余の山暮し』(実業之日本社))
新井信太郎さんは長く雲取山荘の主人であった方で、薪運びはとても大変だったことが、この本では軽妙な文章で書かれています。
「~ どんなに苦しくとも小屋まで一気に運んでこなければならない。いちど腰を降ろして休もうものなら一巻の終わりである。 ~」
とあるのを読むと、その凄さが伝わってきます。
11月のこの日、雲取山荘のロビーでは、薪ストーブではなく石油ストーブの炎がともっていました。外はとても寒く、ストーブは暖かくて心地よく、なかなか外に出られませんでした。
今まで、山小屋で薪ストーブが燃えているのを見たのは、ただ一回浅間山の「火山館」に行ったときだけだと思います。
6時45分に小屋を出ました。ほとんどの宿泊客が出発した後で、とても静かでした。ここから北上して秩父の三峯神社へ下山することもできますが、石尾根を七ツ石山へ向かうコースを選びました。そうすれば、昨日登った道を途中までもう一度、今度は下ることができたからです。
雲取山荘と雲取山頂の間には、新井信太郎さんの先代、鎌仙人こと富田治三郎さんのレリーフがあります。
(登頂:2012年11月上旬) (つづく)
その悔いをせめてブログを読みながら、埋め合わせ(?)しようかなと思います。
ここにハイキング(間接的に)のつもりでくるため、ブックマーク入れておきました。
海外からコメント、ありがとうございます。
埼玉にお住まいだったとのこと、懐かしんでもらえてとても嬉しいです。
雲取山も両神山も、きっと昔と変わらぬ姿だと思います。
英訳のブログ大変参考になります。ありがとうございます。
今は気軽に出歩くことがなかなか難しいです。そちらも日本以上に大変と思います。どうぞお気をつけてお過ごしください。