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月刊「文芸春秋」発売の新聞広告
【金脈追及の始まり】~1974/S49年10月
冒頭新聞広告の雑誌記事が総理大臣の田中への追及の幕開けとなった。
記事を読んで、昭子はこう思った。
’田中は公人だから金脈・人脈云々と書かれても仕方ない面がある。
でも私の記事はプライバシー侵害。児玉という男など顔も名も知らない。
マスコミの卑怯さに腹が立つ。議員仲間が次々と慰めに来てくれた。'
田中には外人記者クラブで講演する予定が入っていた。
’財産を公表しないのか’ ’裏金はどうなっているか’と質問攻め。
'この記事には、個人の経済活動と公の政治活動が混じっている'と田中。
以来、金脈問題は連日報道された、
下旬 田中はニュージーランド・オーストラリア・ビルマに外遊。
11月上旬 戻って来た田中は、内閣改造を実施し、記者会見。
'地位利用による財産形成、脱税や不正や違法行為は一切無い'と説明した。
11月26日 田中、首相官邸で辞意を表明する。
'辞意の理由は、自身の健康、金脈追及、愛娘・真紀子の意見等々'と昭子。
'次の総理は大平と福田の公選に'が田中の意向、昭子も指示通り動いた。
しかし、影の人物が動いて、誰も予想しなかった三木内閣の誕生となる。
今日はここまで。それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]