高野山 奥の院 嘗試地蔵
和歌山県伊都郡高野町 高野山
高野山の開創から およそ20年で弘法大師 空海は入定され、いまなお瞑想の境地にいるとされています。
このため、弘法大師は死者にあらず、生きておられるのだから、当然 食事をなされるということて、御巌窟で瞑想している弘法大師の元へ午前6時と午前10時30分の毎日2回、御供所(ごくしょ)で調理された食事(生身供~しょうじんぐ)を届けます。
大師入定以来、毎日、晴れの日も、 雨の日も、風の日も、そして雪の日も、絶えず高野山の大師の弟子たちは毎日続けてきました。
運ぶ際、維那(ゆいな)と呼ばれる先導の僧と行法師(ぎょうぼうし)と呼ばれる担ぎ役の僧は嘗試地蔵(あじみじぞう)の前に一度、食事を降ろします。
これは嘗試地蔵に味見をさせるためで、これも毎日続けてられています。
嘗試地蔵は、大師の食事の世話をしていた愛漫(あいまん)、愛語(あいご)二人の僧を御厨(みくりや)明神として祀られていたものだったと伝わります。
いわば嘗試地蔵の許しを得てから、大師の元へ食事を届けるということなのでしょう。