6. 耳
タイユヴァンは甲冑を身に付け、彼自身を表す3つのポット、その上下に薔薇の花をあしらった紋章型の盾を、腰には短剣を携えています。足で竜を踏みつけ、彼が敬虔なキリスト教徒であり、騎士であったことを示しています。(墓石の一部分から)
タイユヴァンは宮廷につかえる料理人としての父を幼児期からみていたのではないかと思います。そうでなければ、下働きとはいえ僅か10歳の少年を宮廷の料理場で使うことはないと考えるからです。(当時は、自分の足で歩けるようになると仕事をさせたので、10歳という年齢は、働くのに幼すぎるということはないのです)
この時代は毒殺が通常に、政敵を倒す手段としてまかり通っていましたので、調理を作る調理人と、それを運ぶ給仕人にはとりわけ目が配られていた時代です。料理人は血縁関係者あるいは騎士としての宣誓式を終えた者にしか許されていない仕事でした。
タイユヴァンは優秀な料理人ではあるけれども、ノルマンの血を分けた、ノルマンディ人であり、敵対するイングランドとも何らかのつながりのある人間なのです。1356年、イングランド軍と争ったポワティエの戦いで大敗北を喫した当時のフランス王ジャンⅡ世はイングランド王軍の捕虜となり、ロンドンに連行されたのですが、ジャンⅡ世はエドワード黒太子からイングランドでの旅行、ロンドン塔内でのパーティの開催を許されるなど手厚い処遇を受けています。この時代はイングランドとの百年戦争のまっただ中の時代ですが、前の時代の,イングランドとフランスが婚姻関係を結んでいた時代の友好関係がまだ残っていたのです。
このジャンⅡ世がロンドン塔に囲われていた時、タイユヴァンが料理人として呼ばれたという話もありますが、これは行き過ぎた解釈だと思います。全くあり得ない話だとも言えないのですが。しかし、そのような緩やかなほんわか時代は終わりを告げようとしていたのです。1380年、タイユヴァンを支えてくれていたシャルルⅤ世がこの世を去ります。そして、狂気をはらんだシャルルⅥ世とその周りの、色と欲を孕んだ者達の暗躍が始まろうとしていました。
このような政治的背景をとっさに捕らえ、料理の名前にすら素早く配慮を払う、このメナジェ氏とは,一体どのような人物だったのだろうと思うのは、私一人ではないでしょう。
結論から言うと、役人、しかも高級官僚ではないだろうかと思っています。五十歳余りの年の差のある、若い妻を教育すべく羊皮紙にペンを走らせるこの者は並みの者ではないはずです。ここでは割愛しますが、彼はフランス宮廷の出来事を詳しく見聞きし、そのことを彼は「我々には関係のない、別の世界の出来事だ」と若い妻に語り聞かせているのです。しかしその一方、市長、裁判長などパリのお歴々の、屋敷での接待の方法、テーブルの席順、お供の方々の食事の内容などを事細かく説いているのです。
完
オレッキエッテ側からの考察が残っています。少し時間をおいてアップするつもりです。しばしお待ちください。
ベルガモットの花がやっと咲きました。