Annabel's Private Cooking Classあなべるお菓子教室 ~ ” こころ豊かな暮らし ”

あなべるお菓子教室はコロナで終了となりましたが、これからも体に良い食べ物を紹介していくつもりです。どうぞご期待ください。

ハーブ 

2017年10月03日 | レモンバーム

レモンバーム 26

 

レモンバームの強い抗酸化作用と、抗菌作用を利用してワインを作るレシピがあります。ホワイトワインの中にレモンバームを入れる方法( 4-7日間 )と砂糖水の中にレモンバーム、イーストを入れて作る方法があります。後者の方法は一般にも意外と知られているようで「ワイン、レモンバーム」で検索すると散見することが出来ます。2レシピご紹介しておきます。

 

ワインを作る方法:

レモンバームの葉            1 pint

湯                   1 gallon

レモンスライス             1個

ティーバッグ             1

砂糖                 2 ½ pounds

イースト                  1 TBS 

 

材料を容器に入れて砂糖を溶かす。蓋をして暖かい場所に4-5日間置く。濾して滅菌した瓶に入れて6か月以上置く。冷やして飲む。

 

https://www.theguardian.com/lifeandstyle/gardening-blog/2013/feb/22/lemon-balm-melissa-officinalis から

レモンバームワイン

レモンバーム                   2 quarts

オレンジ(皮とジュース)              2

サルタナレーズン                  1lb

レモン(皮とジュース)               1

砂糖                        1kg

栄養素;アミノ酸、アンモニア、ビタミンB

ステロール(ステロイドアルコール)、不胞和脂肪酸  1 ts              

酒石酸                       1 ts

ペクチン分解酵素                               1 ts

ワインイースト( Gervin wineyeast
ピロ亜硫酸ナトリウム(酸化防止剤)

 

レモンバームの葉を冷水に漬ける。水気を切ってボイルしている4パイントの湯の中に入れる。ピロ亜硫酸カリウム(野生酵母や雑菌の繁殖防止)を一錠入れる。蓋をして48時間静置する。濾して葉を取り除き、滅菌した瓶に入れる。オレンジとレモンの皮とジュースチョップしたサルタナ、酒石酸、ペクチン分解酵素、栄養素、イーストを入れる。4日間発酵させる。一日に2回混ぜる。濾して砂糖を入れて発酵させる。

このワインは辛口のアペリティフとして又は、甘口のワインとして飲むことができる。

3か月以内に飲む。保管に気を付ければそれ以上もつ。

 

 

 

 

 


ハーブ

2017年09月30日 | レモンバーム

レモンバーム 23

 

 

           

                   フランチェスコ・レディ 

※フランチェスコ・レディ( Francesco Redi2/18/1626-3/1/1697、イタリアの医師。)ハエと腐肉を使った実験( Esperienze Intorno alla Generazione degl'Insetti、昆虫の世代についての実験)は自然発生説( 1668年に発表は)で有名なので肖像をご紹介しておきます。

 

☆  "メリッサ水は、キャメラインウオーターとして知られていました。レモンバームの若葉4オンス、レモン2オンス、ナツメグ1オンス、コリアンダー1オンス、コリアンダー1/2オンス、クローブ1/2オンス、シナモン、ボヘミアン・アンゼリカの根を潰して蒸留ワインの中に3日間漬す。湯煎にかけて蒸留し1ポンドのメリッサ水を得る。“ 

  Déjeanは「蒸溜器の中にブランディ5パイント、ホワイトワイン5パイント、ナツメグ1,メイス1/4、シナモン1オンス、クローブ2オンス、コリアンダー4オンス、レモンの皮12個、レモンバーム24握りを入れて蒸溜する。」と述べています。

 

この後、数人の科学者(占星術師ではない)のメリッサ水のレシピが続きます。

化学者も生まれた年が1700年代になると次第に科学的な内容になってきます。



つづく。



ハーブ

2017年09月29日 | レモンバーム

レモンバーム 22

 

            

                  Moyse Charas

                     絵の右側には蒸留装置が見えます。


モーズ・シャラス( Moyse Charas, 1619-1698, フランスの化学者、薬学者。)当時解毒剤として知られていたテリアカ※を公開で調製し、1667年にテリアカの成分を書いた著書Thériaque d'Andromachusを出版しました。

1672年に、王立植物園の監督官、アントワーヌ・ダキン ( Antoine d'Aquin ) に雇われ、植物園の化学の実験助手になります。ダキンの指示で、当時の薬剤の製法をまとめた1676年刊の『欽定薬局方と化学』(Pharmacopée royale galénique et chimique )は好評で中国語を含む多くの言語に翻訳されました。

1680年にプロテスタントの信者である疑いを受けたためフランスを逃れ、イギリスに渡り、3年ほど滞在し医学を学びます。その後スペインのマドリードで開業し、さらにその後オランダからフランスに戻り、1691年に科学アカデミーの会員に選ばれました。


           

   テリアカと書かれた薬壺 Albarello vase for theriac from Italy, 1641 Science Museum SSPL

 

※テリアカ 

シャラスの治療法はまだ中世以来の知識である錬金術に影響を受けたもので、蛇毒や蛇肉をテリアカの材料として用いました。1699年に蛇毒に関する著書、Nouvelles expériences sur la vipère, les effets de son venin, et les remèdes exquis que les artistes peuvent tirer du corps de cet animal où il étudieを発表します。イタリアの医学者、フランチェスコ・レディ※と蛇毒に関する論争を行います。レディは、蛇毒は常に有毒であると主張し、シャラスは蛇が興奮したときのみ有毒であると主張しました。1700年代にかけてのテリアカの中にはアヘンを入れていたようで初期のものとは性質が異なります。

テリアカについては http://www.geocities.co.jp/Technopolis/1566/zuisou_16.html を参考にしてください。詳しく述べられています。

 

 

つづく

 

 


ハーブ

2017年09月28日 | レモンバーム

レモンバーム 21

             

          17世紀頃の蒸留装置の一つ。

 

★ 1676年、ガレノス( Aelius Galenus or Claudius GalenusSeptember 129 AD – c.200/c.216), 又は Galen Galen of Pergamon )とモーズ・シャラス( Moyse Charas 1619 - 1698年)が王室薬局方の中で、「レモンバームの蒸留抽出法」及び、抽出したメリッサオイルをナツメグオイル又は香りのよいルートオイルと混ぜて使う方法について述べています。『若い、柔らかい、多汁のレモンバームを刈り取り、葉と種を潰して大きな銅製の窯に入れて蒸留します。』

 

【 窯は図の ( B )を指します。刻んだレモンバームと水を入れます。加熱された水蒸気はレモンバームの成分を溶かしこんで C, G, H を通り、少し冷やされて樽(M)の中に溜まります。揮発性のいわゆるエッセンスは、この装置では少し不十分ですが、( I )に溜まります。水溶性蒸留物とその中に溶け込んだオイルは ( L ) の中に出てきます。オイルは水の上に浮かんでいますのでそれを掬い取れば、レモンバームオイルが手に入ります。 】 

 

ガレノスは上にあるように古代ローマ帝国のギリシアの医学者です。『古代に集大成された医学が1500年以上ルネサンスまでヨーロッパ医学の根幹をなした。』 とはよく言われるのですが、ルネサンスとはいつまでを指すのか漠然としています。しかし上の局方をみる限り、1680年であってもガレノスの姿ははっきりと輝いているようです。

 

有名な解毒剤を考案したモーズ・シャラスについては次回に。

 

 


ハーブ

2017年09月27日 | レモンバーム

レモンバーム 20

https://fr.wikipedia.org/wiki/Eau_de_m%C3%A9lisse_des_Carmes_Boyer から

 

パリに保管されている古文書、1732,1748,1758年によれば1786年のドイツ薬局方 ( Wirtemberg Pharmacopoeia ) にあるようにどこの国においてもカルメル水が秘密の薬というわけではありませんでした。パリのカーメライト兄弟は1775,1781年にレモンバームウオーターを一年に20,000リーブル以上を売り上げます。又、月に3,000リーブル、一年に36,000リーブル以上を売ったという情報もあります。

 

カルメル水はこの後、様々なレシピが登場します。どのレシピも”元のレシピ”ではありません。なぜなら”元のレシピ”がどのようなものであったかを知る者はいないからです。

 

いくつかのレシピ(★)を取り上げておきました。

 

★ ニコラス・ルーフェブレ( Nicolas Le Fèvre1615 – 1669 フランス化学者、錬金術師 ) は、1651年に発酵した蜂蜜を使ったメリッサのミード酒のレシピを考え出しました;

メリッサを刻んで、モルタルで潰す。ボイルした時、粘度が出るまで蜂蜜を加える。・・・・(いくつかの段階を経て)すべてのメリッサが瓶の底に沈むまで発酵させる。

 

(レシピの詳細は分かりませんが、擦り潰したレモンバームの中に蜂蜜を入れて発酵させるのでしょう。うまく発酵してくれれば良いのですが、一か八かのミード酒作りです)

      

             ニコラス・ルーフェブレ



つづく。


 

 


ハーブ

2017年09月26日 | レモンバーム

レモンバーム 19

レモンバームのお話もそろそろ終わりなのですが、ここらで、一杯「実際のレモンバームウオーター」を飲んでみたくなりました。最後まで調べてないので、もっといい方法があるかもしれませんが。理論はちょっと置いて、の気持ちが優先してしまいました。

下は、ホワイトワインの中にレモンバームの葉を入れたものです。レモンバームを入れてから5-6時間すると香と味が抽出されるようです。下の小さい容れ物で3回飲んでしっかり確認しました。本当は花と葉を入れるとよかったのでしょうが、種が出来た後に出てきた新芽を入れました。( 冷やして飲むとおいしいですよ。)

       

 

      

レシピをいくつか見るとコリアンダーの実とアンゼリカの根を一緒に入れるようですが、ご覧の通りです。一口飲むと効果バッチリ、「頭脳明晰、鼓腸も取れ、関節の痛みも消えて、肌はすべすべ、うつ状態はとれて、血圧は降下・・・・・・レモンバームの効能を全て挙げてしまいました。」言うことなしの状態です。アルコールも入ってすこしハイになったようです。


 

幸運なことに、納得の出来るしかも効果のある救済策が新たに提案されます。それは、ヴォージラール通りにある跣足カルメル会のカルメル水を使うというものでした。飲むと宮廷の女性達の発作が治まりました。ルイXIVは提出されていた請願に対して、17098月ヴェルサイユ宮殿にて製造と販売の認可を与えたのです。 

この水は非常にたくさん生産されるようになり、2/15/1773年と1/9/1776年の二度にわたり、僧侶たちは王から特許を得ようとします。三回目の請願にのぞんだ時、薬剤師達が反対していたことに気づきます。薬科大学に跣足カルメル会が年に12,130ポンドを支払うことで決着が図られました。 

ヴォージラール通りにあるカルメル教会はフランス全土及び外国にあるカルメル教会の中心となりました。ボルドーに二カ所、ここでは製造もおこなっていました。Philibert de Nerestang 8人の僧侶が住める住居と土地をリヨンの跣足カルメル教修道院に寄付をします。そこではカルメル水を作るためのMelanesian waterが作られるようになります。革命の後、製造方法の独占を訴えたセッレ ( Serre、イタリア共和国カンパニア州サレルノ県 ) 兄弟が聖バーソロミュー教会(イタリアローマのSan Bartolomeo

all'Isola又はブルゲーリオのSaint Bartholomew, Brugherioを指すと思われる)の階段の一角に居を構えました。その場所は今も占拠されたままになっています。

 

 

つづく。


 


ハーブ

2017年09月25日 | レモンバーム

レモンバーム 18

 

       

     ガイ・クレセント・ファゴン Guy-Crescent Fagon 5/11/1638-3/11/1718 )

ジェラール・エデリンク ( Gérard Edelinck , 1640 – 4/2/1707 、銅板版画家 ) , イアサント・リゴー ( Hyacinthe Rigaud 画)。 

王様おつきの医師で植物学者であるガイ・クレセント・ファゴンが呼ばれました。彼は住居としている部屋を擦る※ように処方します。合理的で効果のある方法であると言うのですが、夫人達は乗り気ではありません。ルイ王がおっしゃっているので、従わなければならないのですが・・・・・。

 

※これは類感呪術です。ケネルン・ディグビィ( Kenelm digby1603/7/11—1665/6/11 )の時代の考えがまだ存在しています。(詳しくはカテゴリー内の「ヴァイパー(毒蛇)ワイン」をご覧ください)


彼もまた、錬金術師です。錬金術師は一方では近代化学の扉を開いた優れた人達ですが、一方では古い中世の ” 神を中心とした世界に閉じこもった---わずかに開いた蓑虫の巣穴から外の様子を覗いている人達 ” でもありました。

時に時代を進展させる推進力となり、時に時代を逆行させる炎を吐き出しながら、時間という乗り物に乗った人間は前へ進もうともがいているのです。壁を擦るように勧めた彼を決して非難するつもりはありません。


つづく。



ハーブ

2017年09月24日 | レモンバーム

レモンバーム 17

コリアンダーが大きくなるまで?( 上手く大きくなるといいのですが )レモンバームのお話に戻ります。

 

ヴェルサイユ宮殿とマルリー城が出てきましたので、少し寄り道になりますが、「世界第8の驚異」と称される建造物について少し触れておこうと思います。

マルリーの機械(Machine de Marly)はフランスに存在した巨大揚水装置です。1680年に着工し、1684年、揚水機自体の機構は概ね完成し。1688年には水道橋も含む全体が竣工しました。その巨大さや複雑な機構が精緻な木造構築物として顕れた「機械」は「世界第 8 の驚異」と称されました。

   

 マルリー城の揚水装置;  Vue de la Machine de Marly , 1723 ピア・デニス・マーティン Pierre-Denis Martin,  ( 1663 – 1742 ) 画。1789 年のフランス革命により城は破壊され今は庭だけが残っています。 

セーヌ川左岸、パリから少し下流の地点に直径11.69mの水車14輪と200のポンプ群からなる装置で水を汲み上げ、高さ154mのマルリーの丘まで運び、そこから8kmの水道橋によってマルリー城やヴェルサイユ宮殿まで水を引いていました。

   

 マルリーの水道橋, アルフレッド・シスレー (  Alfred Sisle、10/30/1839-1/29/1899 ) 画

 

 

つづく。

 


ハーブ

2017年09月16日 | レモンバーム

レモンバーム 16

偽造は昨日今日生まれたのではありません。1667年には激しい非難が寄せられていました。この事件が起きたのは、ヴォージラール通りにある跣足カルメル会の品物が本物の価値を損ねるものではないかという疑いがあったからです。

修道院長フレンヌ・デ・サン・ミリュー(Abbot Frenne de Saint-Mirieu)は, 1681910日、詳細なる跣足カルメル水の成分およびそれを保証する旨を列挙した嘆願書をルイXIV世に提出しました。ルイXIV世はすぐにはこの請願に対し返答しませんでした。1709年、意外なところからカルメル水に契機が訪れます。


     

      マルリー城正面図 ( Pierre Aveline the elder, 1656–1722、版画家 ), Nicolas de Poilly

                ( 1623 –1693、版画家 )  


ヴェルサイユ宮殿(Château de Versailles1682年にフランス王ルイXIV世が建てたフランスの宮殿、ルイXIV世とその王族、臣下が共に住み、生活のすべてが絶対王政の実現のために利用され、厳しいさまざまなルール、エチケット、マナーがありました。)の北約10km、パリの北西約25kmにあるマルリー城(マルリー・ル・ロワ、Marly le Roi1676年モンモランシー家から1676年、ルイXIV世がマルリーを買い上げた)は、ヴェルサイユに比べ、ルイXIV世が一人で食事をとることもありませんでした。国王自身、招待客のなかに親しく立ちまじり、狩、散歩、野外のゲーム、トランプ、賭け、コンサート、舞踏会などが行われました。

ヴェルサイユに比べれば、エチケットはさほど厳しくなかったし、ルイXIV世が一人で食事をとるなどということもありません。国王自身、招待客のなかに親しく立ちまじり、狩、散歩、野外のゲーム、トランプ、賭け、コンサート、舞踏会などが催されたのです。しかし、住設備は、快適さには程遠いものでした。夏は焼けるように熱かったし、冬は寒さに凍えました。暖を取れば埃に息もつけず、煙にむせたのです。夫人達は窓を閉め切り、カーテンを引き、王は香水と精油を城の中で使うことを禁じました。

疲労と不眠で夫人の間に神経疾患が広がりました。1709年呼吸器疾患はますます深刻な事態となり、城での滞在が取り止めになりました。



つづく。


 

 


ハーブ

2017年09月15日 | レモンバーム

レモンバーム 15

跣足カルメル (  Discalced Carmelites, Barefoot Carmelites ※水がジャン・クロード・ヴェルメイユ( Jean Claude Verdeil )でも作られるようになります。カルメル水の最初の偽造です。修道士達はカルメル水を金持ちに売り、貧者には与えました。安価で販売しているバリユリ通り( Rue de la Barillerie )にある薬局は直ぐにこの商売で高収入を得るようになります。

 

※  跣足カルメル会


        

跣足カルメル会( The Discalced Carmelites or Barefoot Carmelites )はカソリック托鉢修道会( カルメル会の改革派 )。

14世紀以降、他の修道会と同様、刷新運動が勃興し、原点回帰が叫ばれるようになり、1女子修道会のアビラの聖テレサ( Teresia Abulensis、3/28/1515-10/4/1582、スペインのローマ・カトリック教会の神秘家 )、男子修道会の十字架のヨハネ( Juan de la Cruz、1542-12/14/1591、スペインのカトリック司祭、神秘思想家。)はカルメル会の改革に取り組みました。後に跣足カルメル修会( O.C.D:Ordo Carmelitarum Discultiatorum )が、1593年に元のカルメル会から分離独立します。改革派は、17世紀には、聖ヨゼフ修族と呼ばれるスペイン派と聖エリア修族と呼ばれるイタリア派に別れましたが、1875年、時の教皇福者ピウス9世の命により合併、O.C.D.となり、遵守派はO.Carm.と称するようになります。



つづく。


 

 


ハーブ

2017年09月14日 | レモンバーム

レモンバーム 14

 

※  カルメル会

          

 カルメル会は、正式にはThe Order of the Brothers of the Blessed Virgin Mary of Mount Carmel or Carmelites ( 略してカルメル) と言います。カトリックの修道会。男子カルメル会、女子カルメル会、第三会( 在俗者会 )があります。12世紀に、修道者ブロカルドがパレスティナのカルメル山に修道院を築いたことが起源です。会の名称はこの地名に由来します。ブロカルド修士は、巡礼者あるいは十字軍戦士としてパレスティナに赴き、修道者となったといわれています。1226年に教皇ホノリウスIII世に認可されて正式な修道会として成立しました。13世紀に東方と西方の乖離が進んだため、カルメル会士たちはカルメル山を離れてシチリアとキプロスに修道院を作り、やがて会員の増加に伴い、ヨーロッパ中にカルメル会の修道院を建てます。1259年、ルイⅨ世の援助でパリにカルメル会修道院を設置します。

 カルメルの名は宗教上の名や知識としてではなく、万能水としての名声の方が勝っていました。宮廷内で噂されていた素晴らしい治癒力が評判を呼んだのです。

リシュリュー枢機卿はいつも「そこにある、これが偏頭痛に頼りになる。」と喋っていました。このように,廷臣達の口上に上ったカルメル水は、愛人がもてはやすところとなり、カルメル水を瓶に入れて持ち歩くこととなりました。カルメル水の売上高は急速に伸び、修道会の大きな資金源となったのです。

        

              The Virgin Mary surrounded by saints of Carmel,
          in an icon
written by the Carmelite nuns of Ravenna,
                          in York Carmelite Friary

 

 

つづく。

 

 


ハーブ

2017年09月13日 | レモンバーム

レモンバーム 13

        

ヴォージラール通りのカルメル会, アシル=エトナ・ミシャロン( Achille Etna Michallon1796–1822 )


        

ヴォージラール通りにあるカルメル会の農場、写真;ジャン=ウジェーヌ・アジェ( Jean-Eugène Atget, 2/12/1857-8/4/1927 )はフランスの写真家。

 

カルメル会※の農場は42エーカー以上の広さがあり、そこではレモンバームが栽培されていました。この修道院の薬局はメリッサ水の配合が発案されたのです。カルメル水( Eau des Carmes )が、 パリのカルメル修道院 ( Hôteldes Carmes ) と呼ばれている理由です。修道院ではたくさんのカルメル水を作っていました。そしてその全てのハーブは彼らの農園で作っていると言っていましたが、薬草商であるブルリエ卿(Sieur Bourlier)は、1788年11月22日から1790年5月9日までの間に、カルメル教会に75,116シリングの薬用植物を納めたことを送り状から証明して見せました。

カルメル教会がヴォージラール通りにできると、そこに目立った薬局を作りました。1611年には既に、そこで製造と販売を万能薬カルメル水の名で始めていました。

 

 

つづく。

 

 

 


ハーブ

2017年09月12日 | レモンバーム

レモンバーム 12

その頃、レモングラスウオーター、別名メリッサと呼ばれていました、カーメライトのカーメライト水は、入浴剤、疫病(ペスト)の臭いをカモフラージュするために使われていました。又、リシュリュー枢機卿※が偏頭痛の持薬にしていたこともあって、ルイXIV世の宮廷でメリッサ水は万能薬の名を得たのです。

   

リシュリュー枢機卿(アルマン・ジャン・デュ・プレシー、Armand Jean du Plessis, cardinal et duc de Richelieu, 9/9/1585-12/4/1642、カトリック教会の聖職者, 政治家。1624年から死去するまでルイ13世の宰相を務めた)  フィリップ・ド・シャンパーニュ( Philippe de Champaigne, 5/26/1602-8/12/1674、バロック期のフランス派の画家)1637年画。 

※ ハプスブルク・スペインはユグノーとの紛争でフランス軍が引き止められている状況を利して、北イタリアのマントヴァ公国継承問題に軍事介入をします。ユグノーが降伏した後に、ルイXIII世とリシュリューは1629年2月、軍を率いてアルプスを越え、北イタリアに出征してスペイン軍を撤退させます。戦争はフランス軍の優勢に進むのですが、戦費調達のため財政難に陥り、母后マリーを始め、貴族や民衆の反発を受けることになります。その翌年、リシュリューの地位は以前のパトロンである母后マリー・ド・メディシス(Marie de Médicis)に脅かされることになります。母后マリーはリシュリューが自分の政治権力を盗んだと思い込み、リシュリューに反対するカトリック篤信派の国璽尚書を管理するミシェル・ド・マリヤックと一緒にリシュリュー失脚を謀ります。母后マリーは息子のルイXIII世に宰相の罷免を要求します。(国王は私的にはリシュリューが好きではなかったようです)ルイXIII世は説得されて、1630年11月11日、母后マリー・ド・メディシスと王弟オルレアン公ガストンはリシュリュー罷免の確約を国王から受けるのですが、リシュリューはこの陰謀に気づくと、翻意するよう国王を説き伏せます。ルイXIII世は土壇場で態度を翻し、リシュリュー支持を表明すします。これ以降、国王のリシュリューに対する支持が揺らぐことはなく、リシュリュー公爵位がつくられ、フランス貴族(Pair de France)の称号が与えられました。一方、陰謀を画策したマリヤックは逮捕され、母后マリー・ド・メディシスはコンピエーニュ(Compiègne)に幽閉され、その後ブリュッセルに亡命したのです。

 

 

つづく。

 

 


ハーブ

2017年09月11日 | レモンバーム

レモンバーム 11

医王立協会がメリッサ水、いわゆるカーメライトの全容をまとめ上げて発表したため、修道院のレシピを薬剤師が自由に使えるようになります。これに対し修道院側はフランス国王の庇護の下で秘密裏に受け継いできたカーメライトウオーターが奪い取られる不条理を、ルイ王に嘆願書をもって訴えました。

カーメライトの製造販売特権、およびカーメライトウオーターの配合は修道院に属する旨の1709年付の書付が残っています。王室からの特許状はこの後1733,1776,1780にも批准されていました。 

( 王立協会がどんな内容を発表したのか、秘伝の内容がどの程度漏れたのか一切明らかでないことが将来に問題を残しました。しかしこれをもって薬剤師が自由に、内容はともかくカーメライトウオーターを作り出すことができるようになります。) 

先に述べた如く、1611年パリに、マリー・ド・メディシス( Marie de Médicis, 4/26/1575-7/3/1642 )の後ろ盾を得て、カルメル修道会は、ヴォージラール通70番地に修道院を建設し、レモンバームをベースとした、薬草14種類、スパイス9種を80度のアルコールに加えた( トニックウオーター )オー・ド・メリッサを製造し、販売を始めたのです。

         

メディシス20歳頃, vers 1595 ピエトロ・ファッケッティ ( Pietro Facchetti , 1539 – 2/27/1613、イタリアの画家 ) 画。

 

 

つづく。

 

 


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2017年09月10日 | レモンバーム

レモンバーム 10

カーメライトウオーターを扱っているサイトを開いて、現在のカーメライトウオーターの効能、使用方法等を一応見ておこうと思います。Kerstin's Nature Products For People And Pets. のサイト;https://kerstinsnatureproducts.com/ から全文引用させていただきました。

      

    MELISSENGEIST  ( SPIRIT OF MELISSA, 30 ml/ 14.95 $ ) 

 

内服:

イライラ、緊張感、興奮、不安、寝つきが悪い、頭痛、天候の変化に敏感、器質性心疾患、月経痛、更年期、胃腸病、肥満、食欲不振、風邪およびインフルエンザの症状の軽減に効果があります。

 

局所使用:

神経痛、運動後の筋肉痛、腰痛、歯齦炎、不快感および疲労感

 

この商品は1600年代にカーメライト教会の修道女によってカルメルのメリッサ水( 'Eau de Mélisse de Carmes' )として売られていました。今もドイツではKlosterfrau Melissengeistとして売られています。カーメライトウオーターは不思議な、昔からのハーブをブレンドして作ったウオーターです。

かつて、カーメライトウオーターは神経性頭痛、神経痛の特効薬であるとされていました。カールⅤ世 Karl V, 2/24/1500-9/21/1558, 神聖ローマ帝国のローマ皇帝。ハプスブルク家第3代の皇帝は毎日、カーメライトウオーターを飲んでいたといわれています。母親フアナ ( Joanna , 11/6/1479 – 4/12/1555 , 狂女フアナ:Juana la Loca という異名で知られている ) の形質を受け継ぎ、神経衰弱気味であり、晩年の10年ほどは常に痛風の激痛に悩まされていたといいます。

 

カーメライトウオーターを飲用すると、記憶、視力を改善しリュウマチの痛み、発熱、憂鬱と精神疲労を改善する。顔と身体を若返らせ、ヘアーリンス、手とリネンをリンスするのに使われた。又、リラックスするためにお風呂に入れられた。

 

薬容量:1カップに対して20-30滴。

成分:レモンバーム、アンゲリカルート、コリアンダー、ナツメグ、シナモン、クローブ、レモンピール、アルコール、蒸留水。


つづく。