世間ではどうか分かりませんが、私が「会話」と言う時には、ただ単に「人と人とが話をした」というだけでは「会話」とは考えていません。
私が「会話」と言う時には、新しい思い付きや自己発見などにより、或る意味「予想外の方向」へと行ってしまう場合の事です。
例えば今日人と話をする為に、昨日から考えていた事を予定通り全部話す事が出来てスッキリしました・・・と言うのでは、これは一方向的な「演説」と同じ事であって相手の人は「聞き役」だけになってしまいます。
人と話をした時に「スッキリする」という事は大切な事ではありますが、これでは身体に溜まった物を全部出すように「トイレに行ってスッキリしました」というのと全く同じ事なのです。
これは一種の「浄化作用」の働きです。
今日人と会う為に、昨日の内から例えば五つの話を考えていたとします。
これを今日になって全部話せたからと言って「会話」をしたと思い込んで満足してはいけません。
会話というのは、この五つの話の中の一つを話し始めた瞬間に相手が予想外の反応を示し、どんどん別の方向に話が発展して、残りの四つの話が出来ませんでした・・・という事の方が会話らしい事なのです。
以前ジャズの音楽を習っていた事がありましたが、これは「アドリブ」というのが非常に重要な音楽で「即興的」に演奏するのですが、これが要するに「会話」です。
ジャズも奥の深い音楽ですから、本当の会話をする事が出来るようになるまでには、相当な時間と才能が必要になります。
よくジャズの教室の発表会などで「カッコ良いアドリブ」を演奏している生徒も見かけますが、そのほとんどは実はアドリブではありません。
そういう人の演奏は、練習の時とステージでの本番の演奏が全く同じになるのです。
会場のお客さんの雰囲気や、一緒に演奏している人たちの演奏を無視して、ただ単に自分だけで予定通りの演奏をしただけの事なのです。
例えて言えば、機関銃に沢山のタマを詰め込んでから打ちっ放しにして、タマがなくなったらもうそれでおしまい。
それ以上の話は出て来ないのです。
ほとんどの初心者はこうなって当たり前なのですが、中にはベテランのプロでもこのような演奏をしている人もいるのです。
「会話」とか「アドリブ」というのは、相手や状況に応じて毎回変わってしまうのが当たり前の事で、いつでも同じ話をしていたら却って可笑しい訳です。
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私が人と話をしている時に、相手の人に対して大まかにではありますが「二つのタイプ」を感じる事があります。
その一つは「悩みを打ち明けるタイプの人」。
もう一つは「愚痴をこぼすタイプの人」です。
これについて簡単にお話したいと思います。
まず「悩みを打ち明けるタイプの人」というのは・・・
例えて言えば真っ暗なトンネルの中に入り込んでしまって、出口の明かりが見えなくなっている状態の人の事です。
どちらの方向に歩き出したら良いのかが分からないのです。
こういう人と話をしていて楽しくなるのは、話をしている最中に「ヒラメキ」を感じて目付きや顔色が変わって来る時です。
これは暗闇から遠くの方に出口の明かりが見えて来て、そちらの方向に向かって歩き出そうとしているかのようです。
「あっ、そうか!」というように新しい発見があり、目が輝き出し顔の表情も明るくなって来るのです。
そして何らかの行動を取り始める場合もあります。
こうなって来れば、「会話」は大成功です。
私の経験では、話し始めてから1時間~3時間でこの様な状態になります。
人によってまちまちですが、日ごろ「ヒラメキ」を大事にしているような職業の人と話をしている時に、この様な事があります。
一方「愚痴をこぼすタイプの人」というのは・・・
何時間も話を聞いてあげても何らの進展がなく、全部話したかと思うとまた初めから繰り返しになったりする事もあります。
暗いトンネルの中にいて、初めから遠くの方に微かな明かりが見えているにも係わらず、そちらに向かって歩き出さない状態の人のようです。
つまり何らかの事情により「現状維持」を続けたい人のように見受けられます。
そういう状態の人には、例え非常に良いアドバイスをしたとしても絶対に歩き出さない事でしょう。
私は人と話をする時には、基本的にはほとんど「アドバイス」のような事はしません。
自分より立場の上の人と会話をする時に「アドバイス」など出来る筈はありません。
また若い人たちに「アドバイス」などをしたら、皆「お説教」のように感じて嫌がられてしまうからです。
アドバイスなどは誰も聞きたくはないのです。
自分と同じ事を考えている人を捜して「共感」が欲しいだけなのです。
「悩みと愚痴」・・・一見似ているように見えるのですが・・・
ではこの「二つのタイプ」を見分ける方法をお話して終りにしたいと思います。
まず「悩みを打ち明けるタイプの人」というのは・・・
誰にでも話をするのではなく、「私にだけ」もしくは「少数の信頼出来る人にだけ」話をします。
また暗闇から遠くに微かな明かりが見えて来たら、顔の表情が明るくなり、明かりの方向に向かって歩き出します。
つまり「ヒラメキ」、「新しい発見」があります。
会話の結果、その人の心や行動に変化が現れる訳です。
一方「愚痴をこぼすタイプの人」というのは・・・
人をあまり選ばず、「初対面」の人にさえ話をします。
話に進展がなく「どうどう巡り」のようになり、他の人に対しても同じ事を繰り返し話します。
自分より若い人、もしくは経験の浅い人に対しても話をします。
ただ誤解されないように一言付け加えますと、どんな人であっても悩みを打ち明けたり、愚痴をこぼしたりするものですが、その人の持っている「傾向」というものを感じた次第です。
私がこのような経験から得た事は・・・
一見人間と言うのは「悩んでいる原因を消しさえすれば、苦しみから逃れられるのだ」と思いがちですが、実際はそうではないのです。
例え「悩んでいる原因」を消す事が出来なくても、それを解決するアイデアが出て来て解決に向かって歩き出した時には、皆明るく元気になって来るという事実です。
悩みの「原因」があるから気持が落ち込んでしまうのではなく、「解決策」が見付からないから落ち込んで身動きがとれなくなってしまうのです。
アイデアが出て来て、問題を解決しようと色々と考え始めた時にはもう落ち込んではいないのです。
そういった意味でも「会話」をするという事は、とても大切な事だと思います。
私が「会話」と言う時には、新しい思い付きや自己発見などにより、或る意味「予想外の方向」へと行ってしまう場合の事です。
例えば今日人と話をする為に、昨日から考えていた事を予定通り全部話す事が出来てスッキリしました・・・と言うのでは、これは一方向的な「演説」と同じ事であって相手の人は「聞き役」だけになってしまいます。
人と話をした時に「スッキリする」という事は大切な事ではありますが、これでは身体に溜まった物を全部出すように「トイレに行ってスッキリしました」というのと全く同じ事なのです。
これは一種の「浄化作用」の働きです。
今日人と会う為に、昨日の内から例えば五つの話を考えていたとします。
これを今日になって全部話せたからと言って「会話」をしたと思い込んで満足してはいけません。
会話というのは、この五つの話の中の一つを話し始めた瞬間に相手が予想外の反応を示し、どんどん別の方向に話が発展して、残りの四つの話が出来ませんでした・・・という事の方が会話らしい事なのです。
以前ジャズの音楽を習っていた事がありましたが、これは「アドリブ」というのが非常に重要な音楽で「即興的」に演奏するのですが、これが要するに「会話」です。
ジャズも奥の深い音楽ですから、本当の会話をする事が出来るようになるまでには、相当な時間と才能が必要になります。
よくジャズの教室の発表会などで「カッコ良いアドリブ」を演奏している生徒も見かけますが、そのほとんどは実はアドリブではありません。
そういう人の演奏は、練習の時とステージでの本番の演奏が全く同じになるのです。
会場のお客さんの雰囲気や、一緒に演奏している人たちの演奏を無視して、ただ単に自分だけで予定通りの演奏をしただけの事なのです。
例えて言えば、機関銃に沢山のタマを詰め込んでから打ちっ放しにして、タマがなくなったらもうそれでおしまい。
それ以上の話は出て来ないのです。
ほとんどの初心者はこうなって当たり前なのですが、中にはベテランのプロでもこのような演奏をしている人もいるのです。
「会話」とか「アドリブ」というのは、相手や状況に応じて毎回変わってしまうのが当たり前の事で、いつでも同じ話をしていたら却って可笑しい訳です。
・
・
私が人と話をしている時に、相手の人に対して大まかにではありますが「二つのタイプ」を感じる事があります。
その一つは「悩みを打ち明けるタイプの人」。
もう一つは「愚痴をこぼすタイプの人」です。
これについて簡単にお話したいと思います。
まず「悩みを打ち明けるタイプの人」というのは・・・
例えて言えば真っ暗なトンネルの中に入り込んでしまって、出口の明かりが見えなくなっている状態の人の事です。
どちらの方向に歩き出したら良いのかが分からないのです。
こういう人と話をしていて楽しくなるのは、話をしている最中に「ヒラメキ」を感じて目付きや顔色が変わって来る時です。
これは暗闇から遠くの方に出口の明かりが見えて来て、そちらの方向に向かって歩き出そうとしているかのようです。
「あっ、そうか!」というように新しい発見があり、目が輝き出し顔の表情も明るくなって来るのです。
そして何らかの行動を取り始める場合もあります。
こうなって来れば、「会話」は大成功です。
私の経験では、話し始めてから1時間~3時間でこの様な状態になります。
人によってまちまちですが、日ごろ「ヒラメキ」を大事にしているような職業の人と話をしている時に、この様な事があります。
一方「愚痴をこぼすタイプの人」というのは・・・
何時間も話を聞いてあげても何らの進展がなく、全部話したかと思うとまた初めから繰り返しになったりする事もあります。
暗いトンネルの中にいて、初めから遠くの方に微かな明かりが見えているにも係わらず、そちらに向かって歩き出さない状態の人のようです。
つまり何らかの事情により「現状維持」を続けたい人のように見受けられます。
そういう状態の人には、例え非常に良いアドバイスをしたとしても絶対に歩き出さない事でしょう。
私は人と話をする時には、基本的にはほとんど「アドバイス」のような事はしません。
自分より立場の上の人と会話をする時に「アドバイス」など出来る筈はありません。
また若い人たちに「アドバイス」などをしたら、皆「お説教」のように感じて嫌がられてしまうからです。
アドバイスなどは誰も聞きたくはないのです。
自分と同じ事を考えている人を捜して「共感」が欲しいだけなのです。
「悩みと愚痴」・・・一見似ているように見えるのですが・・・
ではこの「二つのタイプ」を見分ける方法をお話して終りにしたいと思います。
まず「悩みを打ち明けるタイプの人」というのは・・・
誰にでも話をするのではなく、「私にだけ」もしくは「少数の信頼出来る人にだけ」話をします。
また暗闇から遠くに微かな明かりが見えて来たら、顔の表情が明るくなり、明かりの方向に向かって歩き出します。
つまり「ヒラメキ」、「新しい発見」があります。
会話の結果、その人の心や行動に変化が現れる訳です。
一方「愚痴をこぼすタイプの人」というのは・・・
人をあまり選ばず、「初対面」の人にさえ話をします。
話に進展がなく「どうどう巡り」のようになり、他の人に対しても同じ事を繰り返し話します。
自分より若い人、もしくは経験の浅い人に対しても話をします。
ただ誤解されないように一言付け加えますと、どんな人であっても悩みを打ち明けたり、愚痴をこぼしたりするものですが、その人の持っている「傾向」というものを感じた次第です。
私がこのような経験から得た事は・・・
一見人間と言うのは「悩んでいる原因を消しさえすれば、苦しみから逃れられるのだ」と思いがちですが、実際はそうではないのです。
例え「悩んでいる原因」を消す事が出来なくても、それを解決するアイデアが出て来て解決に向かって歩き出した時には、皆明るく元気になって来るという事実です。
悩みの「原因」があるから気持が落ち込んでしまうのではなく、「解決策」が見付からないから落ち込んで身動きがとれなくなってしまうのです。
アイデアが出て来て、問題を解決しようと色々と考え始めた時にはもう落ち込んではいないのです。
そういった意味でも「会話」をするという事は、とても大切な事だと思います。
あんまり人に悩みなんか打ち明けないし
人の悩み聞いてるほうが気が楽だから
でもarataさんには一寸聞いてもらいたな~
ただ悩んで悩んでるうちに
自分で出口見つけちゃったわ。
残念!
良いな~! 理想的ね!
厳しい人だと、「人に言えるような悩みなんて、悩みの内に入らない!」・・・なんて言う人もいますけど、私はそこまでは言えないな~。
確かにそういう面はありますけどね。
他人から見て、大した事のないような悩みでも、本人にとっては相当苦しい場合がありますからね。
20歳の頃作った曲がね。
頭の16小節だけ(テーマのみ)決めて
あとは全てその時の空気と感情とノリだけで
Okというシロモノだったの。
左手が力強いストロークで4ビートを刻み
右手で曲を展開するって感じ。
タイトルがね「宇宙から見たアフリカ!」
(≧m≦)ぷっ!
これって、夏休みの作曲の課題だったの。
...んでね、先生(草川センセイ)がね
(あ、この方って「夕焼小焼」を作った草川氏の
ご親族でした)
「これ、どんな曲だか想像もつかないから君
今、ここで弾いてみなさい!」って云うので
皆の前で急に弾いたんです(^-^;
20分位で切り上げたけど、面白かった。
ソロだったけどね。
弾きながら宇宙を旅して地球へ帰還した...。
そういう感覚(爆)
わっかるかなぁ~...。
録音しておけば良かった(もう、二度と弾けないもの)
センセイがね、感想として
『君には南米の血が流れているように感じる。
もっと作ってご覧?面白いよきっと』
と励まして下さったのですが...才能がない私は
後が続かず(苦笑) もっぱらエレクトーンの
即興演奏で遊んでおりましたとさ...!
お後がよろしいようで...(大爆笑)
それもフリーっぽいのを・・・。
結構大人っぽかったのですね~!
私なんか23歳の時に初めてピアノを習い始めて、それがいきなりジャズ・ピアノ・・・。
幼い頃から20年以上もクラシックを習っていた、基礎の出来た人たちと戦っていましたっけ・・・。
こちらは「根無し草」ですからね。
二人の先生に習ったのは合計で3年間ですけど、28歳の頃には銀座のクラブでピアノ・トリオで弾いていましたよ。
でも2、3ヶ月で「クビ」になりましたけど・・・。
正確に言うと単なる即興曲でしたね。
クラシックはズーッとやってましたが
高校2年生の時にバンドを組んで
「アルバトロス」(あほうどり)なんて名前を
つけて愉しんでたのです。女子高だったので
メンバー全員女性でこれがまた受けた。
理科大のJazz研究会さんと繋がりができ
大学の文化祭などにも招かれて演奏したり
してました(爆)青春ですよね。
懐かしい、懐かしい想い出です。
影響を大きく受けたのは「エオミール・デオダード」です。彼がアレンジした曲はかなりコピーして弾いてました。Jazznovaと呼ばれた煌く曲たちに魅了され何度も聴いて、彼のアドリヴを耳で確認しながら覚えました。
「カーリーとキャロル」という曲...カッコ良くて後にエレクトーン奏者の「セキトウシゲオ」氏が取り上げていた程でしたね。
(セキトウ氏のアレンジもまた素敵なの!)
...ああ、書き出すと停まらなくなるからこの辺でこの話題、一旦筆をおきますね...。
長谷川きよし氏の曲を聴いていて懐かしくって
遂、ワープした話に突入してしまいました。
テヘヘッ(*゜ー゜)> <(_ _*)> アリガトォ
「アルバトロス」なんて言うと、随分カッコ良い名前だけど、「アホウドリ」とはね・・・。
あの頃って、まだのんびりしていたような気がするな・・・。