2-3.元良親王 宇多院の御息所褒子(ほうし)との密通
馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~貴公子たちの恋~ からの抜粋簡略改変版
色好みの源流:元良親王 一夜めぐりの源流
あるいはまた、こんなこともあった。ある女官のもとに通いそめてまだ間もないころというのに、一夜を明かした女官のもとにありながら褒子に歌を届けている。
いとどしくぬれこそまされ唐衣逢坂の関道まどひして
御息所のかへし
まことにてぬれけり宿も唐衣ここに来たらばともに絞らむ
親王はあなたとの「逢坂の関」の道を間違えて泣き濡れているところですと、「ある女官」のもとにありながら褒子に訴え、褒子は私もまた泣き濡れているので、あなたが来たなら一緒に袖を絞りあいましょうといっている。
一夜を明かした女官が知ったらずいぶん心傷ついたと思われるが、元良親王は心のおもむくままに、一刻の猶予ももてずいまの思いを伝えたいという気性の持ち主だったようだ。
しかし、それはただの情だけではない文学的な感動に支えられてのものであったから、この女官がある時、親王の「外あるき」をつらく悲しく思って、「音(ね)に高くなきぞしぬべき空蝉のわが身からなる憂き世と思へば」と詠みかけた時は、たちまち心を動かし「あはれ、あはれ」と、そのまま外出を中止したりしている。
褒子と親王とのこんなに危険で奔放な密会が世に漏れないはずはない。
事の出で来てのちに京極御息所につかはしける
わびぬれば今はた同じ難波なる身をつくしても逢はんとぞ思ふ 「後撰集」恋五
(恋の遂げがたさに詫びている思いは、密会が露見した今も、以前と少しも変わらない。それならいっそ、あの難波名物の「みをつくし」という言葉のように「身を尽くしてでもお逢いしよう」と思うばかりだ)
歌は二句切れ。切迫した調子であるが「今はた同じ」のあたりは言葉が少しつまりすぎて簡明ではない。下句は「みをつくし」の掛詞を技巧とするだけで、むしろ率直な、なだらかな調子の美しさの中に、露見をも世評をも、処遇さえも恐れない、いえば莞爾(かんじ:微笑むさま)としたゆとりさえ感じられるような、陽成院一のみこの矜持がみえる。
つづく