島原の夜...その4

2005-11-13 09:41:55 | お遊び話
太夫が側に来てくれ、やさしく酌をしてくれた。
さっそく話しかけてみた。
「大きな頭ですね。いろいろ(簪)刺してて重たくないですか?」
「それほどでもおまへん。(相変わらず変な京都弁ですみまっしぇん。 皆の頭の中で京都弁に適当に変換してくんなまし)
首が疲れることはおますけど...」
「寝るときはそのままで寝るんどすか?」
「イヤッ、けったいな京都弁どすな、ホッホッホッホ!」
「髪はほどきますけど 高枕で寝るときもおます」
「普段は着物でいるんですか?
家にいるときはその頭して下はネグリジェとか?」
「イヤヤワあ!ホホホホッ」 手を振られた。

「お幾つなんですか?
「いくつに見えます?」
「白粉の塗りがいいから若いでしょ。
20歳とか
「イヤヤワあ!おおきにッ..」
「26になります」
「えッ!26?若い!
「他の太夫さんおばあさんばっかりなのに...」
太夫「......

「お休みはあるんですか?」
「おます」
「こんな夜の薄暗い部屋にだけ顔を出すんですか?」
「日中、直射日光浴びてはいけないとか?浴びると溶けちゃうとか?」
「イヤヤワあ!ホホホホッ!」
「日中は毎日お稽古事しておますので外も歩きますえ」

「いつから太夫になったの?」
(お酒も入って太夫と和気アイアイ!26と聞いたせいもあって いつしか若い子への語り口調になっていた)
「以前はOLどしたんどすが、芸事が好きで、どうせなら太夫はんになって続けようかと思おたんどす」
「そうどすかッ」

その他いろいろ私生活のこと訊いちゃったけどこれ以上は非公開!たいへん可愛く愛嬌もある太夫ちゃんだった。

太夫が私の側にいる時間が長くなり、周りのおじさんたちのやっかみにも似た視線を感じてきたので、お名残惜しかったがおじさんたちの席へまた廻ってあげるよう伝えて送り出した。

感心したのは26という若さで
40代50代のおじさまたちを相手に
世代間のギャップをまったく感じさせないそつのない会話(教養のレベルの高さ)と落ち着いた物腰(具体的にどうこう言えないが)であったこと。

太夫が退席してから同席の男たちも同様の感想だった。
「同世代の女の子とは比べものにならないレベルだ」
日頃から新聞や経済・情報誌などもしっかり読んでいると○○太夫は云っていた。
恐らく高いレベルのお遊びを求めてくる男たちを満足させる
マル秘・接客業務マニュアルらしきものは伝統的にあるのではあるまいか。

中年ボーイズ皆が満足・満喫の時を過ごしたのであった。

さて、この夜はここで終了ではなかった。
バーで待っていてくれたS氏と再会・合流。
S氏が「どうどした?よろしかったでっしゃろ!」
「ハイッ!
「このお店、2階にはもっとええところがおますんや!
「ええッー!キッ 聞き捨てならないお言葉、それどういう意味ですか
S氏がチョロっと口走ったことが、私の好奇心に火をつけた。
そしてこの後、女将に頼み込み 中年ボーイズ一同を巻き込んで、輪違屋、大内見会(ないけん...不動産業界で云うお家の中拝見)をすることになってしまった。

輪違屋の構造・つくり(揚屋・お茶屋とはどういう家のつくりにしてあるのか)や特にすばらしい(特筆すべき)2階の「傘の間」「紅葉の間」について 次回書き留めよう。

「紅葉の間」は、私は生涯忘れないだろう。超感動!そのレベルではすまない程の感激を受けた!
Excellent! Marvelous! 
So, Wonderful &
Big Surprized room!
なんだ。

遙か昔の彼の時代 元禄時代の日本人の感性 (元禄文化の円熟した感性) ってこんなに素晴らしいものがあったのか...
皆さんに是非紹介したい話がある。

次回の方が、乞うご期待だ!


(つづく)

*画像は大変貴重な輪違屋「傘の間」。朝日放送提供。
そのとき女将が百目ろうそくをわざわざともし見せてくれた「傘の間」の雰囲気(荘厳さ)をよく伝えている。


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2 コメント

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Ms.Lemonjin ゴマスミダ! (アマル)
2005-11-14 02:01:01
芸者制度も元々の発祥は中国かな?

中国→朝鮮→日本に伝来したものでしょう。



こらッ!

コメントはいいから勉強、勉強。

わかってるよね Lemonjinさん
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Unknown (lemonjin)
2005-11-13 22:40:00
百姓の私には知る由もない雅な世界が

おかげ様で、

少しは分かっきたような気がします。



昔の朝鮮にも同じく芸者制度が存在しており、

その身分により、一牌、二牌、三牌と分化されていました。

一牌は、官妓の総称で伝統歌舞の伝承者としての役割を果たし、二牌は密賣淫、三牌は公娼の機能を果たしていたようです。



一牌は、その相手が士大夫だっただけに、歌舞は勿論のこと、漢詩、水墨画、唱にも通じており、

のちの朝鮮文学に(ハングル文学、口語文学として)大きな影響を与えました。



しかしながら、

売春と絡んでしまうところが、儒教思想の強い向こうでは受け入れられず、どうしても否定的に捉えがちで、

芸者文化を研究する人はあまり居ないようです。



余談ですが、

占いで、私は「芸者」になる運命だとか何とか言われて

カチンときました。





その運命を拒んだせいか、今まで波乱万丈の人生を歩んできたような・・・



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