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野沢菜原種旅の起点碑
大阪市 天王寺区 四天王寺
信州〜長野県名産の野沢菜。
野沢菜の歴史をたどれば今から約250年前にさかのぼります。
江戸時代中期の宝暦六年(1756年)、京へ修業に来ていた信州野沢村、健命寺の八代住職、晃天園瑞が京で聞きつけた噂を確かめるべく大坂の四天王寺に赴きました。
天王寺蕪(かぶら)という蕪菜が実に美味しいという評判から、四天王寺で食してみたところ、その美味しさに魅せられ、晃天和尚は天王寺蕪の種を信州に持ち帰りました。
和尚はその種を寺の庫裡裏の畑に蒔きました。
育った蕪は、実が小さいものの、葉ばかりが大きく成長した、和尚が天王寺で見た蕪とは違うものが育ちました。
温暖な西国育ちの天王寺蕪は、標高600メートルあまりの冬には豪雪地帯の野沢村で突然変異を起こしてしまったのです。
江戸時代から湯治場として知られた野沢村では、変異した天王寺蕪はお菜、という名前で各家庭で重宝され、やがて野沢産の名産として湯治場客にも提供され、やがて大正時代にスキー場が開設されると、その人気に火がつき、野沢菜という地名のついた名前で親しまれるようになりました。
2016年、野沢温泉村の村長はじめ、関係者が四天王寺を訪れ、野沢菜原種の起点である天王寺に記念碑を建立しました。
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野沢菜