Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

トゥーラ・プリャニク III

2025年01月05日 | 新しいお菓子

10世紀までには、メソポタミア、レバント、キプロスにサトウキビ栽培が導入され、次いで東アフリカのザンジバルにまで到達します。ザンジバルで栽培されていたことは非常に重要で、アラブはすでにこの頃既に外洋を自由に行き来していたことになります。十字軍は聖地への出征後、ヨーロッパに砂糖を持ち帰ります。 逆風をついて外洋を航行する船(コグ)をヨーロッパ人が手にするのは1350年以降です。砂糖はまだ料理の上に振るだけの貴重なものでしたが、1300年代の西ヨーロッパの料理書には砂糖の文字が頻出しています。

1390年代により効率よくサトウキビの搾汁する機械が開発され、マデイラ諸島では1455年にプランテーションが始まります。1490年代までにマデイラ諸島はキプロス島に優る砂糖生産を誇るようになります。バレンシアのあたりではカスティーリャ王国の砂糖プランテーションで、アフリカから連れてこられた奴隷が働かされていました。サトウキビの植え付けと収穫のため、奴隷がカリブの島々に輸入されるようになります。

ポルトガルがブラジルに砂糖を持ち込み、1540年までにはサンタカタリーナ諸島に800ものサトウキビ製糖所ができ、ブラジル北岸、デメララ、スリナムにも2000ほどの製糖所がありました。

イギリスの植民地政策によって生産地が増えるにつれて、砂糖の価格は徐々に下がり、かつては富裕層のみの嗜好品だったものが貧しい人々にも広がります。

18世紀には砂糖の人気がたいへん高まり、イギリスでは1770年の時点で1710年の5倍の砂糖が消費されるようになります。1750年には、砂糖は穀物を凌ぐヨーロッパ貿易で最も貴重な商品となり、イギリスにおける砂糖の消費はお茶に入れる用途であったものが、のちには菓子類やチョコレートが大変人気になります。子供たちはジャムも好んで食すようになります。

トゥーラジンジャーブレッドのレシピに戻ります。トゥーラ・プリャニクを作る方法を煮詰めることにします。 Музей тульского пряника в Туле.

博物館「古典的なトゥーラジンジャーブレッド」で登場する砂糖はお菓子の上のグレイズだけではなくて、ジャムの中にも入っています。砂糖がなくてはジャムは作れません。1700年後半から今のようなトゥーラ・プリャニクが現れたと考えるのが妥当でしょう。

1996年に開設されたトゥーラ・ジンジャーブレッド博物館の動画を見ながらトゥーラ・プリャニクを作る方法を煮詰めることにします。 Музей тульского пряника в Туле.

博物館には次のような説明が展示されています。

 

『トゥーラ・プリャニクについて初めて言及があるのは、1685年のトゥーラの国勢調査書です。トゥーラ・プリャニキは ジンジャーブレッドの一種で、IX世紀頃に登場しました。ライ麦粉にたくさんの蜂蜜とベリージュースを混ぜて焼き上げたもので、「はちみつブレッド」と呼ばれていました。その後、インドと中東からもたらされたクローブ、アニス、生姜、シナモン、その他のスパイスが入れられるようなります。XV世紀以来、ジンジャーブレッドはロシアの日常生活、祭りや見本市、民俗祭の際に焼かれるようになります。ジンジャーブレッドの為に特別なジンジャーブレッドボードが使われるようになります。時代を反映した図柄に変化していきます。

XVIII-XIX世紀には、ジンジャーブレッドボードにはより多様な主題が描かれ始めました。彫刻家は人気のある版画や本の挿絵に目を向け、ストーブを飾るタイルに使用された画像を繰り返しました。1812年の祖国戦争の後、サーベルを持った将校、三角形の帽子をかぶった、セントジョージの十字架を掲げた人物の姿が描かれた場面がありました。』

はちみつブレッドとトゥーラ・プリャニクのレシピの間には相当のギャップがあります。しかし、トゥーラ・プリャニクがはちみつブレッドの後継者であるとするならば、ローマ帝国のレシピがロシアに流れ付き、そこで命を繋いでいたことになります。これは私にとって驚きの発見です。今後の宿題として頭の中に叩き込んでおく必要があります。

 

Тульский пряник: рецепт приготовления - Читайте подробнее на SYL.ru: https://www.syl.ru/article/168977/new_tulskiy-pryanik-retsept-prigotovleniya からレシピをもう一つ引用しておきます。翻訳されたものをそのまま貼り付けておきます。今まで仕込んだ知識をベースにじっくりと読み込んでお菓子の姿をイメージしてゆきます。

 

材料

 

生地: 小麦粉 3カップ、 バター-大さじ4、 鶏の卵 -2個、蜂蜜 100グラム、

   ソーダ 小さじ1/2

詰め物: ジャム 400グラム、水 大さじ4杯、粉砂糖 大さじ1

 

クラシックなトゥーラジンジャーブレッド。

 

準備の方法

 

1. まず、バターをよく柔らかくする必要があります。ただし、液体の状態にしないでください。それからあなたは製品に蜂蜜と卵を加えて慎重にかき混ぜる必要があります。質量は、しこりがなく、完全に均質であるべきです。

 

2. 次に、ソーダと混ぜた小麦粉を卵と蜂蜜の塊に加える必要があります。次に、生地をやさしくこねます。急すぎることが判明するかもしれません-この場合、それは4分の1杯の温水で希釈する必要があります。

 

3. その後、詰め物を作り始める必要があります。かなり濃厚になるはずなので、混練する前に、ジャムを砂糖と一緒に完全に煮沸する必要があります。

 

3. その後、混練された生地を厚さ56ミリメートルの層に広げる必要があります。トゥーラジンジャーブレッドを1つ手に入れるには、準備したステンシルフォームに対応するサイズの生地が2つ必要になります。レシピでは、詰め物を最下層に置くことを前提としています。その後、一番上のものをジャムの上に慎重に配置する必要があります。調理中に詰め物が漏れるのを防ぐために、ジンジャーブレッドの両方の部分を互いにしっかりと接続する必要があります。

 

4. 次に、将来のトゥーラジンジャーブレッドをステンシル型に移す必要があります。レシピは、繊細さに長方形の形を与えなければならないことを私たちに知らせます。これは通常、特別な木製のブロックを使用して行われます。次に、皿を天板に注意深く置きます。

 

5. 本物のトゥーラジンジャーブレッドのレシピには、珍味を焼くときは、特別な温度管理を観察

する必要があると書かれています。最初の数分で、320度に達するはずです。次に、ジン

ジャーブレッドをオーブンから取り出して冷却します。その後、菓子類をオーブンに戻し、摂氏260270度に予熱する必要があります。ベーキング時間は5分です。

 

6. 次に、釉薬を作る必要があります。これを行うには、粉砂糖をふるいにかける必要があります。次に、温水を入れた鍋に注ぐ必要があります。次に、甘い塊を40度に穏やかに加熱し、絶えず攪拌する必要があります。その後、得られた釉薬をブラシで焼き菓子に塗布する必要があります。

 

 

Тульский пряник, рецепт тульского пряника, музей тульского пряника

トゥーラジンジャーブレッド、トゥーラジンジャーブレッド博物館

Тульский пряник, музей "Тульский пряник"

      

Tula gingerbread recipe から

 

    


方法:

蜂蜜、卵を混ぜて柔らかくしたバターと混ぜる。篩った粉、BSを加えてよく練る。固いと水を1/4C加えてもよい。ローリングピンで厚さ5-6 mmに二枚伸ばす。フィリングを入れて封をする。

最初に320℃11.5分間焼いて冷まし、26027℃で 5分間焼く。しっかりと冷ましてからアイシングを塗る。粉糖1カップ、水4TBS40℃に加熱する。

 

トゥーラジンジャーブレッド


小麦粉 3カップ

  • 蜂蜜 100g

  • バター 大さじ4

  • 2

  • 重曹 小さじ1/2

  • 砂糖のアイシング

フィリング用:

  • ジャム 200g

  • 砂糖 大さじ1


砂糖の調理方法柔らかくなったバターに蜂蜜、卵を加え、すべてを完全に混ぜます。結晶化した蜂蜜は、結晶が溶解するまで予熱し、室温まで冷却する必要があります。次に、重曹と混ぜたふるいにかけた小麦粉を加え、生地をこねます。生地がうまくこねられず、硬すぎる場合は、1/4カップの水を追加できます。
準備した生地を厚さ56 mm、ジンジャーブレッドごとに2層に広げます。レイヤーのサイズは、ステンシル型のサイズに対応している必要があります。生地の最初の層に詰め物を置き、2番目の層を上にして覆い、生地の端をくっつくように圧着します。次に、生地を端に沿って位置合わせし、手で層を圧着します。準備した半製品を油を塗った型に移し、木製のラストでジンジャーブレッドを形作り続けます。テーブルの上に木製のステンシル型を軽く吹き付けて、型抜きされた生地を型から離し、植物油を塗った天板に置きます。
ジンジャーブレッドは2つのステップで焼く必要があります。まず、320度の温度の非常に熱いオーブンに入れ、11.5分間焼きます。次に、ジンジャーブレッドをオーブンから取り出し、冷ましてさらに5260度の温度で270分間焼きます。その後、ジンジャーブレッドを完全に冷まし、ブラシで砂糖釉薬を塗ります。
詰め物を準備するには、ジンジャーブレッドを焼くときにジャムが十分に濃くなり、広がらないように砂糖で茹でます。
粉砂糖を準備するには、粉砂糖1カップ、大さじ4が必要です。
粉砂糖をふるいにかけ、鍋に注ぎ、温水を注ぎます。へらで攪拌しながら釉薬を40度に加熱します。釉薬が厚すぎる場合は水を加え、液体の場合は粉砂糖を加えます。

 

https://gurmel.ru/tulskij-pryanik-2/

Тульский пряник, рецепт тульского пряника, музей тульского пряника

http://www.liveinternet.ru/users/4600072/post249211255/

https://nymnym.net/es/Recipes/pan-de-jengibre-de-tula 

http://www.tulapryanik.ru/art_recept_pryanika.html 

http://www.syl.ru/article/168977/new_tulskiy-pryanik-retsept-prigotovleniya

なども参考にします。

 

よく似たレシピがつづきますが、焼き時間も参考にしながら重要な箇所をピックアップして自分のレシピに仕上げてゆきます。

 

 

最後にスタンプです。

 

トゥーラ以外に美しい模様をもったプリャニクを産するのはゴロデッツ (Городецкий пряник ) です。

         

                                      

      Доска для Тульского пряника

 

        

ゴロデッツのプリャニクの木彫板は下のように美しいものです。この細かい模様とお菓子とのデザインとのギャップはプリャニクを作るうえで非常に気になるところですがここではスキップします。

 

       

 

         ゴロデッツジンジャーブレッドのスタンプ 

 

 手に入る範囲でスタンプを用意するか、あるいは別の方法でプリャニクのデザインを決めます。

 

      

            直径11.3㎝のSpringerle

 

これを使うことにしました。少し小さいですがトライアルとしてはいいかなと判断しました。

1600年ごろのSpringerleの型です。なければ先の動画にあったように生地の上にフォークを使って、あるいは繰り返し模様のあるパターン、例えばクリスタルグラスに刻まれた模様など身近にあるものを利用します。この辺りはお菓子を作っていて一番の楽しいところですのでそのための時間を十分に割きます。

中に入れるフィリングですが生地に合わせてアプリコットのジャムを使うことにしました。動画にあったように、かなり硬めの、ジャムというよりは羊羹のような、ここはペクチンで固めた、それでいてアプリコットの風味を十分に残したものを用意します。

生地はプリャニクの歴史を尊重して蜂蜜主体で行くことにしました。(この辺りはエイヤッ!です)

 

次回は焼いたプリャニクをご紹介する予定です。

                         

これが試作のプリャニクです。「・・・・・・・・・・・・?」なんとも無様なとは思うのですが。これでも二回目のプリャニクなんです。色はもっと濃くないと。模様はもっとはっきりとしないと。

 

しっかりと今までの知見を結集して試作に臨んだはずなのですが。プリャニク、なかなかToughな相手です。これからが楽しみです。

 

今年最後のblgとなります。

レシピを色々変えて、画を撮った時にはこれでプリャニクとの戦いも最後になるかなと、少し寂しい気がしたのですが、焼いてみると中々すんなりとはいかないようで、来年もプリャニクと格闘することになりそうです。ホットしたような気持にもなりました。焼く前の勇士をお見せして今年最後の投稿とします。

 

     

                          

生地の内容を変えてみました。古いレシピにはライ麦粉を使ったものもありましたのでトライしてみました。思いのほか良い結果が、つまり褐色のいい感じの色合いが得られました。生地の肌はまだ荒いですが方向性はあっているように思います。焼いてもいい感じです。シロップの乗りもいいようです。

作って、食べてみると、このツーラプリャニクは中に入れるジャムも非常に大切でその種類と量はこのお菓子の評価を左右するようです。

とりあえず今回の結果を載せておきます。

 

           

 

 

 

                                 つづく

 

 


トゥーラ・プリャニク II

2024年12月16日 | 新しいお菓子

ロシア近隣には似たような、木型と砂糖を組み合わせたお菓子(gingerbread) 2種類ほどあります。Speculaasと南ドイツのSpringerleです。スペキュロスはベルギー、デンマーク、ドイツの一部で作られています。オランダでは、Sinterklaas(聖ニコラスの日)に関連してよく食べられ、ベルギーやドイツではクリスマスの時期に焼かれる伝統的なスパイスクッキーです。サクサクとした舌触りが特徴でグルテンの少ない小麦粉で作られます。Speculaash1870年、Springerle 1350年代に作られ始めたと言われています。ともに砂糖がなくては作ることができないお菓子です。

 

プリャニクを含め、モスクワから西と北に向かって『ジンジャーブレッド』と名のついたお菓子がたくさんあります。ジンジャーが入っていなくても、スパイスが少しでも入っていればこの名が付いています。ジンジャーはこれらの地では育たないので、イスラムから目玉が飛び出るほどの値段で買わされていたからでしょう。

 

                     
       デンマークの Alte Spekulatius Form 19 Jh.



ベルギーのサイト Speculaas koekjes recept I 24Kitchen から;

スペキュロス

         
材料

225 g  バター

  • 300 g  イエロー(ライトブラウン)キャスターシュガー

    5 g   塩

  • 50 g  バターミルク

    500 g  ゼーランドの花(オランダの海洋性気候下のゼーラント地方で栽培されたデンプンとタンパ

        ク質の少ない小麦粉)

    20 g  ベーキングパウダー

    30 g  ジンジャーブレッドスパイス

方法

  1. 1. オーブンを150度に予熱します。

    2. バターをキャスターシュガー、塩、バターミルクと混ぜます。小麦粉とベーキングパウダーを加え

    ます。ジンジャーブレッドスパイスを生地を通してふるいにかけます。

    3. 生地を2日間休ませます。

     

    (外部サイトへリンク)

    4. speculaasplank を使って生地を形作ります

     

    5. オーブンで150度で25分間焼きます。

 

プリャニクを眺めているとSpringerleの木型を思い出してしまいました。Springerleは砂糖の生産量と並行してその盛衰が上下しました。砂糖のヨーロッパでの遍歴を少し振り返ってみようと思います。

下はSpringerleによくあるハートに薔薇の花の図柄。AMOTEはラテン語でI Love Youの意。ロシア、ヨーロッパともにジンジャーブレッドの図柄は当初、教会と結びついた図柄でした。柄を見るとそれが作られた年代がわかります。 

 

 

        

お店で使っていたPringerleの型。House on the Hill Cookie Molds で購入した一つで長年使って縁が欠けています。

 

ТУЛЬСКИЙ ПРЯНИК: рецепт. Тот самый вкус из детства! ☆ Рецепт пряников с начинкой: (トゥーラのジンジャーブレッド: レシピ。あの懐かしい味!☆ フィリング入りジンジャーブレッドのレシピ )が Bing 動画 で見ることができます。ここいらで一休みしましょう。

 

ヨーロッパにおける砂糖の使用に関しては既にApiciusで述べましたが、異なる方向から確認しておこうと思います。古代ローマの博物学者プリニウス(Pliny the Elder)がD 77-79年にラテン語で書いたPLINY'S NATURAL HISTORYNaturalis Historia)を取り上げます。

XVII. Arabia also produces cane-sugar, but that grown in India is more esteemed. It is a kind of  honey that collects in reeds, white like gum, and brittle to the teeth; the largest pieces are the size of a filbert. It is only employed as a medicine.

アラビアでもサトウキビが生産されていますが、インドで栽培されたものの方がより高く評価されています。それは、葦に集まる一種の蜂蜜で、ゴムのように白く、歯に当たるともろく砕けます。最大の塊はハシバミの実の大きさをしています。これは薬としてのみ使用されます。

 

ローマ帝国のペダニウス・ディオスコリデス( Πεδάνιος Διοσκορίδης AD 40 -90年)の著書Dioscorides Material Medica AD 50-60の中にもその記述(下)があります。この本はNATURAL HISTORY の内容を一部引用しています。

 

2-104. SAKCHARON

SUGGESTED: Arundo saccharifera, Saccharum officinale,

Bambusa arundinacea — Sugar Reeds

There is a kind of coalesced honey called sugar found

in reeds in India and Arabia the happy, similar in

consistency to salt and brittle [enough] to be broken



薬として用いられていたことは上述から明らかです。 インドやイエメンあたりで「アシからとれる"sakcharon"」というものが「膀胱や腎臓の痛みを和らげるために服用される」とディオスコリデス は述べています。ヨーロッパはローマ帝国時代に大西洋、地中海そしてインド洋と広い視野の下で文明を築いていたのですが、その後キリスト教の下で深い眠りにつきます。再びヨーロッパに砂糖が姿を現わすのは9世紀頃からアラブの支配下にあったシチリア島で砂糖が生産されるようになってからです。その後、アル=アンダルス(スペイン)が砂糖生産の中心地となり、ここから砂糖がヨーロッパに輸出されたのです。



Wikiは『ロシアのプリャーニクは、9世紀ごろには既に存在しており、当時は「медовыи хлеб(ミェドーヴィー・フレープ=蜂蜜入りパン)」と呼ばれていた。それらはライ麦の粉を蜂蜜や果物の汁と混ぜたものであり、そのうえこれらに含まれる蜂蜜の量はほかのすべての材料のほとんど半分にもなった。』と述べていますが、これはこれまでの内容と符合します。

 

     

ハンガリーのジンジャーブレッドです。

Mezeškač - ハンガリーの蜂蜜ジンジャーブレッド - パン Pechla.ru

をご覧ください。綺麗ですねえ。 



 

                                                                                                        つづく

 

 

 


トゥーラ・プリャニク

2024年12月05日 | 新しいお菓子

      トゥーラ・プリャニク тульский пряник, tulskiy pryanik )

 

         

         お菓子に刻まれた「Тульский」(トゥーリスキー)は、ロシア語で「トゥーラの」という意味

 

13-14年つかっていた Windows7がフリーズが繰り返すようになって、「心残りで後ろ髪をひかれるものの、やっとの思いで」今年の10月に新しく買い替えました。ハードディスクからデータを転送することになりました。うつらうつら画像を整理していると、7年前の2017年のファイルの中に上のような写真が見つかりました。お菓子室にお呼びしたお礼として頂いたトゥーラ・プリャニク※です。

 

※プリャニク:スパイスの効いた焼き菓子の意で、その語源は、形容詞пряный(プリャーニィ=スパイスが利いて香ばしい、古形は пьпьрянъ)に因み、スパイスや香辛料を意味していたперец(ピェーレツ=コショウ、古形はпьпьрь)がもとになっています。トゥーラは町の名です。

 

お国に連絡をして送っていただいたのかそれとも別便で送っていただいたものなのか、教室にお呼びしてから少し間が空いてからのご返事だったのでその意外な贈り物に驚いたことを思い出しました。包みを開けるとさらにビックリ。まるで木彫のような外観で、写真では伝わってきませんが、手にすると感じるずっしりとした重さと焦げ茶色に光った様は「これって木じゃないの?」としか思えないものだったからです。お菓子ではあるけれども「ただものではない。」というのが正直な感想でした。大切な、国を代表するお菓子であったことは間違いないようです。だからでしょう、年明け早々の2018/1/6にロシアのサイトからトゥーラ・プリャニクのレシピをファイル『新しいお菓子』の中に9つ引っ張り出していました。

あの時どのような思いでお菓子を送っていただいたのだろうか・・・・・・・・・・・礼を失することはなかっただろうか。思いは深まるばかりです。

今回買い替えたWindows11の翻訳機能とCopilotを使ってロシアのジンジャーブレッド:トゥーラ・プリャニクに挑戦してみようと思いました。

  

           

トゥーラと同じくプリャニクで有名なゴロデッツのジンジャーブレッドスタンプ。精緻な文様にビックリです。

 

まづトゥーラ・プリャニクの歴史から始めます。過去に遡ることでトゥーラ・プリャニクを作る何らかのヒントが得られるのではと思うからです。

 

「プリャーニクの歴史」を検索すると『古代ローマの市民には、「パーヌス・メリトゥス ( panus mellitus )」すなわち蜂蜜を塗って焼いたパンは馴染みのあるものだった。』という文章が出てきました。古代ローマの料理書Apicius (Apicius de re Coquinaria ; 1-5世紀) を「蜂蜜とパン」で検索すると次の2つのレシピが見つかりました。



The Project Gutenberg eBook of De Re Coquinaria, by Apicius から

[296] ANOTHER SWEET DISH  ALITER DULCIA(もう一つの甘い料理-フレンチトースト)

BREAK [slice] FINE WHITE BREAD, CRUST REMOVED, INTO RATHER LARGE PIECES WHICH SOAK IN MILK [and beaten eggs] FRY IN OIL, COVER WITH HONEY AND SERVE [1].



[16] TO MAKE HONEY CAKES LAST  UT DULCIA DE MELLE DIU DURENT(蜂蜜菓子を長持ちさせる方法)

TO MAKE HONEY CAKES THAT WILL KEEP TAKE WHAT THE GREEKS CALL YEAST [1] AND MIX IT WITH THE FLOUR [51] AND THE HONEY AT THE TIME WHEN MAKING THE COOKY DOUGH.

[1] Tor. and Tac. nechon; G.-V. cnecon; Dann. Penion.

保存が効くハニーケーキを作るには、ギリシャ人が「クネコン( cnecon:イースト)」と呼ぶものを使って、粉と蜂蜜と一緒にクッキー生地を作るときに混ぜます。」

Apicius の中でこのレシピ以外にcneconは見当たりません。cneconの正体ははっきりとしませんがおそらく取り残しておいた生地を入れる(Pâte fermentée等)か、ルヴァンを使う方法を取ったのでしょう。蜂蜜に含まれている自然のイーストを利用したのだと思います。



最初のレシピはフレンチトーストのレシピと思しきもので、2つ目は日持ちさせるための蜂蜜ケーキの作り方です。小麦粉と一緒に蜂蜜を混ぜて焼くと長持ちするというものです。砂糖がない(なくもないのですが薬としての使用しかできなかった)ので蜂蜜を使ったのでしょう。小麦粉の中に蜂蜜を入れて捏ねるという慣習はその後のヨーロッパに伝わったのでしょうか。ローマから遠く離れたロシアに? 多少の可能性はないこともないといったところでしょうか。ローマのレシピがロシアのプリャーニク作りに影響を与えたプロバビリティはなくもない・・・・・・しかし気に留めておく必要はありそうです。(『蝸牛考』を持ち出さずともローマから遠く離れたロシアに到達した蜂蜜のレシピが長くロシアに留まってローマ時代そのままの姿を今に残しているということは十分にあり得ることです)・・・調べる価値はありそうです。

    

       

            トゥーラ・プリャニクのスタンプ

 

今に伝わるトゥーラ・プリャニクを引用してみましょう。

Web から60ばかり取り出し、内容を精査したところ次の正統派?と思しきレシピが2つが残りました。

 

Классический тульский пряник и рецепт его приготовления から(重複する表現は削りました)

 

古典的なトゥーラジンジャーブレッドの材料

小麦粉 3カップ(360g)、蜂蜜 100グラム、バター 大さじ4、卵 2個、重曹 小さじ1/2、ジャム 200グラム

砂糖 大さじ1 (ウクライナ及びロシア南西部で産する小麦粉のタンパク含量は1012%です。中力粉に当たります)



古典的なトゥーラジンジャーブレッドを調理する手順

  •  事前に、バターを柔らかく (ただし、溶かして液体の状態にしない)してから、蜂蜜と卵2個を加え  ます。均質なるまで混ぜます。
    蜂蜜が結晶化状態にある場合は、水浴に溶かし、生地が室温に冷えた後に生地に加えます。

  •  ふるいにかけた小麦粉にソーダを入れてやさしく練ります。捏ねるのが難しい時は、4分の1カップの温水を追加します。

  •  詰め物は粘度を持たせるためにジャムには砂糖を加えて徹底的に煮ます。

  •  よく練った生地は、(最適な厚さは56 mm) に延します。1つのジンジャーブレッドには、2つのレイヤーが必要です。詰め物は最初の層にのせ、2番目の層で覆います。両方の層は、フィリングの漏れを防ぐために慎重にくっつけます。

  •  生地を木型に移して成形し、次にベーキングシートに移します。

  •  ベーキングの最初の段階 (期間 – 11.5) では、320度で焼きます。次に、ジンジャーブレッドをオーブンから取り出し、冷却して260270度で5分間焼きます。

     砂糖釉薬の場合、粉砂糖をふるいにけ、すでに温水がある鍋に注ぎます。塊は、絶えず攪拌しながら40度に加熱されます。得られた釉薬をブラシでジンジャーブレッドに塗布します。

     

    ここには焼き温度が書かれていませんが、次のサイトではその表示がありました。

トゥーラジンジャーブレッドの焼き方 Народные промыслы | Тульский пряникから

トゥーラジンジャーブレッドの味の多様性は、生地の組成、生地の準備方法と焼き方、そしてもちろんスパイスや添加物によって異なります。昔は「ドライスピリッツ」と呼ばれていました。その中で最も人気があったのは、黒胡椒、イタリアンディル、オレンジピール(ビターオレンジ)、レモン、ミント、バニラ、生姜、アニス、クミン、ナツメグ、クローブでした。トゥーラジンジャーブレッドの詰め物でさえ、ボグチャロヴォとアルセニエフスキー地区で育った特定の種類のベリーとリンゴからのみ作られました。ジャム、ジャム、トゥーラ県で栽培されている果物や果実のジャムを詰め物として使用することで、有名な繊細さは他のジンジャーブレッドクッキーと味と香りが区別されます。

 

小麦粉3カップ、蜂蜜100g、バター大さじ4、卵2個、ソーダ小さじ1/2、砂糖釉薬を取ります。詰め物:ジャム200g、大さじ1


柔らかくなったバターに蜂蜜、卵を加え、すべてを完全に混ぜます。結晶化した蜂蜜は、結晶が溶解するまで予熱し、室温まで冷却する必要があります。次に、重曹と混ぜたふるいにかけた小麦粉を加え、生地をこねます。生地がうまくこねられず、硬すぎる場合は、1/4カップの水を追加できます。
準備した生地を厚さ56 mm、ジンジャーブレッドごとに2層に広げます。レイヤーのサイズは、ステンシル型のサイズに対応している必要があります。生地の最初の層に詰め物を置き、2番目の層を上にして覆い、生地の端をくっつくように圧着します。次に、生地を端に沿って位置合わせし、手で層を圧着します。準備した半製品を油を塗った型に移し、木製のラストでジンジャーブレッドを形作り続けます。テーブルの上の木製のステンシル型を軽く叩いて、型抜きされた生地を型から外し、植物油を塗った天板に置きます。
ジンジャーブレッドは2つのステップで焼く必要があります。まず、320度の温度の非常に熱いオーブンに入れ、11.5分間焼きます。次に、ジンジャーブレッドをオーブンから取り出し、冷ましてさらに560270度の温度で焼きます。その後、ジンジャーブレッドを完全に冷まし、ブラシで砂糖釉薬を塗ります。


詰め物を準備するには、ジンジャーブレッドを焼くときにジャムが十分に濃くなり、広がらないように砂糖で茹でます。


粉砂糖を準備するには、粉砂糖1カップ、大さじ4が必要です。
粉砂糖をふるいにかけ、鍋に注ぎ、温水を注ぎます。へらで攪拌しながら釉薬を40度に加熱します。釉薬が厚すぎる場合は水を加え、液体の場合は粉砂糖を加えます。

重曹がヨーロッパで使われだしたのは19世紀初頭ですから、17-18世紀の複雑なパターンのジンジャーブレッドがトゥーラで焼かれ、販売された時代に重曹はまだありません。ここには書かれていませんが、練られた生地は時間をおいて寝かせてから焼いたと思われます。

 

上の他のレシピには砂糖が入っています。1600年代にロシアに砂糖はあったのでしょうか。

                           

Так ли уж плох Домострой - Из рода в род (サイトにはDomostroiの要点が記載されています)

 

Сильвестровская редакция(シルヴェストロフスカヤ・レダクツィヤ :それまでのDomostroi / Домострой を手直し編纂したもので16世紀のロシア社会における宗教的、社会的、家庭的事柄に関する規則、指示、助言をまとめた家庭の手引書)の中には砂糖の文字は見当たりません。ここに引用したものはドストモロイの一つの版でイヴァン4世(イヴァン雷帝)の腹心であるモスクワ総主教シルヴェストル(生年不明-1566没)がそれまでに支配階級に流布していたものを手直したものです。彼の名前にちなんで特に Сильвестровская редакция(シルヴェストロフスカヤ・レダクツィヤ)と呼ばれています。編集は当時の教会の教義や儀式に基づいて行われ、ロシア正教会の伝統を反映しています。この書物の中に「蜂蜜」の文字は10ありました。 尚、ロシアに砂糖の輸入が始まったのは17世紀の終わりのピョートル大帝(1672/6/9 -1725/2/8)の1600年後半になってからということになります。砂糖を使ったレシピは検討の余地がありそうです。

Сильвестровская редакция(シルヴェストロフスカヤ・レダクツィヤ)の時代の料理書をあと2-3冊引用すれば初期のトゥーラ・プリャニクの姿をはっきりと知ることができます。現在のそれと比較することで現在から今に至るトゥーラ・プリャニクの変遷を知ることになるのですが、どなたかネットから引き出せる方法(address)をご存じないでしょうか。。お教えいただけるとうれしいのですが。

 

История кули нарных книг и журналов в России: от Домостроя до фудблогеров — читать на Gastronom.ru  に次の料理書の紹介がありました。 

 

«DomostroiXVI世紀, 「ブリーフ・クック・ノート」1779,「 古いロシアのホステス、家政婦、料理人」1790, 「ロシア料理」1816, 「ロシアの経験豊富な主婦のマニュアルブック」1842, 「若い主婦への贈り物、または家庭の支出を削減する手段」1861, 主婦のためのジャーナル1912–1917,「労働者」1914, 「農民の女」1922,「 モスクワとモスクワ人」1926, 「美味しくて健康的な食べ物の本」1939, ウィリアム・ポクレブキンとペレストロイカ,ガストロノーム2001年』

 

書名を辿れば各々のサイトにたどり着く着くことができます。

 

Domostroiに次いで古い「ブリーフクックノート」※から砂糖のレシピを3つ取り上げます。先に原文を次いでその日本語訳を載せました。訳に疑問の点があれば翻訳ソフトで確認して下さい。

 

※「ブリーフクックノート」はЭкономическое наставление дворянам, крестьянам, поварам и поварихам(貴族、農民、料理人、料理人のための経済的指導)セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ドルコフツォフによって1773年に書かれた。)】の中から1799年に別版として出版された料理書です。農業や家畜の管理、料理の技術、家庭での経済的な運営方法など、さまざまな実用的なアドバイスが含まれています。特に、効率的な農業の方法や、食材の保存と調理の技術について詳しく、家庭での経済的な運営を改善するための具体的な提案も多く含まれています。

 

деланій сахарного сыропа по пропорціи. Возьми сахару 3 фунта, истолки воды шт фѣ налей, и вари столько пока грязь снимешь прочь, вылей сыропъ простуд въ штофъ, дай стоять мѣсяць, чтобъ достальной илъ отпасть Marb тогда уже оной сыропъ совокупляй съ спиртомъ полагай 4 ю часть прошив спирша на штофъ. [ocr errors] • дѣланін Французской подки. Возьми дрожжей винограднаго вина, н лей кубь, двой; потом вторично оное перепусти чрезъ кубъ, будетъ Французская водка самая лучшая, называемая каньяка. Прочая дѣлается таким образомъ: [ocr errors] , , всякіе гнилые Фрукты и ягоды на то потребны, яблоки, груши, сливы, изюм, Чернослив, винныя ягоды, каринка, словомъ сказать все чтобъ ни случилось клади въ бочку налей водою положи ренскихъ дрожжей; а когда оныхъ нѣшь, простыхъ пивныхъ, двой чрезъ кубъ три раза, будетъ водка Французская. Когдать оную еще передвоить одинѣ разъ, и смѣшать съ желаемою изъ спецій водою, также и съ сыродомъ по пропорцій предписанной, будетъ водка вейновая, Желающему употреблять водку здо ровѣе по обѣдѣ И для того безъ

 

砂糖シロップの作り方(砂糖と水比例に基づく)

砂糖3ポンドを取り、水1.5カップを加えて煮ます。汚れを取り除いたら、シロップを瓶に注ぎ、1ヶ月間放置して沈殿物を取り除きます。その後、このシロップをスピリッツと混ぜ、4分の1の割合で加えます。

フランス風ウォッカの作り方

ブドウ酒の酵母を取り、2回蒸留します。これで最高のフランス風ウォッカ、カンヤカができます。

その他の方法は次の通りです:

腐った果物やベリー(リンゴ、梨、プラム、レーズン、プルーン、ワインベリー、カリンカなど)を樽に入れ、水を注ぎ、レンスキー酵母を加えます。酵母がない場合は、ビール酵母を使用し、3回蒸留します。これでフランス風ウォッカができます。さらに1回蒸留し、好みのスパイスウォーターと混ぜ、指定された割合でシロップと混ぜると、ワインウォッカができます

 

Возьми винныхъ ягодѣ фунтъ, истол ки оныя вѣ иготи налей пракомъ, или Французской водки штофъ, положа все въ бутыль, закупоривъ поставить на солнце на мѣсяць; и какъ сокъ спиршомѣ вытянешь, слей и разведи бѣлымъ Французскимъ виномъ, прибавь по желанію сахару, будешь вино крѣпкое; и чѣмъ болѣе стоять станеть тѣмъ будетъ еть времяни до времяни лучше. Для дороги сіе вино весьма потребно

 

ワインベリー1ポンドを取り、すりつぶしてフランスのウォッカ1瓶を注ぎます。すべてを瓶に入れ、密封して1ヶ月間太陽の下に置きます。アルコールで果汁が抽出されたら、こして白ワインで薄め、好みに応じて砂糖を加えます。これで強いワインができます。時間が経つほど味が良くなります。このワインは旅行に非常に適しています。

 

0 ратафін. , И Возьми свѣжихъ вишень, и косточки изъ нихъ истолки, налей все Французскою водкою, положи еще корицы, и дай стоять мѣсяць, разливай въ штофы, положи въ каждой по полуфуншу сахару.

 

ラタフィン※の作り方

新鮮なサクランボを取り、種を取り除いてすりつぶします。フランスのウォッカを注ぎ、シナモンを加えます。1ヶ月間放置し、その後瓶に詰め、各瓶に砂糖を半ポンドずつ加えます。

※「ратафін(ラタフィン)は、果物や果実の種をアルコールに漬け込んで作るリキュールの一種です。ここでは種を取り除いたフルーツを使っています。両方使ったほうが香りを生かすことができます。特に、サクランボやアンズなどの果物を使用することが一般的です。フランスのウォッカやブランデーをベースにして、果物の風味を引き出すために1ヶ月ほど漬け込みます。シナモンや砂糖を加えることもあります。

このリキュールは、デザートやカクテルの材料として使用されることが多く、甘くて風味豊かな味わいが特徴です。時間が経つほど味が深まり、特別な場面での飲み物としても楽しまれます。)

 

1700年も後半になると砂糖のレシピが頻繁に出て来るようです。もう少し時代を遡ってみたのですが残念ながら適当な本に行き届くことができませんでした。ロシアの識字率は非常に低く、1800~1860年では10%、1900年では30%,1930年で75%、1950年で98%です。そのために書物の普及が遅れたと考えられます。

 

 

                                     つづく

 

 


ストロベリークリームチーズパイ 2

2019年02月20日 | 新しいお菓子

ストロベリークリームチーズパイ  2

レシピを調べていると稀におやっ!と思う言葉が出てきます。「ウイーンの大地」は久しぶりの、その稀な例にあたります。今は検索のボタンを押すと直ぐに判るのですが、それでもこんな例に出会うと嬉しくなります。Wiener Bordenと間違えて検索ボタンを押すと、「レディーボーデン」のアイスクリームが出てきたのには驚きましたが。

 

Wiener Tortenbodenの作り方を引用しておきました。

http://www.mamas-rezepte.de/rezept_Wiener_Tortenboden-10-1851.html

      

    

「ウイーンの大地」は、かつてドイツでよく使われていた、今も使っているかな?オブラートのような使い方をします。

12枚にスライスして、水分の多いケーキの底として使います。生クリーム、チョコレートクリーム、バタークリーム、クリームチーズなどをのせます。

( 生地の中に油脂を入れないのが元々のレシピですが、入れると柔らかく新鮮さが長く続くので最近はバターを入れています。)

 

材料;(12個分)

卵           5

冷水          4TBS

砂糖           175 g

バニラシュガー      1

薄力粉          120 g

コーンスターチ      80 g

ベーキングパウダー      6 g

塩            -

溶かしバター        50 g

 

方法;

直径26 cmのスプリングフォルムを用意して底にバターを塗る。卵白をボールに入れて塩、冷水を入れて固くなるまで泡立てる。

砂糖を23回に分けて混ぜる。卵黄を加える。

薄力粉、コーンスターチ、ベーキングパウダーを混ぜる。溶かしバターを混ぜる。

型の中に入れて170-175 ° C で約45 分間焼く。

冷ます。

型から外してベーキングペーパーの上にのせ、アルミフォイルをかけて一晩寝かせる。

2-3枚にスライスする。

 

ここでは、卵白に水を入れて卵白を泡立てて作る方法をご紹介しておきました。

 

 


ストロベリークリームチーズパイ 1

2019年02月19日 | 新しいお菓子

ストロベリークリームチーズパイ  1


先週ドイツから帰ってきた添乗員の友達のお土産にチーズケーキの本がありました。下の画像はその中の一つです。 教室で取り上げて欲しいレシピがあればと「あなべるお菓子教室」で本をお見せしたところ、「これはどうかしら」とご指摘のあったレシピです。

Erdebeer-Frichkäse-Torteストロベリークリームチーズパイ)という名のこのケーキを調べてみました。

          

 

材料;

ウイーンの大地※      1

ストロベリージャム     50g

砂糖            50g

ミルク           100ml

バニラビーンズ       1本

ゼラチン          6

クリームチーズ       400g

生クリーム        400ml

ストロベリー        150g

 

その他:

ストロベリー        500g

ゼリー(赤)        1

ミントの葉

 

方法:

1. Wiener Boden※(ウイーンの大地;Viennese mass 又は "light sand mass" という)をケーキプレートの下に敷いて、その周りをケーキリングで取り囲む 

2. 鍋に牛乳、バニラ、砂糖を入れて熱し、砂糖を溶かす。 

3. ゼラチンをミルクの中に溶かす。 

4. クリームチーズを混ぜる。 

5. 半分に切ったストロベリーをケーキの上にのせてチーズを入れ、表面をならして冷蔵庫に入れる。残りのストロベリーを上にのせる。 

6. ゼリーを使用説明書の方法で用意してストロベリーを覆う。型のリングを外してミントの葉を飾る。



つづく