骨髄異形成症候群(MDS)と向き合う

2020年1月末梢血幹細胞移植 
2023年7月再発 
2023年12月臍帯血移植

余命宣告か突然死か

2018年03月17日 | 日記
私と同じ病気を持ち、
ヘルプマークの普及活動をされている小崎さんという方が、
余命宣告をされてからの命との向き合い方について語ったというネットニュースに対し、

余命宣告を受けながらも前向きに生きていることをたたえるコメントと
余命宣告を受けることができる人は有り難いと思うべき みたいなコメント。

どちらにしても死を迎えるということは悲しいことではあるが


以前の私は「余命宣告を受けてから」を望んでいたが
今は断然「突然死」を選びたい。


昨年秋、私はあるハプニングで死を覚悟した場面があった。
激痛の中で段々と体の力が抜けていき、このまま死ぬかもしれないと思った時、

私の中には無念とか生への執着は無く、

その時よぎった思いは

「私の死はこんなところで突然やってくるんだなあ~。
 !? !? 大変だ!家の中がちらかったままだ。
 子供たちが家に入ってみてあたふたするだろう。 すまないねぇ~ (^_^;)」



が、その後の緊急手術・入院で生き延びることができた。
救急車や大学病院の救急科のてきぱきとした手当や連携、そして医師や看護師の優しさに触れ、
辛いながらも感動の10日間で普通の生活を取り戻せた!

と思ったのもつかの間、
直後に 今度は骨髄異型性症候群の病名と余命の宣告だった。

遠からずやって来る死。
けれどもその時期は漠然としている。
この体力がいつまで続くのか、いつまでに終活すべきか、
やり残したことはあるか、孫の成長はいつまで見ることができるか、
親にはどう告げるか、仕事はどうするか、
義母の介護は、、知人へのお別れの挨拶は・・・・・。

次から次へとやるべきことが浮かんでくるが、なかなか手を付けられない。

星を見ても、花を見ても、季節を感じても、知人と語っても
見ること聞くこと全てに対して  これが最後かも・・・・・ と思い、

日常の何もかも、食べることさえも、死を前にした人間には無駄なことだと思えてくる。

昨秋、あの時そのまま死んでいればどれだけ楽だったか・・・・・。


余命宣告を受けるということは
終活の時間を与えられ、家族と過ごす時間を与えられ、
経過観察の間は普通の生活を送る事もできて有り難いことではあるが、

その一方で、
感染症や合併症や薬の副作用で苦しみながらの死を待つ心境は、当事者でなければわからない。

私の父はガンで逝った。
余命宣告を受けた人の家族の心境も体験済みである。

義父は心筋梗塞で突然死だった。言うまでもなく周りは突然の悲しみと戸惑いに襲われた。


どの死に方が良いか悪いか、定義付けられるものではない。

泣いても笑っても
与えられた死期を待つ時間が同じであれば、できれば笑って過ごしたいものである。

親が育んでくれた命、自ら断つことだけはしたくない。


沙羅双樹の花

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