ビゴーの戯画~朝鮮を狙う日・清・露の3国 (再掲)
【日清戦争始まる~1894/M27年7月】 滔天24歳
朝鮮での権益を巡り、朝鮮領土を戦場として日本と清国が戦かう。
滔天らの熊本でも第六師団が派兵され、戦争への熱狂が激しかった。
荒尾の実家では、滔天ら3兄弟が揃い、二男晋作も生まれていた。
彼らはこの戦争を冷めた目で観ていた。植民地主義の侵略戦争であり、
我々の意図する革命とはまるで違うと・・・。
そして、彼らは語学(中国語)の習得と自前の資金調達について相談する。
【革命の準備~1895/M28年 滔天25歳】 日清戦争4月終結
弥蔵は辮髪となり、横浜の中国商人の番頭として言葉と習慣を身につける。
滔天は、資金稼ぎ、移民事業会社に就職し、移民を引き連れてタイへ渡る。
・・・年末一時国する。
この年 孫文が初めて広州で挙兵、失敗して日本へ亡命する。
【再びタイへ~1896/M29年 滔天26歳】
滔天、再びタイへ行き農業に従事するが、熱病に罹り帰国。
兄の弥蔵、横浜で腸結核で死去。(30歳)
【孫文と初めて会う~1897/M30年 滔天27歳】
横浜で孫文(孫逸仙 :31歳)と初会見。犬養毅に引き合わせ居住許可を得る。
孫を荒尾の生家に伴い二週間ほど滞在する。
~下の写真は1913年再訪時の写真~
中央左:孫文、右:滔天 最前列右からツチ、サキ、子供ら
ところで昨日の写真、誰の妻妾でしょう?
左:大月 馨~1902年より同棲、1904年結婚、1906年離婚
右:浅田 春~1897年に横浜で接待係として出会い、1901年に別れる
もう1枚ヒントです。
左:宋 慶齢~1885年結婚、1915年離婚
右:宋 慶齢~1915年に東京で結婚 その後不詳
孫文の妻妾たちでした。今日はここまで。
明日は、「中国同盟会」「民報社」だが、那美で一度取り上げている。
そこで、滔天が浪曲師になる話を予定する。
それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]