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日本歴史紀行

歴史紀行 30 ‐ 26 高野山 奥の院 嘗試地蔵 (あじみじぞう)



高野山 奥の院 嘗試地蔵


和歌山県伊都郡高野町 高野山


高野山の開創から およそ20年で弘法大師 空海は入定され、いまなお瞑想の境地にいるとされています。

このため、弘法大師は死者にあらず、生きておられるのだから、当然 食事をなされるということて、御巌窟で瞑想している弘法大師の元へ午前6時と午前10時30分の毎日2回、御供所(ごくしょ)で調理された食事(生身供~しょうじんぐ)を届けます。

大師入定以来、毎日、晴れの日も、 雨の日も、風の日も、そして雪の日も、絶えず高野山の大師の弟子たちは毎日続けてきました。

運ぶ際、維那(ゆいな)と呼ばれる先導の僧と行法師(ぎょうぼうし)と呼ばれる担ぎ役の僧は嘗試地蔵(あじみじぞう)の前に一度、食事を降ろします。

これは嘗試地蔵に味見をさせるためで、これも毎日続けてられています。

嘗試地蔵は、大師の食事の世話をしていた愛漫(あいまん)、愛語(あいご)二人の僧を御厨(みくりや)明神として祀られていたものだったと伝わります。

いわば嘗試地蔵の許しを得てから、大師の元へ食事を届けるということなのでしょう。



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コメント一覧

aoikitakaze4390031
@takechiyo_1949 おはようございます。 
いつも ありがとうございます。
高野山は、コロナ前に奈良旅の延長で足を運びました。
日程にもう少し余裕を持たせれば、弘法大師関連以外の真田家や豊臣家関連の場所も回れたと後悔してます。
それでも徳川家の廟所は見ましたが…。
Unknown
お早うございます。
興味深く、毎日楽しみにしています。
竹千代 拝
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