Belle Epoque

美しい空間と、美しい時間

我が家

2008-03-21 | vie... kurashi
雨の降りしきる休日でした。
実家の玄関には白木蓮。
門の横に咲いているものです。これはまだ蕾。

祖母が亡くなり、今週は明けから行事でいっぱいでした。
90歳、大きな病気もなくいつも良い顔色をしていて、夜眠っている間に息を引き取ったようです。
記憶の限りずっと、慎ましく控えめ、を絵に描いたような人で、誰にも少しでも迷惑をかけないようにといつも繊細に心を配っているような雰囲気でした。亡くなり方も、そんな祖母らしかった。
いいお葬式でした。
あまりにきれいな世の去り方で、「こうして人は死に、新しい命がまたどこかで生まれる」という当然のことが自然に受け止められるような。
親戚が集まって、こうしてみんなで故人を見送る。また一方でこの頃結婚と出産が相次いでいて、新しい顔ぶれが年々増えて、全体に賑やかになってきている。
家族
という存在の心強さ、有り難さが、こういう行事で再認識できます。
一人で生まれて一人で死んでいく、などとはいっても、ひとりでに誕生したわけなんかでは当然なく、必ず誰もが誰かから命を引き継いできたわけなので、それをきちんと次代に引き渡していくことが、生きる一つの大切な意義なのだと思いました。
この世をいかに生きたか、は、死によってひとまず区切られる。
誰にとっても有限なその時間を、どれくらい充実させられるだろうか。
そう気を引き締めさせてくれるお葬式は、いいお葬式です。
静かに力強い時間の流れを、昨日の降りしきる雨が空気に引くまっすぐで絶え間ない線に、見ました。

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