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アメノミミ

降り始めの雨のようにポツポツと言葉が落ちてくるようになった。
時に雨となるその言葉を書きとめるブログ。

テレパシー

2018年09月12日 22時08分18秒 | アメ
あなた方は皆テレパシックな存在である

そうと気付かずに

想念を受信し送信している

自分の受け取った想念を自分の考えと混同している

自分の想念の影響力を知らないから

そんなにも危険な想念を弄べるのだ

想念は物である

あなたが生み出した物もあれば

誰かが生み出した物もあり

それを拾う場合も多い

人を傷つける想念はナイフや銃と同じものだ

あるいは毒や爆弾と同じものだ

そういった危険な物が

想念の使い方を知らない者達によって使われている

また人を思いやる気持ちや愛は

確実に相手へ飛び

想念のレベルで伝わる

恋愛感情には欲や願望が多分に混ざるため

相手にとって不快になる場合も多い

純粋な愛は相手に力を与え不浄なるものから守り

守護天使のような働きをする

人が愛と勘違いしている感情は

相手を縛り力を奪う

それは霊的な牢獄を作る

多くの親の子供への愛情と称する感情が

子供を牢獄へと閉じ込めている

思考による想念は思考を

感情による想念は感情を

相手に想起させる

それらは元になった想念と全く同種のものを伝える

怒りに対して恐怖を抱くのは

ほぼ全ての怒りの背後には恐怖があるからだ

恐れのない人はめったに怒らない

我慢しているのではなく

怒りが喚起されないのだ

相手の感情と相通じるものがなければ

感情の想念は受信されない

悪想念を受信するということは

大なり小なり自分の中に悪想念と同じものがあることを示している

或いは自分という聖地を無暗に開放しきっている

起きる出来事に受動的すぎる人は

自分を他者に預けてしまっている

あらゆる選択を放棄してしまっている

そのような人は霊媒体質になる

見える必要性のないものが見えたり

簡単に憑依されたり

他人の思想に染まったりする

自分の力を信じられなくなった人はこのようになりやすい

そしてこの世界では自分を信じさせないよう人々を教育している

自分の心に浮かんだものが本当に自分由来なのか

自分の心に顕れた感情が本当に自分由来なのか

疑ってみた方がいい

あなたに相応しくないものは全てあなた由来ではない

意志の力を使って跳ねのけること

繰り返すうちにそれらの想念は入ってこなくなる

自分の感情や考えは全て他人に伝染してゆく

人は自分の想念に責任を持つべきである

ニュースというものは公的を装っているが

全て想念のコントロールである

想念を受け取らず

事実という情報だけを受け取るようにする

言葉の中に誘導的な毒想念が織り交ぜられ

多くの人が同じ見解を持つように作られている

それが一旦世に広まれば

あとは国民一人一人が同じ想念を再生産して拡散してくれる

故に第一報が大切なのである

第一報が誤報である場合

後に修正しても第一報の想念が拡がりすぎている場合

想念の修正が出来なくなるのだ

それを知っていて

第一報を意図的に間違った情報にして送る場合がある

思い浮かぶこと

それはあなたが受け取った想念である

それがどんなに悪しきものでもあなたに非はない

しかしそれを精神で弄び増幅させるならば

それには責任が生じる

増幅されたものを受け取る人がいるからだ

やがてその想念のキャッチボールで大きく育った想念は

言葉になる

言葉という体を持つ想念になる

それも人々の間でキャッチボールが繰り返され

ついには行為になる

犯罪を犯す人の中には

育った悪想念を受け取ってしまった場合も多い

しかしそれを受け取る下地がその人によって作られていたことは間違いないが

あなたたちは一人残らずテレパシックな存在であり

知っていても知らずとも日常的にほぼ休みなくその能力を使っているのだ

佳き想いを抱くことは

全人類への奉仕である

それは世界を救っている

自分の抱いている想念が善きものか悪しきものかは

心を感じればおのずと分かる

佳き想念は清々しい

悪しき想念は

重い

硬い

暗い

モヤモヤしている

ざわざわしている

そのような心象の時はどんなに正当そうな理由があっても

それは悪想念である

迷わず捨てるが吉である

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神秘

2018年09月12日 22時07分09秒 | アマオト
日常という神秘
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受け取る心

2018年09月11日 13時30分30秒 | アマオト
人を呪う心は

人の呪いを受け取る心

人を愛する心は

人の愛を受け取る心
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感動

2018年09月11日 12時24分59秒 | アマオト
感動する心があれば人は再生できる
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精神と感情

2018年09月11日 11時48分47秒 | アメ
精神と感情は別のものであるが

絡み合い癒着している部分があるので一つのもののように振舞うことがある

ある言葉を聞いた瞬間激怒したり傷ついたりするのはその一例である

言葉や現象は情報であり

それが自分にとってどのような意味を持つのかを判定するのが精神の役割である

その判定に意志が関わらず自動になってしまいなおかつそれが繰り返され強化されることにより

精神と感情の絡みつきが深まり癒着してしまう

身に起きたある現象は常に複数の解を持つ

そこには意志の力が関与しうる

意志の力により身に起きたその現象を役に立つエネルギーに変換することが出来る

相手の言葉を暴言と取ることも出来れば忠告として取ることも出来る

自分にとって役に立つ形に役に立つエネルギーにして感情体へと送ることが望ましい

また意志の力によって真逆のことも出来る

愛から送られたものを毒に変えることも可能なのだ

それらの行為が無意識化されてしまっているため

精神と感情が一つのように働いている

そこに意識を向けることで精神と感情の間に選択が生まれる

その出来事をどう解釈するかという選択が生まれる

また選択の余地なく反応してしまっている事柄を見つけ出すことが出来る

会社から電話が来る嫌な気分になる

のように

もちろんそういった癒着には元となった原因や正当な理由はある

しかし現在の自分の役目はその癒着を切り離し

正常な状態に戻すことにある

この癒着が拡がれば感情の奴隷のように生きることになり

それは人生で起きることを選べないという状態に陥るということである

全ての体験が理由もわからず起きることになってしまう

これは幸せのレベルとしては低い状態である

現象を活用できないから運命が向上していかないのだ

周囲にある物を活用し加工し人は生活を向上させてきた

周囲にある物に馴れきってしまいそれを活用することが思い浮かばないならば

人類は同じ生活をし続けていたことだろう

それは不幸とは言わないが変化のない退屈な生き方だ

魂は断じて無変化を体験しに来たわけではない

身に起きる現象はいわば身の回りにある物である

それを活用するか否かは本人の意識と意志にかかっている

どう活用するかは本人の知恵と愛にかかっている
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