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15 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 1タ 日米首脳会談に望みをかけた近衛首相  」

15 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 1タ 日米首脳会談に望みをかけた近衛首相 」

 第1章
 ルーズベルト(FDR)が敷いた開戦へのレール 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
1イ まえがき
1ロ アメリカの決意、日本の一人芝居
1ハ ルーズベルト(FDR)による敵対政策の始まり
1ニ なぜルーズベルト(FDR)は、中国に肩入れしたか
目次漏れ項目 日独伊三国に向けられた「防疫演説」
1ホ 中国空軍機による九州来襲
1ヘ 日本の外交暗号をすべて解読していたアメリカ
1 ト 中国軍に偽装した日本本土空襲計画
1チ 日本を戦争におびき寄せた本当の理由
1リ ルーズベルト(FDR)を喜ばせた三国同盟の締結
1ヌ 着々と進む日本追い詰め政策
1ル 開戦五か月前に日本攻撃を承認した文書
1ヲ 「日本という赤子をあやす」
1ヨ 直前まで対米戦争を想定していなかった日本
1タ 日米首脳会談に望みをかけた近衛首相

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1タ 日米首脳会談に望みをかけた近衛首相

  近衛は日米首脳会議に政治生命を賭けて臨み、日米間の障壁をいっきょに取り除こうと、決意した。

  近衛は日米の首脳が膝を交えて、率直に意見を交換して、陸海軍の意にそわない合意を行なわざるをえなかったとしても、帰国後、天皇の御裁可を得たうえで、局面を打開できると楽観していた。

  8月17日に、野村大使がルーズベルト(FDR)大統領と会見して、近衛首相がルーズベルト(FDR)とハワイにおいて日米首脳会談を行なって、日米間の諸問題を包括的に解決したいと望んでいるという意向を打診した。
  ルーズベルト(FDR)は野村に対して、「医者から飛行機に搭乗することを禁じられているから、日米の中間点のアラスカのジュノーで行いたい」と答えて、期待をもたせた。

  8月27日と28日の両日にわたって、近衛首相、各大臣、鈴木貞一企画院総裁、福留繁海軍軍令部作戦部長、陸海軍幕僚が総力戦研究所において行われた会議に、出席した。
  総力戦研究所では、研究生として入所していた各官庁の中級幹部や陸海軍将校が、日米英戦争を想定して、両陣営に分かれて、一カ月にわたって模擬演習を実施していた。

  近衛首相以下の参列者の前で、模擬演習の総合的結果について報告が行われ、「対米英戦争は、日本の敗北で終わる」という判定が下されたことが、明らかにされた。
  総力戦研究所は1941(昭和16)年1月に、設立されていた。

  8月28日に、野村は、ルーズベルト(FDR)大統領と再び会見して、近衛首相から日米首脳会談を開催することを、公式に提案する親書を手渡した。
  近衛はこのメッセージのなかで、「両首脳が直接に会談して、大所高所から時局を収拾する可能性を検討したい。細目は事務当局に任せたい。両首脳の会議の時期は一日も早く、場所はハワイを望む」と、述べていた。

  ルーズベルト(FDR)はこの近衛提案を受けて、喜んだふりをした。再び「ハワイまでは行けないが、会見場所を、アラスカのジュノーにしたい」と述べ、「近衛公との会談に強く期待する。三、四日間ぐらいを、希望する」と、答えた。近衛は侯爵(プリンス)だった。

  ルーズベルト(FDR)はさらに「近衛公は、英語を話すか?」と問い、野村が「話せる」と答えると、「ザッツ・ファイン(それはよい)」と言って、頷いた。
  野村大使は大統領との会見の成果を受けて、その直後にハル国務長官をたずねて、「日米首脳会議の期日については、9月21日から25日に催すことを希望する。近衛首相の随行員は、約二十名である」と、述べた。

  東京では日米首脳会議について、ルーズベルト(FDR)大統領の感触がよかったので、随行員の選考をはじめとして、具体的な準備に入った。随行員としては、山本五十六連合艦隊司令長官も、予定されていた。首相一行の乗船として、日本郵船の「新田丸」が手配された。

  9月6日に、グルー駐日大使は日記に「今晩、近衛公爵が私を彼の友人の私邸に、晩餐に招いてくれた。列席したのはドゥ―マン(参事官)と牛場首相秘書官の二人だけだった。(略)近衛公爵、従って日本政府は、国務長官が日米関係を復興させるための基礎として示した四原則に、決定的かつ全面的に同意すると述べた」と、記した。

  ところが、ルーズベルト(FDR)大統領とハル長官は、日米首脳会議を行なう前提として、それだけでは不十分であり、そこまでゆく原則的な合意が行われる必要があるとして、さまざまな難題を突きつけてきたために、トップ会談は、なかなか実現しなかった。

  もとより、ルーズベルト(FDR)大統領は日本と戦うことを決めていたので、日米交渉が妥結することを望んでいなかった。日本をあやして(ベイビー)いたのだった。

参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
 加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長
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