海岸通りをずっと南に下っていくと、石原裕次郎も一時期過ごしたことがある港町に着く。フェリー、貨物船、ヨット、漁船、海上保安庁、空母さえ入港する。ほとんどの種類の船がある。空も海も遠くに見えている山さえ青く見える。夏が近いなぁ。
海岸通りをずっと南に下っていくと、石原裕次郎も一時期過ごしたことがある港町に着く。フェリー、貨物船、ヨット、漁船、海上保安庁、空母さえ入港する。ほとんどの種類の船がある。空も海も遠くに見えている山さえ青く見える。夏が近いなぁ。
陽が沈もうとしている頃、港から街を通り内陸側へ走ると、左側に川が見えてくる。更に走ると川の向こうに1本の立派な木が見えた。季節は5月、樹には葉も茂っていないが、夕日とともに見るとなんとも不思議な主張を感じた。祖父が生きていた頃、見た風景にどこか似ている。
日も沈みかけてきた頃、緩やかな湾に面した町に着いた。丘の上から眺めると赤白灯台、港のサイロ、遠くに風車が見え、その向こうには雪が残る山がある。波はほとんどなく穏やかな夕暮れ時だ。
小さく写っている家の中でお母さんが夕食の支度をしている光景が思い浮かぶ。一日の中で最も穏やかで平和な時に感じる。
海岸通りを南へ下ると急な崖が海に面していて、海と崖のわずかな隙間を道路が通っている。
小さな海沿いの町を通り、トンネルを抜けると岬が見えてくる。岬の上には雲がかかっていて不思議なことに岬と同じ形をしていた。
街から海岸通りに向い、石油タンクが並んでいる場所から山方向へ曲がって少し行くと海岸に接する小高い丘に登る砂利道がある。この道は何回も上った。港と街、そして日本海に沈む夕日を一望することができるからだ。
丘の上には、赤白灯台と市の功労者の銅像があり、そのそばにコンクリートの階段がある。子供たちが小さい頃に買った麦わら帽子を置いてみた。夕日に照らされてわずかに赤みがかっている。この麦わら帽子をかぶり、通称”バッタの沢”と勝手に呼んでいる林道へ連れて行ったことが思い出される。