入手した戸籍謄本・除籍謄本は、現行戸籍(昭和23年~現在まで)、大正4年式戸籍、明治31年式戸籍、明治19年式戸籍まで合わせると14種にもなりました。
【ご参考】平成6年に戸籍法の一部改正が行われ、戸籍事務の電算化により縦書きだった戸籍謄本は横書きの「全部事項証明書」になり、前回私がカキコしたような個人のプライバシー関連(離婚暦や精神障害状態ほか)の記述は削除されています。法律で電算化は強制されていないので、全国の市区町村すべてが「全部事項証明書」状態ではなく、まだ縦書き状態のものも多くあります。でも時間の問題で戸籍事務はすべて電算化されてしまうでしょう。
昭和の時代にご先祖探しをしていれば明治5年式戸籍まで遡ったり、明治時代以前(=江戸時代)のご先祖を調べるために、菩提寺にあった宗門人別帳などをあたれば300年近くは遡れたかもしれないと悔やまれました。
というのは、アマル家の菩提寺の住職にご先祖探しのため宗門人別帳などはないかと尋ねたとき、戦後に寺は大火事になりその際宗門の人別帳も焼失してしまったということで、ご先祖を調べる手立てがそこで途絶えてしまったのです。
話をちょっと戻して、14種の戸籍を細かく見て父方の直系を遡っていくと、曽祖父母(ひいじいちゃん・ばあちゃん)からさらに高祖父母(ひいひいじいちゃん・ばあちゃん)、5世の祖(ヒーひいひいじいちゃん・ばあちゃん)まで遡れました。
いるわいるわご先祖様(血縁者)たち。
昔の戸籍というのは、戸(家)の単位で作られていて、戸主を中心としてその直系・傍系の親族を1つの戸籍に記載していたので、戸籍の中に一緒に住んでいる隠居した爺さん・ばあさん、戸主の兄弟姉妹(おじ・おば)やその子どもたち(おい・めい)の名前まで載っているんですねぇ。
ひいじいちゃんなんて13人兄弟
謄本に登場する見たことも聞いたこともない名前の数々を目にして、まるでタイムスリップしてご先祖様と対面しているような気持ちになりちょっとドキドキワクワク興奮をしちゃいました。(だって私の父や叔父叔母さえも知らない世界を見つけちゃったわけだから)
「ひえ~ッ。ひいじいちゃんは嘉永5年、ひいばあちゃんは安政4年の生まれだって。それっていつの時代よ?日本史で井伊直弼の安政の大獄って習ったけど、あの時代?」
また、ひいじいちゃんの兄弟や親(ひいひいジジババ)&祖父母(ひい×3のジジババ)の生年月日見たら慶應・元治・文久・安政・嘉永・弘化・天保・文政・文化・享和・寛政の時代まで書いてある。
西暦で調べたら200年以上前の時代のこと。
明治時代の除籍謄本に書いてる名前なんて旧仮名遣いで読めないんだ。
サザエさんのお母さんなんか「磯野フネ」さんだけど、あれに近い古風な名前がいっぱい出てくる。明治時代の女性たちは「くに、よし、えつ」なんてね。
そして時代をもっと遡り江戸時代生まれの女性たちは「まさ、まき、くら、いち」なんてね。
「おまさちゃん、おいちさん」なんて水戸黄門なんかの時代劇でよく聞く名前だよね。いつの時代も名前にはトレンドがあるんだね。
でもって、驚いたのが養子縁組の多いこと多いこと。
まず曽祖父は養子だった。入り婿ではなく、跡取りのいないアマル家の高祖父が曽祖父を養子(長男)にして、曽祖父は嫁をもらったということで、私は先祖代々アマル家の血筋ではないことが判明。
曽祖父はH家の3男坊(13人兄弟)でH家の父親も養子でU家から迎えられた。
てな感じで、昔は今のように医療技術が発達していなかったので、子どもは生まれてまもなく死んでしまうこと(生まれても当歳で亡くなること)も多かったので、その昔、女は家の跡継ぎを多くつくることが大事な仕事とされていた。
長男が万一病死したとしても2男.3男のスペアが跡取りになれるように男児を数人産むことが使命でもあった。そして、男が多い家(うち)は長男以下は他家へ養子に出されるのも常だった。
【余談】みなさんのご先祖様にもマスオさんがいっぱいいらっしゃると思いますよ。何代か前のおじいさんのこと調べるときっと苗字(姓)が違ってるんじゃないかな。
で、曽祖父がH家の出であることがわかり、それがさらなる展開を生んだ。
「え~ッ」
「これはご先祖様が仕組んでるなぁ きっと...
あっちの世界から私は見られてる気がする...」
【ご参考】平成6年に戸籍法の一部改正が行われ、戸籍事務の電算化により縦書きだった戸籍謄本は横書きの「全部事項証明書」になり、前回私がカキコしたような個人のプライバシー関連(離婚暦や精神障害状態ほか)の記述は削除されています。法律で電算化は強制されていないので、全国の市区町村すべてが「全部事項証明書」状態ではなく、まだ縦書き状態のものも多くあります。でも時間の問題で戸籍事務はすべて電算化されてしまうでしょう。
昭和の時代にご先祖探しをしていれば明治5年式戸籍まで遡ったり、明治時代以前(=江戸時代)のご先祖を調べるために、菩提寺にあった宗門人別帳などをあたれば300年近くは遡れたかもしれないと悔やまれました。
というのは、アマル家の菩提寺の住職にご先祖探しのため宗門人別帳などはないかと尋ねたとき、戦後に寺は大火事になりその際宗門の人別帳も焼失してしまったということで、ご先祖を調べる手立てがそこで途絶えてしまったのです。
話をちょっと戻して、14種の戸籍を細かく見て父方の直系を遡っていくと、曽祖父母(ひいじいちゃん・ばあちゃん)からさらに高祖父母(ひいひいじいちゃん・ばあちゃん)、5世の祖(ヒーひいひいじいちゃん・ばあちゃん)まで遡れました。
いるわいるわご先祖様(血縁者)たち。
昔の戸籍というのは、戸(家)の単位で作られていて、戸主を中心としてその直系・傍系の親族を1つの戸籍に記載していたので、戸籍の中に一緒に住んでいる隠居した爺さん・ばあさん、戸主の兄弟姉妹(おじ・おば)やその子どもたち(おい・めい)の名前まで載っているんですねぇ。
ひいじいちゃんなんて13人兄弟
謄本に登場する見たことも聞いたこともない名前の数々を目にして、まるでタイムスリップしてご先祖様と対面しているような気持ちになりちょっとドキドキワクワク興奮をしちゃいました。(だって私の父や叔父叔母さえも知らない世界を見つけちゃったわけだから)
「ひえ~ッ。ひいじいちゃんは嘉永5年、ひいばあちゃんは安政4年の生まれだって。それっていつの時代よ?日本史で井伊直弼の安政の大獄って習ったけど、あの時代?」
また、ひいじいちゃんの兄弟や親(ひいひいジジババ)&祖父母(ひい×3のジジババ)の生年月日見たら慶應・元治・文久・安政・嘉永・弘化・天保・文政・文化・享和・寛政の時代まで書いてある。
西暦で調べたら200年以上前の時代のこと。
明治時代の除籍謄本に書いてる名前なんて旧仮名遣いで読めないんだ。
サザエさんのお母さんなんか「磯野フネ」さんだけど、あれに近い古風な名前がいっぱい出てくる。明治時代の女性たちは「くに、よし、えつ」なんてね。
そして時代をもっと遡り江戸時代生まれの女性たちは「まさ、まき、くら、いち」なんてね。
「おまさちゃん、おいちさん」なんて水戸黄門なんかの時代劇でよく聞く名前だよね。いつの時代も名前にはトレンドがあるんだね。
でもって、驚いたのが養子縁組の多いこと多いこと。
まず曽祖父は養子だった。入り婿ではなく、跡取りのいないアマル家の高祖父が曽祖父を養子(長男)にして、曽祖父は嫁をもらったということで、私は先祖代々アマル家の血筋ではないことが判明。
曽祖父はH家の3男坊(13人兄弟)でH家の父親も養子でU家から迎えられた。
てな感じで、昔は今のように医療技術が発達していなかったので、子どもは生まれてまもなく死んでしまうこと(生まれても当歳で亡くなること)も多かったので、その昔、女は家の跡継ぎを多くつくることが大事な仕事とされていた。
長男が万一病死したとしても2男.3男のスペアが跡取りになれるように男児を数人産むことが使命でもあった。そして、男が多い家(うち)は長男以下は他家へ養子に出されるのも常だった。
【余談】みなさんのご先祖様にもマスオさんがいっぱいいらっしゃると思いますよ。何代か前のおじいさんのこと調べるときっと苗字(姓)が違ってるんじゃないかな。
で、曽祖父がH家の出であることがわかり、それがさらなる展開を生んだ。
「え~ッ」
「これはご先祖様が仕組んでるなぁ きっと...
あっちの世界から私は見られてる気がする...」
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