Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

タラゴン

2023年06月29日 | ハーブ

      

             MRS. ISABELLA BEETON.

 

1861年のイザベラ ビートン(1836/3/12 – 1865/2/6)著「THE BOOK OF HOUSEHOLD MANAGEMENT」から;

『タラゴンとは、学名Artemisia dracunculusとして知られる植物の葉で、フランスではサラダの風味付けによく使われます。また、タラゴンビネガーと呼ばれるビネガーも作られ、フランス人はマスタードを混ぜる際に使用します。元々はタタール地方から来ており、フランスでは種ができません。』という説明があります。

 

思い込みがあるのかもしれませんが、文章に引き込まれます。彼女の文章には心を惹きつける何かがあるのでしょう。恐らく意識して書いているのでしょう。あの宣伝の行き届かない時代に、1868年までに200万部を売ったということですから並ではありません。

 

Huc, Evariste RégisによるTravels in Tartary, Thibet, and China During the years 1844-5-6. が出版されたのは1852年です。恐らく彼女も読んだでしょう。

50枚の木版画と共に、1844年頃に教皇がモンゴルに使徒座を設立する目的でMM. GabetとHucが司教区の状況と活動のための調査するために選任されたこと。そして彼らがチベットの首都ラサに到着し、定住したのですが、中国の大臣であるケ・シェンが政治的な理由で介入し、彼らを中国に追放したのです。その後、フー氏によってこの本(2巻)がパリで出版されたのです。当時のこの本の評判はどんなだったでしょう。

                    

ビートン夫人が16歳の時に出版されたのです。恐らく、おそらくセンセーショナルな内容として、彼女だけでなく、当時の人達も驚いたことでしょう。あのタタールがタラゴンの故郷だなんて、ビートンもよく言ったものだと思います。原産地は中央アジアからシベリア、北アメリカだそうで、タタールもその中に含まれますから間違いではないのですが。わざわざタタールを持ち出すこともないでしょう。あと一つ。『フランスでは種ができません。』とは。それではイングランドでは種は出来るのかと思わせぶり。

         

Shallots, Mushrooms, Leek, Parsnip, Horse-radish, Carrots, Sea-kale, Cucumber, Sorrel, Tarragon, Celery, Mustard, Cress.(上段右上から左、下段左から右、左最下段がタラゴン)

上の絵がビートン夫人の料理書の中にありました。このように素晴らしい絵が夫人の料理書全体を飾っています。今でも結構いけるレムラードのレシピをここから引用しておきます。

 

レムラード、またはフレンチサラダドレッシング

材料; 卵4個、マスタード大さじ½、塩とカイエンペッパー適量、オリーブオイル大さじ3、タラゴンまたはビネガー大さじ1

方法; 3個の卵を約¼時間しっかり茹で、冷水に入れ、数分間そのままにする。殻を剥き、卵黄を乳鉢に入れて滑らかになるまですり潰す。マスタード、調味料、ビネガーをゆっくりと加え、木製のスプーンの背中でこすり、すべてをよくかき混ぜる。オイルを少しずつ加え、他の材料とよく混ざったら、生卵の黄身を加えてよくかき混ぜます。このソースは凝固してはいけません。これを防ぐ唯一の方法は、少しずつすべてを混ぜることで、かき混ぜることをやめないことです。オイルと酢の量は味覚に応じて増減することができます。多くの人が前者の成分の比率が小さい方を好みます。

 

グリーンレムラードは、普通のビネガーの代わりにタラゴンビネガーを使い、少量のパセリジュース(パセリをすり潰して汁を取り、それを湯煎にかけて生臭さを取り除きます)で着色して作ります。Harvey’s sauce(アンチョビソース)またはチリビネガーが好みで追加される場合があります。

 

 時間;卵を茹でるのに¼時間

平均コスト;7d

 4人または6人用のサラダに十分です

      

         

           Emils Organic Vegan Remoulade, 125 g

今はこのように瓶詰め、チューブ入りのものが多いです。いろんなバリエーションがありますが、これには次のような説明が付いています。(ビートン夫人が書いているように手作りしてもそんなに手間ではないんですがね。)

Made of natural ingredients such as rape seed oil, white wine vinegar, almonds and herbs. Tastes great as a companion to aromatic rice and potato dishes or to fresh salads.

Ingredients:

Rape seed oil* cold pressed, apple juice* (from apple juice concentrate*), almonds*, white wine vinegar*, mustard* (water, mustard seeds*, apple vinegar*, sea salt) , sea salt, tarragon*, marjoram*, chervil*                      * From certified organic farming.

 

                                 つづく

 

 


タラゴン

2023年06月28日 | ハーブ

         

Hannah Woolleyから更に51年後、「ボルトン公爵の料理人であるJohn Nottは、1723年に出版したThe Cook's and Confectioners Dictionary: Or, the Accomplish'd Housewife's Companionに、シャポンとタラゴンを使ったサラダを紹介しています。Digbyのそれと比較すると変化がよくわかります。その他にもフランス風のレシピを紹介しており、海外から持ち込まれたニンジンや新しい品種のアスパラガス、ほうれん草などの野菜、マーマレードやブランマンジェ、クリーム、ビスケット、甘いケーキなどにも言及しています。この料理本には、孔雀のレシピが収録されており、中世をも思わせる内容です。

 

コールドシャポンサラダを作る方法

シャポンまたはローストした若いメスのニワトリを薄く切ります。酢と好みで少量の砂糖を入れます。次に、ケイパーを一握り、少しのロンググラス(?)またはタラゴン、アンチョビ半ダースを一緒にみじん切りにします。これらがみじん切りに、しかし、小さすぎないように切って、サラダに振りかけます。オレンジ、レモン、またはバーベリーで飾り付けて、少しの塩と一緒に提供します。

 

又、「タラゴンを茎から外し、白ワインと酢を同量ずつ入れた容器に入れます。密閉して保存する。」というレシピがあります。これはタラゴンビネガーです

流石のHanna Wooleyもサラダやピクルスにビネガーを使うことはあってもビネガーの中にタラゴンを入れておいてそれを料理に使うことはありませんでした。

 

タラゴンビネガーのレシピはこのあと後続の料理書の中に次から次へと登場します。

 

 

 

エリザベス・ラファルド(1733 – 1781/4/19)は、イギリスの作家、起業家です。ヨークシャーのドンカスターで生まれ、15年間家政婦として働き、最終的にはチェシャーのアーレイ・ホールのウォーバートン男爵家の家政婦となりました。その後、ランカシャーのマンチェスターに移り住み、家政婦を雇用主に紹介する登録事務所を開設。料理学校を運営、そこで食品も販売しました。1769年には料理本「The Experienced English Housekeeper」を出版しました。そこには現代のウェディングケーキとして知られる「Bride Cake」の最初のレシピ(よく乾燥した細かい小麦粉4ポンド、新鮮なバター4ポンド、ローフシュガー2ポンド、メイスとナツメグをそれぞれ1/4オンスずつ細かく挽いてふるいにかけます。小麦粉1ポンドにつき卵8個を入れます/これに使うシュガーアイシングの作り方)が紹介されています。彼女は1781年に突然死亡しましたが死後、彼女の料理本は15回出版されました。ラファルドのレシピはエリザベス・デイビッドやジェーン・グリグソンなど、多くの現代の料理人や食文化作家に称賛されていますが、彼女のレシピは他の著者によって数多く盗作されました。剽窃、引用といえば、 Eliza Actonによる Modern Cookery for Private Families(1845)もイザベラ・ビートンのベストセラー「Mrs Beeton’s Book of Household Management」(1861年)に数多く使われました。

                           

        1769年The Experienced English Housekeeper, Elizabeth Raffald

 

タラゴンビネガーの作り方。タラゴンは花が咲く直前に摘み取り、葉をはぎ取ります。葉1ポンドに対して、強い白ワインビネガーを1ガロン、石製のジャグに入れて2週間発酵させます。その後、フランネルの袋で濾します。ビネガー4ガロンに対して、シードルに溶かしたイシングラス(清澄剤)を半オンス入れてよく混ぜます。それを大きな瓶に入れて1か月間澄ませます。その後、澱を取り除いてパイント瓶に入れて使います。”

(レシピの説明が詳細になりました。この料理書以降1903年のAuguste EscoffierのGuide to Modern Cookeryまで、これ以上素晴らしいレシピは現れていません)

 

 

次は悪い噂のビートン夫人です。

 

                                    つづく

 

 


タラゴン

2023年06月27日 | ハーブ

                                

                            Misztótfalusi Kis Miklós (1650-1702)

1698年M. Tótfalusi K. MiklósによるSzakácsmesterségnek könyvecskéje(料理の手引き;主婦を対象に書かれた料理の手引き書:ハンガリー語で書かれた最も古い料理本の一つで、現在でもハンガリー料理の歴史において重要な位置を占めています。3レシピ御紹介しておきます。

 

ディル

柔らかくてきれいなディルがあるとき、肉を蒸し焼きにして、ディルを肉の横に置き、タラゴンと薄くスライスしたベーコンも少し入れて、酢をかける(好きな人には良い料理です)。牛肉や羊肉をこのようなスープで煮る場合、ベーコンなしでも十分に脂っこくなります。

 

細長く切ったエビ

エビを塩水で茹で、殻を取り除き、ボウルに入れます。タラゴンを細かく刻んで入れます。その後、殻をモルタルでよく潰し、水を入れ、パンのかけらを入れ、ワインと混ぜ合わせて、漉します。少量の酢とレモンの薄切り、タマネギ、レモン汁(どちらもなければなしでも良い)も入れます。このスープを、殻を取り除いたエビにかけ、胡椒、サフラン、ナツメグの花を入れて煮ます。煮えたら盛り付けます。

 

ミックスサラダ

セージの葉、カールミントの葉、プジュプネル(ミント)、ボラージ、パセリの葉、チャービル、タラゴン、クミンの葉、そしてそれに合う他のハーブを用意します。他のサラダと同様に、良いワインビネガーと塩味のオリーブオイルで和え、上にボラージの花を振りかけます。清潔で良いサラダで、好きな人にはお勧めです。お好みで上から砂糖を振りかけても良いです。 

 

                                  つづく

 

 


タラゴン

2023年06月25日 | ハーブ

 

                      

Magyar főur a XVI. században. Thököly Sebestyén czimeres levelének miniaturejéről. Az 1572 október 7-ikén kelt oklevél eredetije az országos levéltárban. (16世紀のハンガリー貴族。 セバスチャン トコリ) 

セバスチャン オブ トコリ閣下のシェフ、Michael of St. Benedictによる1601/8/10著「Magyar étkeknek főzése:ハンガリー(マジャール)※ー料理の作り方」から;

 

鶏肉の辛いソース和え

別の小さな鍋にベーコンを入れ、きれいな水で強く煮る。その後、鶏肉を切り、ベーコンの入ったベーコンのスープに入れる。茹でた後、ベーコンを薄く切る。刻んだタマネギ、タラゴンを丸ごと、2〜3個のライムを入れて一緒に煮る。塩味を確認する。味付けする場合は、まず酢を入れてから、胡椒、サフラン、生姜を加える。

 

※ハンガリー人はアジア系の流れを汲む人種です。数人に一人は生まれたときに蒙古斑を持っています。背も日本人と同じか少し低いように思います。セバスチャン トコリの姿がそのことを如実に物語っています。どう見てもヨーロッパ人の姿ではありません。

1600,1700年代にタラゴンを料理に使うのはハンガリー、イングランドだけです。勿論それ以前にタラゴンを料理書の中にみることはありません。イタリア、スペイン、ポルトガルのイスラムとの接点を持つ国々にもタラゴンの料理は見つかりませんでした。1800年代に入ってやっと2カ国以外の国々にタラゴンが料理書の中に入るようになります。

 

                                   つづく

 


タラゴン

2023年06月23日 | ハーブ

ディグビィから3年後の1672年著のHanna WooleyによるThe Queen-Like Closetから

      

ハンナ・ウーリー(Hannah Woolley、1622 - ca1675)は、家事管理に関するさまざまな本を出版し,この分野で生計を立てた最初の人物です。母親や姉妹から医学や手術の技術を学び、学校の教師と結婚して教育や医療に携わりました。1661年に夫が亡くなってからは、料理、刺繍、手紙の作法、薬の処方、香水の作り方などを扱った本を出版しました。これらの本は非常に人気があり、そのため素人ながらも医師としての評判を得ました。1666年に再婚しましたが、夫は1669年に亡くなります。彼女のレシピは無断で他の本の中に引用され、しかもその本は何度も再版されています。そんな彼女のタラゴンのレシピから;

             

絵は Collard Green and Cornbread Stuffed Beef Tenderloin | It's My Side of Life (itsmysideoflife.com) からお貸ししました(Hannah Woolleyのレシピとは少し異なりますが)

 

カラードビーフ(Collar'd Beef)

良質な牛の腰肉を用意して、井戸水と塩、または硝石(硝酸カリウム)に1日と1晩漬けておく。次に、胡椒、メイス、ナツメグ、生姜、クローブ、タラゴンを少量準備する。スパイスを砕き、タラゴンを細かく刻み、これらを細かく砕いたスエットと混ぜて牛肉の上に振りかける。ぐるりと(肉を巻いてその周りにヒモを)巻いてしっかりと縛り、クラレットワイン(ボルドー産赤ワイン)とバターで、鍋の中で焼く。鍋は密閉しておき、鍋の中にはこの料理に相応しい食材を入れて肉が沈んで焦げないようにする。オーブンには家庭用パンと一緒に入れて焼く。焼けたら取り出して冷まし、食べる前に1晩煙突に吊るしておく(熟成させます)。必要であれば好きなだけ長く吊るしておくことができます。ベイリーフを添えて、マスタードと砂糖でいただきます。


括弧内に注釈を付けておきました。

硝石は発ガン性が心配ですので、水と海塩を使ってスパイスとハーブを使うと良いでしょう。脂を肉に巻いて加熱し、少し煙らせるとハーブ味の赤身肉を使った日持ちのするカラードビーフの出来上がりです。ワインはカベルネ・ソーヴィニヨンを使った少しヘビーなワインが合うと思います。Hannah Woolleyはただ者ではありません。料理以外の著述を見れば一目です。なお“Collar'd Beef” は肉片をくるくると巻いて調理するのでカラードビーフと訳しました。

 

                                     つづく

 


タラゴン

2023年06月22日 | ハーブ

つぎにタラゴンのレシピが現れるのは1669年出版Kenelm Digbyの(実際に書かれたのはこれよりも前) “The Closet of Sir Kenelm Digby Knight Opened” の中です。Kenelm Digby(1603/7/11 – 1665/6/11) は、イングランドの宮廷人であり、外交官、自然哲学者、占星術師です。ロンドンのNewgate Streetに眠る敬虔なキリスト教徒でもありました。時には私掠船(海賊船)の船長となりました。ハーブ、スパイスを使ったMETHEGLIN(蜂蜜酒)に異常な執着示す人物でもありました。

                   

Sir Kenelm Digby (1603-1665) and Lady Venetia Anastasia Stanley (1600-1633) with their sons Kenelm Digby and John Digby (1627-1690) Anthony van Dyckによる家族画です。(彼がただの郷士でないことはこれでわかります) 

 

彼のオレガノを使ったレシピは;

ローストシャポンの冷製サラダ(SALLET OF COLD CAPON ROSTED)

(ロースとしたシャポンを)薄くスライスして冷やし、Sibbolds(不明)、細かく刻んだレタス、ロケット、タラゴンを混ぜ、塩、胡椒、ビネガー、オイル、スライスしたレモンで味を調えます。オレガノを少量入れると味が良くなります。

 

シャポン(シャポンを去勢したニワトリとみなして)熱の1度、冷の1度としておきます。西ヨーロッパでは体に良い、取り分け貴人に相応しい食べ物であるとされていました。

レタス:冷で湿の2度

ロケット   :熱1度、冷1度

タラゴン   :熱2度、乾2度

塩         :熱2度、乾3度

胡椒        :(ブラックペッパーについてはTacuinum sanitatisには掲載がないと思われますが熱4度、乾4度と考えて良いでしょう)

オリーブオイル :熱1度、湿1度

ビネガー     :冷1度、乾2度

レモン      :冷2度、乾3度

オレガノ     :熱3度、乾3度

全体として4つの要素のバランスの取れたレシピになっていると思われます。

 

それでは「料理の科学」に残されたニワトリの料理とはどのようなものでしょう

13番目の雌鶏のサラダ

鶏肉を串に刺します。鶏肉を焼いている間、卵を固く茹で、パセリの葉を加えます。鶏肉が焼けたら、串から外し、スライスし、鍋に入れ、上から酢をかけ、卵をスライスして塩を加え、皿の上に置きます。パセリの葉にも酢をかけてサーブします。

 

雌鶏  :熱2度、湿2度 

卵   :熱、湿

パセリ    :熱2度、乾2度

塩      :熱2度、乾3度

ビネガー   :冷1度、乾2度

 

                                   つづく

 


タラゴン

2023年06月21日 | ハーブ

話が右往左往しますが例のトランシルバニア宮廷の「料理の科学」は非常におもしろい内容です。2例レシピを引用しておきます。

 

サーディンの調理法は次の通りです;

他の魚と同様に、サーディンを洗い、塩を振りかけます。ソースは次のように作ります。魚の塩を洗い流し、鍋に入れ、酢とワインを注ぎ、月桂樹を加えます。 月桂樹はトランシルバニアでは育たないので、トルコやイタリアから誰かに持ってきてもらいます。魚を調理する際には月桂樹を加えます。調理したらスプーンで取り出せるように鍋に入れます。スライスして提供する準備ができたら、煮汁は取り出さずにそのままにしておきます。牛肉や豚肉のように時間がかかりません。固まるのを待ちます。(煮こごりを作ります)

 

九つ目のナマズのグリーンソース和え

ナマズを下ごしらえしておく。ソースを作る。白いパンをワインに入れて、蜂蜜を加えてボイルする。ストレイナーを通す。タマネギ、パセリ、ホースラディッシュの葉、タラゴンを加えてすり潰す。ストレイナーを通してワインの中に入れる。魚についている塩を洗い、ソースの中に入れる。ブラックペッパー、ジンジャー、シナモンを入れる。野菜を入れて煮る。

(この料理書の、或いはこの時代の習いでしょうか。ソースは主材と一緒に煮た、或いはブロイルした結果出来た煮汁をソースとしていたようです。パンは小麦粉の製粉状態が悪くて粒が粗いので、一旦パンにした小麦粉をソースの材料として使っているのです。)

 

体液のバランスを健康維持の基本と定めたのは中世以降もヨーロッパ医学に大きな影響力を持った「サレルノ医学校」で、 『サレルノ健康規則』 の中に「医者は、食べ物として、いかなるものを、いつ、何処で、いかなる分量をで、何回与えるかを示さねばならない」 という文言がありますが、実際には浸透していなかった?のでしょうか。実に不思議です。何故でしょう。(ここで体液学説の説明を入れておきます。現在のヨーロッパ料理を考えるのに非常に重要だと思っているからです。少しお付き合い下さい。)

古代ギリシャ、ローマ時代にヒポクラテス(古代ギリシャ: BC460-370)によって提唱され、ディオスコリデス (古代ローマ帝国:BC40-90) のマテリア・メディカの影響を受け(体液学説に最も寄与したのは紀元前1世紀にギリシャ語で書かれたマテリア・メディカです。約500年後の6世紀にラテン語に翻訳され、9世紀にアラビア語に翻訳されました。)、ガレン (古代ローマ帝国 : 129-200) によってさらに体液医学理論は発展しました。

ところが、ローマ帝国滅亡のあと、体液医学理論は西ヨーロッパを離れ、ビザンチンと北アフリカに移りさらなる発展を遂げることになります。これらの地域でイスラム医学の影響を受けます。イブン・シーナ(アヴィケンナ:ペルシャ:980-1037)は、ガレンの体液医学をアリストテレスの哲学と統合し、アラビア医学にギリシャのヒポクラテスやローマのガレノスなどの医学を加え、さらにインド医学も取り入れて大書『アル・カヌーン・フィ・アル・ティッブ』(医学の正典)(Al-Qanun fi al-Tibb (Canon of Medicine) を完成させます。12世紀にはイタリアと南スペイン(かつてのアル・アンダルス)でラテン語に翻訳され、ヨーロッパ全体に急速に広まりました。

 

       

The Taqwim al-sihha for the son of Saladin (Salah al-Din), al-Malik al-Zahir (d. 1216), king of Aleppo. [British Library Or1347](大英図書館、東洋写本コレクション所蔵。1213年にサラディンの息子のアル=マリク・アル=ザーヒルのためにアラビア語で複製されたTaqwim al-Sihhaのコピー。)

11世紀に東方系キリスト教徒であるイブン・ブトラン(1001-1066)がバグダッドでイスラム医学を学んで280項目からなる体液の特性を表にまとめたのがタクウィーム・アル・シハ (The Taqwīm al-Sihha)であり、これをラテン語に翻訳写本したものが』 タクイヌム・サニタティス (Tacuinum Sanitatis) です。タクイヌム・サニタティスは北イタリアを中心にラテン語に訳されて写本となり、豊富な図版が添えられた「健康全書」となります。ここから体液学説が再び西ヨーロッパへと移入されるのです。

 

(先の綺麗な絵の付いたものがTacuinum Sanitatisで、下の幾何学模様と文字がThe Taqwīm al-Sihhaです。ラテン語訳は誰がしたのかは不明です。)

最初にラテン語に翻訳された時期は1200年中頃だとされています。その証がヴェネツィアのマルチャーナ図書館に所蔵されているラテン語写本No.315にあります。この写本は、「ここにタクイヌムの書物が始まります。科学愛好家である輝かしいマンフレッド王宮廷でアラビア語から翻訳されました」という碑文から始まっています(Biblioteca Nazionale Marciana, Venice, Latin No. 315, Cogliati Arano, 1976, p. 11)。

 

体液学説のその後は、2つの文化圏内で異なった方向に進んでゆきます。

東地中海、南西アジア、北アフリカの文化はすべて、ヒポクラテスとガレンの既存の理論を構築し、さらに発展させ、知識が進歩するにつれて新しい方向性を構築する傾向がありました。

 

一方、キリスト教ヨーロッパの文化は、人の魂の状態に焦点を当てていました。第四ラテラン公会議(1215)の教会法22では、「医師が病人のベッドサイドに呼ばれたとき、彼らはまず患者に司祭「魂の医師」を呼ぶよう勧め、患者の精神的健康が回復した後に、身体的医学の適用 (Tacuinun sanitatisの指示に従った処方) が有益になる。つまり、原因(罪)が除去されると効果(疾患)が消えるとされ、これらの指示に従わなかった医師は破門されることがある。」と述べています。祈り、巡礼、聖遺物によって病状の改善がもたらされると考えていました。

 

                                   つづく

 


タラゴン

2023年06月18日 | ハーブ

ハンガリーの諸侯国の1つであるトランシルバニアの宮廷で1500年後半に料理長によって「料理の科学」という料理書が書かれました。約600のレシピに1603年の宮廷のメニューがあり、その中にはタラゴンの名の付いた料理が4つ、タラゴンを使ったレシピが10記載されています。料理書には1558年にアラブからヨーロッパに入った ”トラガカント(tragacanth)” の記載があり、このことからタラゴンもこの時期には既に移入されていたことが判りました。

(今のところ、タラゴンが最初にヨーロッパ大陸に入ったのはハンガリーのトランシルバニア地方ということになります。余談ですが、58年から僅か4年後にイングランドに入っていたことは瞠目に値することで、如何にイングランドがハーブやスパイスに敏感であったかが判ります。)

この時代はハンガリー王国がオスマン帝国に破れた頃と一致します。(あたらしい文化が移入されたということは、受け入れる側にもその文化を吸収できる様々な能力が備わっていたということで、)この事件はタラゴンがヨーロッパ入る大きな契機になったであろうと思われます。1558年は注目すべき年です。

1529年にオスマン帝国によって第一次ウィーン包囲が起こり、ハンガリーを征服したオスマン帝国のスレイマン1世がハンガリーを直轄地(オスマン帝国領ハンガリー)とし、トランシルバニアを保護領(トランシルバニア公国)としました。一方、ハプスブルク家はハンガリーの北部と西部を支配(王領ハンガリー)しました。これまでにも、この地にタラゴンが入る機会は幾度となくあったと思われますが、ハンガリーが150年近くにわたり支配された事が大きな契機となったことは否定できません。そのことを示すように1600年代になるとタラゴンを使ったレシピがイングランドの料理書の中に増えてきます。(タラゴンだけではないでしょう、おそらくその他のハーブも入って来たと思われます。ハーブだけではないでしょう、料理方法も。食生活の様式も。生活様式も。)

            

取りあえず、1620年著の「料理の科学」からレシピを抜き出してみましょう。ゲラルドの ”the Herball”  から23年後に出た料理書です。

 

                   

Beef and camel meat for sale from the Vienna Tacuinum Sanitatis (folio 74) (Courtesy: Österreichischen Nationalbibliothek, Austria).  これはウィーン写本だと思われますが、ヨーロッパでは必要としないラクダと成牛の図版が描かれています。理由については後に明らかになります。

 

The fifth with beef (5番目の牛肉料理) (仔ウシのレシピがこの料理書にはあるのでこれは本当に牛肉なのでしょう。西ヨーロッパでは成牛は骨髄を料理に使うか、ブロスの材料とするくらいでこのような料理はありません。このレシピがトルコ経由であることが判ります) から;

 

ローストビーフのタラゴン、セージソース和え(ROASTED BEEF WITH TARRAGON AND SAGE SAUCE)

肉を洗い、串に刺して塩を振りかけ、ローストする。よく焼けたら火から外して木で叩いて塩を落とす。鍋にスライス(この時代の牛は荷役のために飼っており肉は食用ではないので固くてスライスしないと食べられない)して入れ、ブロスを残しておき、味がしみるように牛肉の上にかけます。なければ、きれいな水をかけて火にかけ、(イヤな臭いが付かないように)洗い落とす。玉ねぎとセージを加えるが、セージの葉は切らずに半分または3分の1に切ってセージと判るようにしておく(タラゴンの葉が欠けているが料理名からここに入るべき)。ジュニパーベリーを少し加える。多すぎると苦くなります。酢を少し加えるが、多すぎないようにする。サフラン、黒胡椒、生姜を適度に加える。

 

ゲラルドは、タラゴンについて 『タラゴンは熱3、乾3度なので、レタス、スベリヒユ (レタスは冷、湿の2度)など他のハーブと一緒に食べることができる。それらの冷たさを和らげる。』 と述べています。

 

ゲラルドよりも少し後に生まれた、ニコラスカルペパー(1616-1654) もタラゴンについては同様の性質(乾で熱の3度)であると唱えています。ゲラルドはロケットの説明の中で 『ロケットとタラゴンは、性質が同じで、第3度の熱さと乾燥さがあるが、タラゴンは香りが良く、心臓に良いため、ロケットよりも優れている。辛味のある味のハーブの中では、特にタラゴンが優れており、その香りが良く、心臓に良いため、胃や心臓、頭にとても良い。ロケットもそうだ。それらは胃の粘液を切り裂き、食欲を刺激し、消化を助ける。サラダにも良いが、単独ではなく、レタス※やパースレーンなどの冷たいハーブと混ぜて食べるのが良い。そうしないと、肝臓を乱し、頭痛を引き起こす。サラダを作る最善の方法は、熱いハーブと冷たいハーブを混ぜることだ。胃や体の温度に応じて冷やすか温めるかを決定する。ロケットとタラゴンは、年配者や粘液質の人に適している。』 と述べています。これが四元素説を素とした体液学説の基本となる考えです。

 

※ この時代のレタスは恐らくロメインレタスでしょう。中世のレタスは下の絵のような姿をしています。

       

Ms 3054 f.10 Harvesting Lettuces, from 'Tacuinum Sanitatis' (vellum) 絵の下にはレタスの説明があります。(全ての 'Tacuinum Sanitatis' に同様の説明が付与されています)

    性質:冷で湿の2度

良質のもの:大きな葉でレモンイエローの色をしたもの

有用性:不眠症と精液過多を和らげることができます

危険性:性交と視力に悪影響を及ぼす可能性があります

毒性を中和するには:セロリと混ぜることで中和することができます

 
ゲラルドは体液学説を熱心に述べていますが、上の牛肉のレシピにはそのかけらも見あたりません。因みにこの料理に使われた材料を取り上げ、その性質を調べると;

 

『牛肉(熱2,乾2度)これに塩(熱2,乾2度)を振りかけてロースト(熱)を加え、

水(冷4,湿4度)で洗い、以下の材料を使ってソースを作り、

玉ねぎは熱4,湿3度

タラゴンは熱3、乾3度

酢は冷1,乾2度を加える。』 となります。

 

全体の食材のバランスが全く考慮されていません。体液のバランスを考慮する料理は1500年代には既に消えていた?のではとも思われる内容です。古代ローマ帝国からイスラムへと体液学説が引き継がれたのではと思っていたのですがどうしたことでしょう。

 

 

 

 


タラゴン

2023年06月14日 | ハーブ

この絵には気になるところが何カ所かあります。上から順に述べることにします。

絵の上の文字はいつ誰が書いたものなのか不明ですが、Doracoとはギリシャ語のdrakon (ドラゴン) から派生した言葉です。このことから想像できるように、このタラゴンもかつてはギリシャやローマ帝国内で料理に使われたハーブの一つのようです。ギリシャからローマに引き継がれたタラゴンは他のハーブやスパイスと同じように少しの時間を経て再び西ヨーロッパに戻ったのです。

 

ゲラルドが書いた ”Herbal” よりも前の、1562年に出版された、WILLIAM TURNERの, “Herball”, (1508? – 1568/13? 牧師、博物学者) がイングランドで最初にタラゴンに言及した植物誌だと思われます。ターナーはその中で 『タラゴンは、ハーブガーデンに比較的新しく入ったもので、初めて栽培されたのはチューダー朝の王室の庭園だけでした。』と述べています。そのことからタラゴンがイングランドに入って来たのは1500年代だろう思われます。

 

二つ目に気になるのは絵に描かれたタラゴンの葉です。絵のタラゴンは少し長さが短いようです。しかも小さなドラゴンの舌を思わせる切れ目のある葉がこの絵には見あたりません。

 

三つ目は花です。フレンチタラゴンが花を付けることは殆どありません。

 

四つ目は根です。ドラゴンの尾を想像させる、くねくねとした根が地面を這っていません。細い根があるのはゲラルドが言う通りなのですが。タラゴンは竹のように根茎を延ばしてその先に新しい芽を付けます。竹の根は地面の中に潜って目には付きませんがタラゴンのそれはしっかりと地面の上を這うのです。

 

サタンの化身であるドラゴンはご覧のように曲がりくねった尾に先の割れた舌を持っています。又、タラゴンの属名であるアルテミシアは、ギリシャの女神アルテミス (月の) に由来しているのでタラゴンの葉を月に例えているとの説もあります。     

    

この植物にはDoracoの特徴が何処にもない。この絵はタラゴンではないことになります。さてと、困ったことになりました。

 

                                     つづく

 


タラゴン

2023年06月11日 | ハーブ

        フレンチタラゴン(Artemisia dracunculus)

 

フレンチタラゴンは、まだ我々日本人には馴染みの少ないハーブです。熱い日本の夏に耐える品種も出てきたようですが、タラゴンが十分に活かされて使われているとはいえないようです。

世界的に見ても、フランス以外の国ではその浸透ぶりは浅いようです。フランスの伝統的なハーブミックス 「フィーヌゼルブ」 にも使われていますが日本人には使い方が判然としないせいでしょうか。

「タラゴン」 のすばらしさが心の中に刻み込んだのは1989年Mary Trewby著の、 “Herbs & Spices” でした。その中でMaryはタラゴンを 『フランスのハーブとして知られているのが細くてとがった葉のタラゴンです。他の国ではあまり使われていませんが、ユニークなほどに洗練された風味をもつこのハーブは、料理に使うと素晴らしい効果を発揮し、ハーブの中でも名だたるものと言えるでしょう。』 と讃えていました。

是非ともタラゴンを使った美味しいレシピを探し出し、しっかりとタラゴンを味わおうと思いました。

 

このところ一ヶ月間、色々な料理書の様々なレシピを当たったのですがこれといったものになかなか出会えません。『困ったときのゲラルド』 と以前にも書いたように、ここはイングランドの植物学者ジョン ゲラルドに登場いただいて、何らかのきっかけを掴もうと思います。

 

下の絵はJohn Gerard ( c. 1545–1612) の植物書 “the Herball”  (1597) から引用しました。

       

        

  

                                                                                                                                  つづく