旧開拓使麦酒醸造所
北海道 札幌市東区北2条東4丁目
サッポロファクトリーレンガ館
サッポロビール。
ぼくが小学生の頃、初めての校外学習で、社会科の見学授業で工場見学したのがサッポロビールでした。
当時は飲料メーカーはビンが主流で、飲料が充填されたビンが高速でレールから流れて来る工程を観た時は驚いたものです。
ビール工場の見学の最後は、別棟で製造されている炭酸ジュース【リボンナポリン】を貰えて、美味しく飲んだ思い出があります。
開拓使麦酒醸造所は、明治初期に開拓使設置に伴い、札幌に設けられた官営工場の一つです。
札幌農学校初代教頭 として招聘されたウイリアム・スミス・クラークに代表される御雇い外国人枠で来道した鉱山技師のトーマス・アンチセルが道内の視察中に、群生している野生のホップ岩内内町で発見したことから、北海道でのビール造りを提言します。
この提言を踏まえ、旧薩摩藩士の開拓使官吏、村橋久成の働きかけもあり、東京に決まっていた初の麦酒醸造所の建設を札幌に変更することになりました。
明治9年、醸造所は竣工、ドイツでビール醸造を修行した中川清兵衛とともに日本初のビールが完成しました。
ビールは【冷製札幌麦酒】と名付けられ、販売に先駆け、明治天皇に献上されました。
試飲以外で製品化した国産ビールを飲酒された初の日本人は、明治天皇ということになります。
その後、札幌で醸造された麦酒は東京にも販路を拡大して好評を得ます。
明治14年、開拓使官営の施設を廉価で払い下げる開拓使官有物払い下げ事件が発覚し、大騒ぎの中、醸造所は大倉財閥の運営する大倉商会に売却、さらに明治20年には実業家として頭角を現してきた渋沢栄一が醸造所を譲り受け、札幌麦酒会社として再出発します。
札幌麦酒会社は後のサッポロビールとして生まれ変わり、工場はここから比較的近い場所に移転して操業を継続、この建物は複合商業施設【サッポロファクトリー、レンガ館】となって利用されて現在に至ります。