16 なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか 「 2イ 開戦を前にした昭和天皇の懊悩 」
第2章
米政府が秘匿した真珠湾の真実 一部引用編集簡略版
本章は以下の内容を投稿予定です。
2イ 開戦を前にした昭和天皇の懊悩
2ロ 悲痛の極み、宮中御前会議
2ハ 山本五十六の無責任発言
2ニ アメリカに腰抜けだった連絡会議の結論
2ホ 日本艦隊の攻撃を待ちのぞむアメリカ
2ヘ 開戦強要の最後の一手
2 ト その時、ルーズベルト(FDR)は何をしていたか
2チ なぜ新鋭艦が真珠湾にいなかったのか
2リ 万策尽きての開戦決定
2ヌ 暗号解読で、事前にすべてを承知していたアメリカ政府
2ル ハワイにだけは情報を伝えなかった謎
2ヲ アメリカの参戦決定と、チャーチルの感激
2ヨ ルーズベルト(FDR)は、いかにして四選を果たしたか
2タ 終戦の方策を考える余裕すらなかった日本
2レ アメリカで追及された真珠湾奇襲の真相
2ソ 終戦一年半前に作られた日本占領統治計画
2ツ 日本国憲法にこめたアメリカの狙い
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2イ 開戦を前にした昭和天皇の懊悩
昭和天皇は日米開戦に至るまで、懊悩された。天皇は一貫して、平和を強く望んでおられ、対米戦争について、深く憂慮されていた。
天皇は9月5日に、突然、杉山元(はじめ)参謀総長、永野軍令部総長の陸海軍両総長を召した。近衛首相が立ち会った。
天皇は両総長に大声で、「絶対に勝てるか」と、たずねられた。
杉山参謀議長が、「絶対とは申しかねます。しかし、勝てる算があることだけは、申し上げられます。日本としては、半年や一年の平和を得ても、続いて国難が来ることになります」と、申し上げた。
天皇が杉山に、「日米事起こらば、陸軍として幾許(いくばく)の期間に片付ける確信が、あるか」と、質された。
杉山が「南方方面だけは、三カ月くらいにて、片付けるつもりであります」と答えた。
すると天皇は、「杉山は、支那事変勃発時の陸相だった。その時、陸相として「事変は一カ月くらいにて片付く」と申したことを、記憶している。しかるに、四ヵ年の長きにわたり、まだ片付かんではないか」と、詰問された。
杉山は恐縮して、「支那は奥地が開けて、予定通り作戦を進めることができない」事情を、くどくど申し上げて弁明した。
すると、天皇が「支那の奥地が広いというのなら、太平洋はもっと広いではないか。どのような確信があって、三カ月というのか」と叱責された。
杉山が頭を垂れて、黙ってしまった。すると永野が杉山を助けるように発言を求め、「統帥部といたしまして、対局より申し上げます。今日、日米の関係を病人にたとえてみますと、手術するか、しないかの瀬戸際にきております。手術をすれば、非情な危険がございますが、助かる望みがないではございません。統帥部といたしましては、あくまでも外交交渉の成立を希望しますが、不成立の場合は、思い切って手術をしなければならないと、存じます」と、奉答した。
天皇が、「今日のところ、外交に重点を置くと理解するが、その通りなのか?」と、念を押された。両総長が「その通りでございます」と申し上げて、退出した。
参考:加瀬英明著「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
加藤英明氏は「ブリタニカ国際大百科事典」初代編集長