ジョン・オーブリーによれば、『ベネティアは、伯爵或いは伯爵の相続人のベネティアへの年金支払いに対しする訴訟に勝訴した。』と記録に残していますが、ケネルンは ” 回顧録 “の中で婚約期間中※のことであったとペンネームTheagenes and Stellianaを使ってそのことに触れているだけで、大きくは取り上げていません。『この婦人は清廉潔白であるかのように振る舞っていた。』とジョン・オーブリーはメモを残していますが、巷では『オーブリーの彼女に対する嫉妬だろう。』との評が優勢のようです。事の真相は分かりませんが、当時としても噂になっていたようです。
※ ジョン・オーブリーが書き残した AUBREY'S 'BRIEF LIVES では、ディグビィが結婚後支払われていない年金に対して訴訟を起こしたと記されています。この事実は、後になってオーブリーが述べる言葉と共鳴を起こして我々の心の中に、ベネティアの存在と一緒になって我々の心の中に重たく沈み込みます。
上で出てきたディグビィの著述の中の ” 回顧録 ” からディグビィ側から見た、彼らの言い分?を拾い上げておきます。
Private memoirs of Sir Kenelm Digby ..から
12 プライベート備忘録
科学においてその真理は求めがたく、深遠で謎に満ちているが、ひとたび有無を言わせぬ力のある者の口にのぼると、その話はいとも簡単に拡散し積み上げられていく; たとえそうであっても、Theagenes と Stelliana の互いの心が超越的な力を持てば、お互いの誠実な理解、意志、魂の力をすべての熱情と共に完全なる愛のフレームの中に飾ることができるのだ。
ここでも、Theagenes と Stellianaが出てきました。第三者の説明が必要なようです。証拠となるものが一部分残っています。
宗教改革直後を知る資料に、ハーリアン・ミセラニー ( The Harleian miscellany )、があります。ハーリアン・ミセラニーは、初代と二代のオクスフォード伯である政治家のロバート・ハーリー(Harley, Robert, first earl of Oxford and Mortimer, 1661―1724)と集書家のエドワード・ハーリー(Harley,Edward, second earl of Oxford and Mortimer, 1689―1741)が16世紀中期から18 世紀初頭のイギリスの政治と宗教に批判的なパンフレットの一部分を集めて復刻したものです。
初版は1744 ― 1746 年に8 巻本として出版されました。パーク(Park, Thomas, 1759 ― 1834)による注の追加、紋章官、古事研究家であったオールディス(Oldys, William, 1696 ―1761)の解題がついた四つ折本の10巻本(London, 1808 ― 1813)と、ハーリー家の蔵書目録Catalogus bibliotheca Harleiana: in locos communes distributus cum indice auctorum.(Londini, 1743. 全12 巻)があります。
ハーリアンライブラリ目録 著者一覧と事実関係について ( Catalogus bibliothecae Harleianae, in locos communes distributus cum indice auctorum ) から一部分を引用しました。 左欄の名前の一覧で、下から4、5行目にTheagenes とStelliana の名があります。(小さい字ですが、ご覧になれますでしょうか?)
つづく。