3-2.元良親王 女性遍歴 姨君(おばきみ:母方の叔母)との密通
馬場あき子氏著作「日本の恋の歌」~貴公子たちの恋~ からの抜粋簡略改変版
色好みの源流:元良親王 一夜めぐりの源流
「源氏物語」では、まだ十代のうら若き源氏が亡き母の面影を求めて父帝の女御藤壺を犯してしまうことが、全巻を貫く秘められた主題となっている。恋とはいったい何なのだろう。人間の業の悲しさ、浅ましさ、苦しさ、やさしさ、若き日の源氏の思慮を超えた思慕の情熱は、その後に負わねばならぬ多くの因果をそれによってもつことになるが、紫式部はその少し前の時代の元良親王の色好みの逸話の数々を聞き知っていたことだろう。
「元良親王御集」にさりげなく収められている大炊(おおい)大納言北の方である姨君との密通は、京極御息所のように評判になることなく、まさに源氏と藤壺の密事のように隠しおおせた秘密であったのかもしれない。「源氏物語」のような物語的思想による展開もないゆえに、元良親王の場合はあまりに行き過ぎた色好みに驚くのみであるかもしれないが、この秘密のかげに想像を超えたどんな感情があったかはなお秘されたままだ。
その宮の御姨大炊大納言の北の方にておはしましけるをいと
忍びて通ひ給ひけり、北の方
荒るる海に堰(せ)かるる蜑(あま)は立(たち)てなむけふは浪間にありぬべきかな
(荒れる海に堰きとめられて潜(かず:潜る)くこともできない蜑(あま:海女)は、佇むばかりで、ただ浪間に漂うているばかりです)
これは親王が「忍びて通」う危険を戒めているのだろうか。「姨」とは母方の妹に当たる言葉と思われるので、大納言の北の方になってからも、母についで思慕の情が深かったのかもしれない。
この歌「私家集大成」の「元良親王集」では、「あるるうみにせかるるあまはたちいてなむけふはなみまにありぬべきかな」と全ひらがなである。
日本語は難しい。濁点一つで意味が変わってしまう。「せかるる」を「急かるる」と読み、「たちいてなむ」も「立ち出でなむ」となると、先訳と逆で、「荒れる海に急かされて蜑は立ち出でもしましょう。しかし今日は浪間に浮かんでいるだけです」となる。
また傍書(そばがき:行の傍らに書き添えること)では「なみまも」とあるので、するといっそう色よい返事となり、「海は荒れていても波がない時もある」ということになる。
書写のたびに移す人の解釈が入って歌が少しずつちがってくるのである。ともかく、二人の間にもし子供でも生まれたりすれば、藤壺と同じような秘事をもつことになるのである。
しかし、この姨君は早世されたようだ。
此の北の方うせ給ひにければ御四十九日のわざに白かねを
はこにつくりてこがねを入れてみ誦経(じゅきょう:読経)せさせられけるに
そへ給ひける
君をまたうつつに見ばや逢ふことの互(かた)みにふりぬみつはありとも
この歌の結句「みつ」は「みず」ではなく「みづ」でもなくかなり難解だが、上句の率直な情はそのまま伝わる。そして詞書によれば、おそらく四十九日の供養に、表面的には姨君への孝養として、密かには亡き人への愛をこめて、銀の箱に金を納めるという特別な布施を用意しているのが心に残る。
つづく