ケネルンはベネティアを毒殺したのではと私は思っています。非常な嫉妬心を持つ男のようです。事にベネティアに対しては特別です。
年に500ポンドの金とは、今でいえばどのくらいの価値があるのでしょうか。
Nominal Annual Earnings for various Occupations in England and Scotland", Data by Jeffrey G. Williamson, 1982 によれば、1700年代の上級官吏が70ポンド/年、技術者が45ポンド/年、一般労働者、農業従事者が20ポンド/年、伯爵はざっくり言って二万ポンド位です。500ポンドをどのように評価すべきでしょうか。その毎年入ってくる500ポンドと引き替えにケネルンは嫉妬心を買ったといえるかもしれません。
年代 1710 1737 1755 1781 1797 1805 1810 1815
職業
警官 警備 13.28 26.05 25.76 48.08 47.04 51.26 67.89 69.34
教師 15.78 15.03 15.97 16.53 43.21 43.21 51.10 51.10
建築労働者 17.78 17.18 17.18 21.09 30.03 40.40 42.04 40.04
一般労働者 19.22 20.15 20.75 23.13 25.09 36.87 43.94 43.94
下級官僚 21.58 28.79 28.62 46.02 46.77 52.48 57.17 60.22
鉱夫 22.46 27.72 22.94 24.37 47.79 64.99 63.22 57.82
建築業者 28.50 29.08 30.51 35.57 40.64 55.30 66.35 66.35
織物師 33.59 34.28 35.96 41.93 47.90 65.18 78.21 67.60
造船業 36.26 37.00 38.82 45.26 51.71 51.32 55.25 59.20
技師 40.73 41.56 43.60 50.83 58.08 75.88 88.23 94.91
印刷業 43.29 44.17 46.34 54.03 66.61 71.11 79.22 79.22
書記 43.64 68.29 63.62 101.57 135.26 150.44 178.11 200.79
外科医師 51.72 56.85 62.02 88.35 174.95 217.60 217.60 217.60
高級官僚 62.88 84.04 78.91 104.55 133.73 151.09 176.86 195.16
聖職者 99.66 96.84 91.90 182.65 238.50 266.42 283.89 272.53
弁護士 113.16 178.18 231.00 242.67 165.00 340.00 447.50 447.50
測量技師 131.09 122.37 137.51 170.00 190.00 291.43 305.00 337.00
( 数字はポンド/年を示します )
Data by Jeffrey G. Williamson, 1982
Data in pound sterling per yearJeffrey G. Williamson, "The Structure of Pay in Britain, 1710-1911", Research in Economic History, 7 (1982), 1-54. から一部分を引用させて頂きました。
オーブリーの 'BRIEF LIVES' によれば、リチャード・サックビルは1624年に亡くなったのですが、残された子供とベネティアのために年金が支払われたのです。後を継いだ4代ドーセット伯爵は夫婦を一年に一度屋敷に招きました。ケネルンが立つその横で彼は夫人の手にキッスをし、滴るばかりの欲望に満ちた眼差しで彼女を見つめていたと書き残しています。
( リチャード・サックビル、ベネティア、ケネルンの三人の関係は、1625年の二人の結婚以前の、少なくとも、スタンレィがロンドンに来てから以降7-8年間のいきさつを知らないと、はっきりと分からないようです。
ベルヴォアールのラトランド伯爵がスタンレィの肖像画を一枚所持していたようです。そのようなこともケネルンをして嫉妬に駆らせた原因だと思います。当時の、肖像画に込めた思いは今のそれとは異なるようです。「肖像には魂の一部分が宿る」と考えていたのかもしれません。臨終の姿を現世に写し取ったのも、かって生きていた人との交流手段であると考えていたのかもしれません。)
当時の死生観はどのようなものだったのでしょうか。1600年代、死生観、イングランドと言えば、シェイクスピアのハムレットが思い浮かびます。
ハムレットの三幕第一場は「To be, or not to be : that is the question : 」の有名なセリフで始まります。つづく「死は……ねむり……に過ぎぬ。 眠って心の痛が去り、此肉に付纏ふてをる千百の苦《くるしみ》が除かるゝものならば…… それこそ上もなう願はしい 大終焉ぢゃが。……死は……ねむり……眠る」というセリフは当時の「死」に対する考えを代弁しています。
( 眠りには二種類;目覚めることのある「眠り」と目覚めのない「眠り」があり、二つを区別しないのが上の考えです。 )
中世の死生観とはやはり少し異なります。しかし、重罪人は四肢をばらばらにする、燃やすなどの対処を取っていることから、骨に霊魂が眠るという考えはまだ少し残っているようですし、死者の世界と生者の世界は緩やかに繋がっているかも知れないという思いもまだ、これも少し存在しているようです。「緩やかに繋がっている」とは、往来ができるという意味です。
The gravedigger scene Eugène Delacroix, 1839
墓掘り人がハムレットに子供の頃に葡萄酒をかけられたヨリックの髑髏を拾い上げて、「これ、此髑髏《しやれこつ》は、 二十三年も土の中に入ってをりますのぢゃ。」と喋りかける。
ハムレットは髑髏を手に取って「見せい。はれ、不憫なヨリック!……ホレーショー、予《わし》は此者をば存じてをったが、 戲謔《むだぐち》にかけては眞《まこと》に窮極《きわま》る所を知らぬ、いや、拔群な竒想《おもひつき》に長じた奴。 予《わし》をば幾千度も背に負ふて歩いたものぢゃ。」と語りかけるのです。そこには霊魂が眠っている髑髏に対する恐怖心もなければ畏怖の念もない、きわめて「カラットした」空気が流れているのです。これには当時の、少々のことでは驚かない、芝居慣れした観客も度肝を抜かれたようです。ハムレットと言えば先代のハムレットが幽霊となって現れるシーンと、オフィーリアの入水場面、それにこの髑髏を事も無げに見つめるシーンが特に印象に残る場面です。絵はドラクロアが描いたものですが、当時の雰囲気をよく伝えています。
つづく。