今日は機能的な美しさや、実用的な美しさのデザインについてのお話をしたいと思います。
たまに外出をしたり、街中を歩いている時に感じる事ですが、建築デザインや工業デザインなどを制作している人たちというのは、機能性や実用性のある美しさを考えてくれているのだろうか? と、疑問を感じる事が時々あります。
例えば必要性のない駅前の大きなモニュメントや、バス停のベンチや地下鉄のホームのベンチなどのデザインです。
昔はベンチといえば木製でしたが、それが雨に濡れても腐らない強化プラスチックのような物になり、今ではアルミのような金属になって、一見進歩しているかのようにみえます。
ところが、デザインは確かに格好は良いのですが、お尻はヒンヤリと冷たいし、何故か非常に座り心地が悪いのです。
金属ですから、程よい弾力もありません。
それに、背もたれの部分は背骨にゴツゴツ当たって痛いのです。
全く「人間工学」というものを無視してデザインをしているかのような作りなのです。
建築デザインや工業デザインというのは、個性美を尊重する芸術家ではないのですから、ただ見た目が良いというだけでなく、使い易さと美しさの両方を兼ね備えたものを作って頂きたいものだと思います。
・
以前こんな事がありました。
病院のトイレの鏡の前で、お爺さんが困った様子をしていましたので、近づいてみますと、
「この水道は、どうやったら水が出るのですか?」と聞かれたのです。
これはセンサーの働きで、手を差し出せば自動的に水が出て、手を引っ込めれば水が止まるというものでしたから、そう説明しました。
このトイレの水道はセンサーのガラスの部分に水滴が当たり、それが乾いて汚れとなってセンサーが働かず、水が出ない事が度々ありましたし、このお爺さんは少し視力も弱っている方でしたから、全く分らなかった訳です。
それで、この汚れたセンサーの部分を洗ってみますとすぐに直りましたから、これはセンサーの取り付け位置が悪いデザインなのだと思いました。
・
まだこの程度の話なら我慢も出来るのですが、本当に困ってしまう事があるのです。
以前、家族で横浜まで遊びに行った時の事です。
その日は石川町駅から元町商店街、港の見える丘公園、山下公園、中華街などの「お決まりのコース」を見て歩きましたが、
私は何故か遊覧船や水上ボートなどに乗る事が好きですので、この時の一つの目的は、港内を2時間くらいで一周する遊覧船に乗る事でした。
以前は「赤い靴号」という可愛いらしい赤い色の遊覧船が周航していたのですが、それが新品の豪華な水上ボートに変わった事を知りましたので、是非これに家族と一緒に乗りたいと計画した訳です。
その船内に入りますと、思っていた以上に綺麗で、近代的なデザインを感じて楽しんでいたのですが、その内に母親がトイレに行きたいと言い出して、その場を立ちました。
ところが母親がトイレに入ってからしばらく経ってもなかなか出て来ません。
どうしたのかなと思っていましたが、その内に何か不審げな顔をしながら母親が戻って来たのです。
そして、「用を足した後のトイレの水が流せない」と言うのです。
私は、「まさかー」と言って笑いましたが、母親が真剣な顔をしているので、
「水を流すレバーかボタンが必ずある筈だから、もう一度戻ってよく探して見て」と言っておきました。
ところがしばらくすると、また不審そうな顔をして母親が出て来るのです。
「レバーもボタンも何処にも無い」と言うのです。
こんな事を何回か繰り返していましたが、結局この時は諦めて、水を流さずにそのままにしてしまいました。
この時は、母親の心境としては非常に困っていたと思うのですが、私にはそれが分からず、「母親も歳を取ったものだなあ」と内心笑っていたのです。
・
それからしばらく経った時の事です。
私のジャズの仲間から連絡があって、「ライブをやるから暇だったら来ないか?」と誘いを受けたのです。
私はそういう時には喜んで行く性質ですので、この時も行ってみたのですが、
行って見ますと、そのお店というのはライブハウスというよりも、開店したばかりのレストランというような雰囲気の綺麗な内装のお店でした。
お店の雰囲気も良いし、音楽も良いしと楽しんでいましたが、その内にトイレに行きたくなって、席を立ちました。
そして用を足して、水を流そうと思った時です。
「おやっ!」
「水を流すレバーが無い!」
この時、脳裏をよぎったのは、あの水上ボートのトイレの母親の表情です。
まさかこの私がトイレの水を流すレバーやボタンを見つけ出せない筈はありません。
「私はまだ若い!」
そう思って必死になって探しました。
しかし、その小さな個室の中を前後、左右、上下、360度全て見回してみましたが、いくら探しても見付からないのです。
センサーらしき物もありません。
若い人たちでしたら新しい物に対して順応性がありますから、直ぐに見つける事の出来るデザインだと思うのですが。
「これでは母親を笑う事が出来なくなってしまうぞ」と思いながら何度も探してみましたけれども、結局諦めてしまいました。
そして、このトイレはセンサーの働きで、人が用を足した後、ドアから出て行くと自動的に水が流れる仕組みになっているのだと、無理やり自分に言い聞かせて、トイレから出て自分の席に戻ってしまいました。
それから演奏の休憩時間になって、バンドのメンバーたちが私のいるテーブルに集まって来ましたので、早速そのトイレの話をしてみました。
友人の話では、やはり私と同じようにトイレで水を流さない人たちがいるという事でした。
今から考えますと、トイレの中にはレバーやボタンなどの出っ張りが全く無く、平面的でしたから、多分センサーの黒いガラス状の物が何処かにあって、それに手を近づけると水が流れる仕組みになっていたのではないかと思いますが、暗い個室の中では見付ける事が出来なかったのではないかと思います。
このように目の見える一般人でさえ困ってしまうような建築デザインというのは如何なものでしょうか。
もし、ご老人や視覚障害者の方たちだったら全く使用出来ない物もあるのではないかと察せられます。
・
私は「バリア・フリー」という考え方が好きです。
世の中には一部の障害者だけにしか使用出来ないようなデザインの建造物も見受けられますが、こういう物は企業などが景気の良い時には余裕があって造ってしまっても、不景気になれば利用頻度の少ない物は取り壊したり、無くしてしまおうとします。
あるホテルで、そんな問題が起きてニュースになった事もありましたが、元々無理があるような気が致します。
バリア・フリーという考え方は最近の考え方ではなく、もう数十年も前からある考え方だと思います。
私が30年以上も前に使っていたラジカセなどは、テープの再生、停止、巻き戻しなどの押しボタンの上部に小さな溝か出っ張りがあって、指の感触でもそれが分かるようになっていましたから、視覚障害者の方でも点字のような感覚で使用出来るようなデザインにしたのではないでしょうか。
こういう発想の製品ですと、障害者の方たちだけでなく一般の人にとっても、より使い易いデザインになっている訳です。
また、最近では駅の構内案内の表示も、日本語と英語だけでなく中国語や韓国語の表示も増えてきました。
しかし、オリンピックや万博などのように、世界中の沢山の国の人たちが集まるような場合には、文字に頼らず誰でもが理解出来るデザインが当然必要ですが、
日本も外国の人たちが沢山来るようになってきている現在では、駅の表示などの公共のデザインも、考え直す時期が来ているのではないかと思います。
子供やご老人にも分かるような表示であれば、多分ある程度は外国の人たちにも伝わるのではないかと思うのですが。
・
話は変わりますが、茶道の方で有名な、「織部好みの茶碗」というのがあります。
織部という人の美意識で作られた、非常に珍しい形の茶碗の事です。
これは普通の湯飲み茶碗のようにスッキリした形ではなくて、極端にデコボコがあって、ひん曲がっているのです。
昔の書院風の茶道ではなくて、わび茶の世界です。
私の想像ではありますが、多分ごく少数の人にしか分からない美意識を鑑賞して、楽しんでいたのではないでしょうか。
詳しい事は分かりませんが、茶道は五感を楽しむ総合芸術であったと思います。
味覚、聴覚、視覚、臭覚、触覚の全てを楽しむ芸術だと、人から聞いた事があります。
つまり、お茶の味や香りを楽しむだけでなく、お湯の沸く茶釜の音や庭の獅子脅しの音を楽しんだり、美しい花や花瓶を見たり、茶碗に触れて手の感触を楽しんだりするという事です。
(余談になりますが、世の中には、視覚や聴覚を楽しませる芸術は沢山あるのですが、未だに「触角芸術」というのが一般化されていないのは不思議な事です)
ですから、そういう限られた場所では極端にひん曲がった茶碗を楽しむ事も良いのですが、日常的に使う物や公共のデザインなどは個人的な美を尊重する芸術ではないのですから、機能的で、実用的で、人間工学を考えたデザインをもっと発展させて欲しいものだと思います。
使い易さと美しさの両方を兼ね備えた、近代的なデザインという事です。
しかし、誰もが使いやすく、誰もが美しく感じるデザインというのは、想像以上に難しい事なのでしょうか?
とりあえず、最先端のトイレにはお気をつけ下さい。
先ずセンサーの位置を確かめて水が出る事を確認してから、用を足されるとよろしいかと思います。
今日はこんなお話になってしまいました。
お退屈さま。
たまに外出をしたり、街中を歩いている時に感じる事ですが、建築デザインや工業デザインなどを制作している人たちというのは、機能性や実用性のある美しさを考えてくれているのだろうか? と、疑問を感じる事が時々あります。
例えば必要性のない駅前の大きなモニュメントや、バス停のベンチや地下鉄のホームのベンチなどのデザインです。
昔はベンチといえば木製でしたが、それが雨に濡れても腐らない強化プラスチックのような物になり、今ではアルミのような金属になって、一見進歩しているかのようにみえます。
ところが、デザインは確かに格好は良いのですが、お尻はヒンヤリと冷たいし、何故か非常に座り心地が悪いのです。
金属ですから、程よい弾力もありません。
それに、背もたれの部分は背骨にゴツゴツ当たって痛いのです。
全く「人間工学」というものを無視してデザインをしているかのような作りなのです。
建築デザインや工業デザインというのは、個性美を尊重する芸術家ではないのですから、ただ見た目が良いというだけでなく、使い易さと美しさの両方を兼ね備えたものを作って頂きたいものだと思います。
・
以前こんな事がありました。
病院のトイレの鏡の前で、お爺さんが困った様子をしていましたので、近づいてみますと、
「この水道は、どうやったら水が出るのですか?」と聞かれたのです。
これはセンサーの働きで、手を差し出せば自動的に水が出て、手を引っ込めれば水が止まるというものでしたから、そう説明しました。
このトイレの水道はセンサーのガラスの部分に水滴が当たり、それが乾いて汚れとなってセンサーが働かず、水が出ない事が度々ありましたし、このお爺さんは少し視力も弱っている方でしたから、全く分らなかった訳です。
それで、この汚れたセンサーの部分を洗ってみますとすぐに直りましたから、これはセンサーの取り付け位置が悪いデザインなのだと思いました。
・
まだこの程度の話なら我慢も出来るのですが、本当に困ってしまう事があるのです。
以前、家族で横浜まで遊びに行った時の事です。
その日は石川町駅から元町商店街、港の見える丘公園、山下公園、中華街などの「お決まりのコース」を見て歩きましたが、
私は何故か遊覧船や水上ボートなどに乗る事が好きですので、この時の一つの目的は、港内を2時間くらいで一周する遊覧船に乗る事でした。
以前は「赤い靴号」という可愛いらしい赤い色の遊覧船が周航していたのですが、それが新品の豪華な水上ボートに変わった事を知りましたので、是非これに家族と一緒に乗りたいと計画した訳です。
その船内に入りますと、思っていた以上に綺麗で、近代的なデザインを感じて楽しんでいたのですが、その内に母親がトイレに行きたいと言い出して、その場を立ちました。
ところが母親がトイレに入ってからしばらく経ってもなかなか出て来ません。
どうしたのかなと思っていましたが、その内に何か不審げな顔をしながら母親が戻って来たのです。
そして、「用を足した後のトイレの水が流せない」と言うのです。
私は、「まさかー」と言って笑いましたが、母親が真剣な顔をしているので、
「水を流すレバーかボタンが必ずある筈だから、もう一度戻ってよく探して見て」と言っておきました。
ところがしばらくすると、また不審そうな顔をして母親が出て来るのです。
「レバーもボタンも何処にも無い」と言うのです。
こんな事を何回か繰り返していましたが、結局この時は諦めて、水を流さずにそのままにしてしまいました。
この時は、母親の心境としては非常に困っていたと思うのですが、私にはそれが分からず、「母親も歳を取ったものだなあ」と内心笑っていたのです。
・
それからしばらく経った時の事です。
私のジャズの仲間から連絡があって、「ライブをやるから暇だったら来ないか?」と誘いを受けたのです。
私はそういう時には喜んで行く性質ですので、この時も行ってみたのですが、
行って見ますと、そのお店というのはライブハウスというよりも、開店したばかりのレストランというような雰囲気の綺麗な内装のお店でした。
お店の雰囲気も良いし、音楽も良いしと楽しんでいましたが、その内にトイレに行きたくなって、席を立ちました。
そして用を足して、水を流そうと思った時です。
「おやっ!」
「水を流すレバーが無い!」
この時、脳裏をよぎったのは、あの水上ボートのトイレの母親の表情です。
まさかこの私がトイレの水を流すレバーやボタンを見つけ出せない筈はありません。
「私はまだ若い!」
そう思って必死になって探しました。
しかし、その小さな個室の中を前後、左右、上下、360度全て見回してみましたが、いくら探しても見付からないのです。
センサーらしき物もありません。
若い人たちでしたら新しい物に対して順応性がありますから、直ぐに見つける事の出来るデザインだと思うのですが。
「これでは母親を笑う事が出来なくなってしまうぞ」と思いながら何度も探してみましたけれども、結局諦めてしまいました。
そして、このトイレはセンサーの働きで、人が用を足した後、ドアから出て行くと自動的に水が流れる仕組みになっているのだと、無理やり自分に言い聞かせて、トイレから出て自分の席に戻ってしまいました。
それから演奏の休憩時間になって、バンドのメンバーたちが私のいるテーブルに集まって来ましたので、早速そのトイレの話をしてみました。
友人の話では、やはり私と同じようにトイレで水を流さない人たちがいるという事でした。
今から考えますと、トイレの中にはレバーやボタンなどの出っ張りが全く無く、平面的でしたから、多分センサーの黒いガラス状の物が何処かにあって、それに手を近づけると水が流れる仕組みになっていたのではないかと思いますが、暗い個室の中では見付ける事が出来なかったのではないかと思います。
このように目の見える一般人でさえ困ってしまうような建築デザインというのは如何なものでしょうか。
もし、ご老人や視覚障害者の方たちだったら全く使用出来ない物もあるのではないかと察せられます。
・
私は「バリア・フリー」という考え方が好きです。
世の中には一部の障害者だけにしか使用出来ないようなデザインの建造物も見受けられますが、こういう物は企業などが景気の良い時には余裕があって造ってしまっても、不景気になれば利用頻度の少ない物は取り壊したり、無くしてしまおうとします。
あるホテルで、そんな問題が起きてニュースになった事もありましたが、元々無理があるような気が致します。
バリア・フリーという考え方は最近の考え方ではなく、もう数十年も前からある考え方だと思います。
私が30年以上も前に使っていたラジカセなどは、テープの再生、停止、巻き戻しなどの押しボタンの上部に小さな溝か出っ張りがあって、指の感触でもそれが分かるようになっていましたから、視覚障害者の方でも点字のような感覚で使用出来るようなデザインにしたのではないでしょうか。
こういう発想の製品ですと、障害者の方たちだけでなく一般の人にとっても、より使い易いデザインになっている訳です。
また、最近では駅の構内案内の表示も、日本語と英語だけでなく中国語や韓国語の表示も増えてきました。
しかし、オリンピックや万博などのように、世界中の沢山の国の人たちが集まるような場合には、文字に頼らず誰でもが理解出来るデザインが当然必要ですが、
日本も外国の人たちが沢山来るようになってきている現在では、駅の表示などの公共のデザインも、考え直す時期が来ているのではないかと思います。
子供やご老人にも分かるような表示であれば、多分ある程度は外国の人たちにも伝わるのではないかと思うのですが。
・
話は変わりますが、茶道の方で有名な、「織部好みの茶碗」というのがあります。
織部という人の美意識で作られた、非常に珍しい形の茶碗の事です。
これは普通の湯飲み茶碗のようにスッキリした形ではなくて、極端にデコボコがあって、ひん曲がっているのです。
昔の書院風の茶道ではなくて、わび茶の世界です。
私の想像ではありますが、多分ごく少数の人にしか分からない美意識を鑑賞して、楽しんでいたのではないでしょうか。
詳しい事は分かりませんが、茶道は五感を楽しむ総合芸術であったと思います。
味覚、聴覚、視覚、臭覚、触覚の全てを楽しむ芸術だと、人から聞いた事があります。
つまり、お茶の味や香りを楽しむだけでなく、お湯の沸く茶釜の音や庭の獅子脅しの音を楽しんだり、美しい花や花瓶を見たり、茶碗に触れて手の感触を楽しんだりするという事です。
(余談になりますが、世の中には、視覚や聴覚を楽しませる芸術は沢山あるのですが、未だに「触角芸術」というのが一般化されていないのは不思議な事です)
ですから、そういう限られた場所では極端にひん曲がった茶碗を楽しむ事も良いのですが、日常的に使う物や公共のデザインなどは個人的な美を尊重する芸術ではないのですから、機能的で、実用的で、人間工学を考えたデザインをもっと発展させて欲しいものだと思います。
使い易さと美しさの両方を兼ね備えた、近代的なデザインという事です。
しかし、誰もが使いやすく、誰もが美しく感じるデザインというのは、想像以上に難しい事なのでしょうか?
とりあえず、最先端のトイレにはお気をつけ下さい。
先ずセンサーの位置を確かめて水が出る事を確認してから、用を足されるとよろしいかと思います。
今日はこんなお話になってしまいました。
お退屈さま。
私も何度もこの↑件で、困った事があるので
印象深くて拝読しながら、うんうん!(^-^)と
頷いてしまいました。手をかざしてセンサーで
反応するタイプは便利ですが慣れないと困るし
これ、視覚障害の方用にキチンと点字説明が
ないと不親切ですよね。ボタン式、用を足すと
勝手にいきなり水が流れてくて驚かされたり…
エピソードには事欠きません(^^;
新しい建物のトイレには要注意ですね。
コメントをありがとうございます。
いやいや、お恥ずかしい・・・(;^_^A
最先端の物に付いて行けなくなった自分自身も情けないですが、緊急を要するようなトイレのデザインくらいは分かりやすくして欲しいものですね。
こちらの goo ブログにもコメントを頂き、ありがとうございます。
特に女性の場合には、神経を余計使いますよね。
このお話は、バリア・フリー・サイトの方にも文字だけのページでUpして置きましたが、こちらの goo サイトは読みにくくなかったでしょうか?
ブーコさんにとっては、こちらにコメントを入れる事も簡単そうですね。
トイレの水が流せないよー!の巻
興味深く拝読いたしました。
私の次女は建築を専攻しておりまして、常に「使いやすさ」を考えているようです。
卒論のテーマも、いろいろな場面での「配慮」です。
障害者ばかりではなく、高齢の方、小さい子供連れのママ、老眼鏡をかけなければ小さい文字が読めない中高年
いろいろな立場の方々が、街歩きを楽しめるようなデザインであってほしいです。
日ごろ外出しておりますと、あっと驚くような発見をします。これも「デザイン」なんでしょうが、なぜ?「不思議発見」です。
コメントをありがとうございます。
卒論のテーマが、いろいろな場面での配慮ですか。
嬉しいですね。
多くのデザイナーの方たちは日々色々と研究をされて、より良いデザインを制作している事と思います。
ただ、私が特に疑問を感じましたのは、それが公共の場である所の駅とかバス停などのデザインや、水道やトイレなどの非常に重要なデザインに関してなのです。
日本人や外国人、一般の人や障害者の方たちなど、誰でもが文字に頼らず、分かり易い表示にして欲しいものだと思います。