心が満ちる山歩き

美しい自然と、健康な身体に感謝。2019年に日本百名山を完登しました。登山と、時にはクラシック音楽や旅行のことも。

百名山の麓をたずねて (2)塩見岳・鹿塩温泉へ①

2020年07月02日 | 百名山の麓をたずねて


塩見岳(3,052m) (つづき)


 「~ 鹿塩から塩川について少し上った所に塩湯という食塩鉱泉がある。その含有量は一リットル中に二十五グラム(海水は三十グラム)、わが国第一の強食塩泉だそうである。昔はこの地方で食塩の製造が行われていたというが、この僻遠の山中で、海の塩より山の塩に頼ったのは、まるでチベットのような土地柄である。その塩を高い峠を越えて甲州まで運んだとすれば、ますますチベットらしくなる。 ~」
 (『わが愛する山々』深田久弥(山と渓谷社))

 南アルプス塩見岳の登山を終え、鳥倉登山口からバスで伊那大島駅まで帰りました。
 途中、道の駅大鹿で降りる人たちがいました。温泉に宿泊して帰るとのことでした。
 バス停から旅館は見えませんでしたが、とても羨ましい感じがしました。また必ずここに来て、温泉に入りたいと思いました。
 この地には鹿塩温泉という、まるで電子計算機のような名前の温泉があるのです。


 2年後の2月に、再び飯田線で伊那大島駅に戻ってきました。
 塩見岳の絵とともに「無事お帰りください」と書かれた、手書きのプレートに見覚えがあります。
 もちろん駅からは本物の塩見岳も眺められます。とても雪の少ない冬でしたが、塩見岳のピークは一目で分かるほど真っ白になっていました。
 待ち時間に、ジャンボエビフライが名物の喫茶店「スバル」でお昼ご飯にしました。エビフライは確かに大きくておいしかったです。
 伊那バスに乗って、2年前と同じ道路を走り、鹿塩温泉のある大鹿村へ向かいます。およそ40分の間に、松川町→中川村→大鹿村と、3つの地方自治体を通ります。
 バスの乗客は自分達を含めて4人でした。県道が小渋川の右岸沿いに入ると幅が狭くなり、蛇行を繰り返し、すれ違うのも難しそうな道になります。
 分岐が何回か現われ、右岸から左岸へ渡る橋もあります。分かれて行く道の行き先すべてに興味が湧きます。
 コンクリートのまだ真新しいトンネルを抜けます。2年しか経っていませんが、その間に道が新しく付け替えられているところがあるようです。
 小渋川の水源地は、南アルプスの赤石岳(3,121m)です。地図を見ると、小渋川を遡行して赤石岳へ登るルートが出ています。


 「~ 浴場からかすかな路が、峡谷の険しい斜面をくだって、やがて谷川のなかに見えなくなっていた。両側に垂直になった絶壁がそびえているので、私たちは約二時間半、川床だけをたどって行かなければならなかった。右岸には七釜(七つの釜)という立派な滝が、跳躍の連続となって、本流に流れ落ちている。この本流を、私たちは岩から岩へと飛び伝ったり、冷くて早い流れの水を徒渉したりして、二十回ほども繰り返して横切らねばならなかった。時として、流れの水はその狭間のはしからはしまで深くなっていたので、その時私たちは澄んだ緑色の淵に差しかかる絶壁の面を伝って行ったが、それは素晴しかった。 ~」
 (『日本アルプス 登山と探検』ウォルター・ウェストン著・岡村精一訳(平凡社))

 イギリス人宣教師ウォルター・ウェストンは日本へ三回訪れ、日本アルプスを世界に紹介しました。ウェストンが1892年、初めての南アルプスとなる赤石岳へ登った時にたどったのが、この小渋川をさかのぼるルートだったといいます。
  「立派な滝が、跳躍の連続となって、本流に流れ落ちている。」というところに惹かれます。滝は下へ下へと「流れ落ちて」行くはずですが、上へ上へと「跳躍」するようにも読めるからです。
 「両側に垂直になった絶壁がそびえている」光景は、南アルプスでは見たことがありません。むしろ、黒部峡谷のような雰囲気が伝わってきました。
 その景色をぜひ見てみたいですが、「岩から岩へと飛び伝ったり、冷くて早い流れの水を徒渉したりして、二十回ほども繰り返して横切」ると書かれている登山道は、難しい渡渉が次から次へと現れ、今でもかなりの難路だといいます。
 小渋川は荒れ川として知られています。そのために1969年、小渋ダムが造られました。アーチ式ダムの堤体がバスからも見えました。


 南アルプス・赤石岳

 (つづく) 



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