「~ 名刀・正宗、妖刀・村正といわれるが、ホロヴィッツのピアノはさしずめ村正というところであろう。
若き日の彼の技巧と、閃くようなセンスはまさに妖気ただようばかりであった。
ヴァイオリンのハイフェッツ、ピアノのホロヴィッツ。この二人は別格の技巧派として、すべての同業者からおそれられていたのだが、問題は彼らのテクニックが異常なまでに冴えわたり、尖鋭であっただけでなく、その表現力もまだずばぬけていた点にある。
自らアレンジした技巧曲「カルメン幻想曲」を、まるで曲芸のように演奏したホロヴィッツは、異彩を放つピアノ弾きであったが、一方ではとぎすまされた、病的に不健康な感覚によるモーツァルトやベートーヴェンやショパンを表現する、大芸術家でもあった。 ~」
(『名演奏のクラシック』宇野功芳(講談社現代新書))
ホロヴィッツの演奏からは、人生に影響するほどの大きな衝撃を受けたと思います。
天才的なショパンの革命にはとても驚きました。CDにはまったく予想していなかった演奏がおさめられていました。
練習曲作品10・第4番のキレも鋭く、軍隊ポロネーズには「こういう弾き方があったのか!」という発見がありました。
さらに、ホロヴィッツの演奏が素晴らしいのは、初めて聴いた時の感動や発見がいつまでも心の中に残っているところにあります。彼の「革命のエチュード」は、何度聴いても28年前の驚きがそのまま甦る思いがします。
遺されたいくつもの名演奏から、強く印象に残っているものを書いてみたいと思います。
■ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第14番「月光」(ソニー・クラシカル SRCR2069)
あらゆるベートーヴェンの演奏中、最も衝撃的だったものの一つで、やはり初めて聴いた時の感想は今もそのまま生き続けています。「革命」より曲が長い分、印象もさらに強くなっています。
ホロヴィッツにとって、「月光」は得意曲ではなかったのではと思います。CDの数が少なく、特にステレオ録音はこの1つしかありません。カーネギー・ホールのリサイタルで取り上げられたことも、1947年4月の1回のようです。
第三楽章は、まったくペダルを踏まずに、ポツポツした音で始まります。よく知っている月光とは、まったく違う姿をしています。いったいどうしたんだろう?と思うのも束の間、もの凄いクレッシェンドで(0:12)の最強音まで持っていってしまいます。
(0:25)の鋭いアクセントや、(1:04)で十六分音符の動きを強調するところなど、細かいところからも存分に情熱が伝わって来ます。
(3:30)からは哀しさを訴える左手が音楽を支配し、やがて巨大なクレッシェンドへ変わり、(3:44)の痛切さを演出するのが感動的です。
演奏を通して、考えに考え抜かれた振幅の広さがあると思いますが、それは(6:21)のクライマックスで遂に最大のところまで達します。こんなにも強烈な感情を表現できるピアニストは他に誰もいないと思います。
ホロヴィッツの名演の中でも「月光ソナタ」は極致です。凄まじい集中力があり、1回のレコーディングにすべてを賭ける気持ちが演奏に貫かれています。
第一楽章の最弱音からは、張り詰めた空気の中で寂寥感にあふれた音楽が聴こえてきます。第二楽章の、孤独な気持ちの表出も印象に残ります。
(つづく)