安倍文殊院 金閣浮御堂
奈良県桜井市阿部
前回まで、安倍文殊院創建というより、安倍氏の祖である安倍倉梯麻呂について中心に書きました。
安倍晋三 元総理大臣の遠い御先祖様である安倍倉梯麻呂は、飛鳥時代に起きた当時の朝廷内において、事実上の支配者だった蘇我入鹿の成敗という〜乙巳の変(いっしのへん)から始まる大政変劇、大化の改新。
大化の改新は〜
若い皇子 中大兄皇子(後の天智天皇)と朝廷改革の必要性を訴えた君臣 中臣鎌足(藤原氏の祖、藤原鎌足)が主導した政策となっていきますが、安倍倉梯麻呂は左大臣として朝廷を支えました。
安倍文殊院は、日本国において初めて元号が制定された645年、大化元年に孝徳天皇の勅願を受け、安倍倉梯麻呂が安倍一族の氏寺として文殊院の前身である〜安倍山 崇敬寺(安倍寺)を建立しました。
山門
参道
安倍寺は飛鳥時代を代表する〜金堂と講堂を中心に据え、回廊で包む様に配置する法隆寺式の伽藍配置をした大寺院として、大いに栄えました。
これは、孝徳天皇の妃が安倍倉梯麻呂の娘ということも無関係とは言えないでしょう。
史跡としての安倍文殊院については、今後の飛鳥時代の史跡カテゴリで取り扱う予定です、
本堂
西古墳
伝、安倍倉梯麻呂 墓所
実は、安倍文殊院を訪ねるべきと強く考えたのが、7月8日の安倍晋三元総理大臣の暗殺でした。
何度か記事で書いてますが、安倍元総理が凶弾に倒れた大和西大寺駅前で献花し、その足で安倍氏発祥の地である文殊院を訪ねました。
ここには、安倍元総理が献燈した石燈籠が文殊院境内の金閣浮御堂前にあります。
安倍元総理大臣献燈 石燈籠
昨今、巷は国葬反対と騒がしいですが、
ぼくは国内外、国政に奔走し、訃報を知った世界中の要人から弔慰を寄せられた日本の元宰相
である安倍元総理大臣のご冥福を、あらためて心からお祈り致します。