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武士道の淵源(仏教について)

2016年06月04日 | お気に入りの文章、お話
 まず仏教から始めよう。

 運命に任すという平静なる態度、不可避に対する静かなる服従、危険災禍に直面してのストイック的なる沈着、生を賤(いや)しみ死を親しむ心、仏教は武士道に対してこれらを寄与した。ある剣道の達人〔柳生但馬守〕がその門弟に業(わざ)の極意を教え終わった時、これに告げて言った、「これ以上の事は余の指南の及ぶところではなく、禅の教えに譲らねばならない」と。

 「禅」とはディヤーナの日本語訳であって、それは「言語に表現の範囲を超えたる思想の領域に、瞑想をもって達せんとする人間の努力を意味する」。その方法は瞑想である。

 しかしてその目的は、私の領解する限りにおいては、すべての現象の底に横たわる原理、能(あた)うべくんば絶対そのものを確知し、かくして自己をばこの絶対と調和せしむるにある。かくのごとく定義してみれば、この教えは一宗派の教義(ドグマ)以上のものであって、何人(なんぴと)にても絶対の洞察に達したる者は、現世の事象を脱俗して「新しき天と新しき地」とに覚醒するのである。

岩波文庫 武士道 P33 より





武士道 (岩波文庫 青118-1)
新渡戸稲造
岩波書店





 新渡戸稲造の武士道「 第二章 武士道の淵源 」の冒頭(上記)に、仏教のことが短い文章で端的に記述されています。仏教の難しい言葉や思想は非常にわかりにくく、取っつきにくいことが多いですが、仏教ってなに?と聞かれたとき、この文章はざっくりとその目指すところを示してくれています。
 人生と瞑想を接着させ、洞察を深めることの重要性を認識させるこの文章は、理不尽なことや避けられない問題を前にしたときに、根本的な解決を導くための橋頭堡であるように思えます。


≪関連リンク≫
新渡戸稲造 - Wikipedia
新渡戸稲造 - 近代日本人の肖像
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