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2-2.元良親王 宇多院の御息所褒子(ほうし)との密通

2-2.元良親王 宇多院の御息所褒子(ほうし)との密通

 馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~貴公子たちの恋~ からの抜粋簡略改変版
 色好みの源流:元良親王 一夜めぐりの源流

 宇多法皇はよほど褒子に心を奪われていたらしく、「大和物語」には多くの御息所をさしおいて、風情を尽くした河原院(旧源融(とおる)邸)に褒子だけを召し寄せて滞在しておられるので、他の御息所たちはまことに心外に思われた。
 春の花がさまざま咲き競う季節がきて、法皇の御所亭子院に参上した公卿たちも、御所の花を見捨ててまで河原院にお出掛けとはと思いつつ庭を見ると、藤の花に文が結ばれていた。あけてみると歌であった。

  世の中のあさき瀬にのみなりゆけばきのふのふぢの花とこそ見れ

 「藤」と「淵」が掛詞になっていて、亭子院に残された御息所たちの歎きの声がきかれるような歌である。
 公家たちもそっと、(ふぢの花色のあさくも見ゆるかなうつろひにけるなごりなるべし)などと少し口軽の歌を口ずさんだりしたが、褒子の寵愛はこれほどのものだったのだ。

 元良親王がこの褒子と密通したのはいつ頃のことだろう。「元良親王御集」には褒子との逢瀬を偲ばせる歌が幾つかある。

   京極のみやすん所をまだ亭子院におはしける時にけさう
   し給ひて九月九日聞え給ひける

 世にふればありてふことを菊の花愛ですぎぬべき心地こそすれ

   夢のごとあひ給いて後、帝つゝみて渡らせ給ふとて、え
   逢ひ給はぬと、宮に待ひけるによせりよみける

 麓さへ熱くぞありける富士の山嶺の思ひの燃ゆる時には

 一首目の歌は「菊」と「聞く」とが掛詞。重陽の日に褒子を菊の花にたとえて思いを伝えたものだが、第四句が「なほすぎぬべき」となっているのは「元良親王御集」。これだと「あなたのようなすばらしいお方が此の世にあるということを聞きながらお逢いしないで居たなら、せっかくその菊の花のような美しさも盛りが過ぎてしまいそうで、気が気ではありません」というような意味になる。
 また、次の歌の詞書にある「よせりよみける」という不明部分は、「きよかぜがよみける」となっている。するとこれは、親王に近侍していた「きよかぜ」という者の歌になるが、かえって意味はわかりやすい。

 菊の花の歌によって、、親王と褒子は「夢のごとあひ給ひて」という一夜があった。そして、その後大胆にも、再会、再再会を願っているのだが、宇多院がおいでになっていて機会がない。褒子はずっと院のお側に待っている。
 元良親王の心はいらだつばかりだ。二首目の歌はそういう場面で詠まれている。「きよかぜ」にもそれがありありとわかったのだろう。いぶせく燃える「富士の山」は親王で、「麓」は側近たち、親王の様子を見ながら自ずと熱くなり、はらはらしながら見守っていたのだ。

 元良親王の集は「国家大観」の「元良親王御集」と、「私家集大成」では若干のちがいがある。私(馬場あき子氏)は「国家大観」の本で読みならわしてきたので、ここではこの本を中心に「私家集大成」を参考にした。

つづく
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