小樽港
(写真は小樽勝納(かつない)埠頭 新日本海フェリー、フェリーターミナル)
小樽運河
オタルナイ運上屋跡
小樽運河周辺の堺町商店街
小樽の町としての始まりは、上方の豊臣政権終末期から(1596年~慶長元年)関ヶ原の戦い(1600年〜慶長五年)を経て、徳川家康が江戸に幕府を開いて江戸時代を迎えた間に、(1610年〜慶長15年)松前藩の大名〜蠣崎氏(後に松前氏と改名)が家臣に与える土地として入植を試み、開拓し始めところから本格化されました。
当時は僅かばかりのアイヌの集落が点在するばかりで、松前藩に仕える〜八木勘右衛門が小樽の東、銭函まで漁場を設け
その後、ニシンを求めて松前、江差、歌棄(うたすつ〜現在の寿都町)と、商機を見込んだ近江商人らの来道や南から移住してくる人たちが増え、元治2年(1865年)年に漁業を営む人たちの家が314戸建ち、村のような組織がつくられたのが始まりとされています。
明治時代に入り、日本の新政府は、札幌に開拓使の本府を設置し、北海道開拓の拠点とすることにしました。陸路が整備されていなかった当時、海路からの物資の供給基地として、小樽港の整備が本格的に進められます。
港から運ばれてくる物資を保存、保管しておくため、海沿いには木骨石造倉庫が次々と建てられました。
やがて それでも賄いきれない物流に対処するため、小樽運河が造営されることになります。
1880年(明治13年)には、国内3番目、北海道で初の鉄道である(官営幌内鉄道)も敷設され、北海道中央部〜空知地方で採掘される石炭は、明治日本の近代化を支え、日本の主要エネルギーとなる石炭の搬出港となりました。
その後、小樽港の発展は隆盛を極め、全国屈指の経済都市へと急成長を遂げました。