これからのこと 実家の整理と『老前整理』して生き生き暮らす

母の介護を終えて、自分ひとりになった私の日常を書いていきます。
甘えたくなる自分を励ましながら、日々精進です。

自分のこと少し

2015-07-26 08:41:27 | 日記

どうしても、弱いはずの母が強く観えてしまう。

認知症だからわすれるのだけど、洋服をこれとこれを着てねと言っても気に入らないと私のいないところで着替えていたり重ね着をしたりしてしまうのだ。

この暑いのに自分の気に入るようにやる。私は根負けする。そして腹が立つ。

母は結局強く、私は弱いのだ。

ところで私は今無職。5月いっぱいで会社を辞め、職安に行っている。

おととい60歳になって、もう仕事をしなくてもいいようなものだが、どっこい、仕事をしないと生活ができない。

でも、生活は大変だけれど、この際、ゆっくりこれからの人生について考えて、自分の仕事を決めようと思う。

雇ってくれるところはないかもしれない。だからと言って歳なんだからと諦めるには少々残念な気がする。

だからちょっともがいてみようと思う。

6月は東京の友人にあったり娘のところに行ったり、叔母に誕生祝いをしてもらったりして、いろいろなランチを堪能した。

7月に入っては、勉強をしている。資格試験のための勉強だ。しかし、整理収納アドバイザーの仕事がしたい。でも就職もしたい。これもあれもしたい。欲張りな私で、結局、ポリテクセンターに通うことになった。8月から通える。ちょっとした学生気分に浸れるかな?

そして、理想は自分の好きな仕事ができればいいなと思う。

私は建築を大学で学んで、結婚して、専業主婦になった。

バブルがはじけると、私は就職をした。生活のためだ。なぜか転々としてしまい、務めた期間は短くて7カ月、長くて9年だった。

それでも、子供たち4人全員、大学にいけた。よかった。

本当のところ、私は主人と結婚したのは2人で設計事務所を取り仕切りたかったから。

学生時代に出会い、この人となら、設計事務所を開設して楽しく生活できると思った。

しかし夫は54歳で、設計事務所を始めて1年後に亡くなってしまった。設計事務所をやってた一年間は最悪だった。

夫をよく見なかった時間が長くあったためだろう、子育てに夢中だったためもあるかもしれない。「あれ?この人ってこんなひとだっけ?」という感じで、うまくいかず、またまた、就職してしまった。そのほうがよかった。

そして2年後、私は母の介護をするため、福島へ。仕事は転勤という形で継続した。

介護といっても、今は小規模多機能住宅に通っているのだから、夕方から朝の間のお世話のみ。

食事も朝だけなので大変楽をさせてもらってます。そのほうが母も私と顔を突き合わす時間が短くて、精神衛生上いいと思う。

直前の会社を辞めたのは、出勤時間が早くて、母が一人になる時間が長くなるからが一番の理由。そのほかいろいろあったけど、ここでは言及しないでおきたい。

やっぱり建築設計がしたい。これから6カ月間勉強しながら資格試験を受けて、来年は建築士も受けて、諦めないでいずれ自分で独立して仕事がしたい。一生仕事をしなくては生活できないだろうし。

きょうはここまで。

 


これからの人生

主人を亡くし、母の介護で実家に一人戻り、母も見送り、4人の子供たちは、独立し、何の心配もないかに見える私の人生。 乳がんになってしまい、手術をし、一人、たくましく生きようと奮闘しています。